150日間で500人の世界のチェンジメーカーに会う現役 "ホームレス社長" -藤本太一

taichi藤本 太一 Taichi Fujimoto

日本の大学を卒業後、イギリスのウェストミニスター大学院に留学。卒業後、イギリスでHappiness Architectを起業し、人と人をつなげて数々のコラボレーションを作り上げる。イギリスでそれが認められTED Talksにも出演。その後大きな壁に直面するが、逆転の発想で、ホームレス社長として150日間で500人の世界のチェンジメーカーに会うというプロジェクトを思いつき、現在もイギリスを中心にヨーロッパで活動中。Twitter 、FacebookTumblrなどを通じてプロジェクトの模様を日々発信している。今後は、WEBサイトからも更新を予定。

001.逃げるなら、全力で逃げる

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太一さんは、就職活動もせず、大学卒業後イギリスに行かれたんですよね。なぜそこまでイギリスに行きたかったんですか?

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まず日本の企業に入りたくないという思いがありました。なぜ大学で専攻していた分野に就職しなきゃならないのか、という疑問があったんですよね。型にはまりたくなかったし、自分で自分の仕事を作っていきたかった。けれど、日本の企業に入ったら、上からコントロールされてしまうんじゃないか?自分の意見が言えるのってあと何十年後だろう?自分の好きなことができるのはいつだろう?そう考えた時に、僕は「今やりたいことをやりたい」と強く思いました。日本では自分の生きたい未来を実現できない。じゃあまずは日本の社会やシステムからとにかく逃げよう。逃げるなら、全力で逃げよう。そう決めました。

逃げる先に選んだのは、イギリスです。理由は、自分で自分のやりたいことをしやすい環境が整っていると思ったから。学術的に学んできたまちづくりの手法ではなく、アートをはじめとした異分野とコラボレーションしてまちづくりをしたかったんです。当時憧れていたアーキグラム(Archigram)の存在も大きかったですね。彼らは、建築を作らずに建築家として有名になった人たち。一般的に、建築家は、建物を建てて、そこでの体験を通じてある人の心情に訴えるんです。だからアーキグラムは、建物を作らなくても人の心に訴えかけることはできる、という今までになかった新しい発想を持っていました。その発想をもとにアートや雑誌で表現して、それが世間に認められて世界の建築家の称号である、RIBAゴールドメダルを取ったこともあります。イギリスは伝統を大切にしつつ革新的なものも積極的に取り入れて、それを世間も認めてくれる。そんな国で、都市計画としての枠組みから逸脱したまちづくりができたら面白いなってワクワクしたんですよね。それでイギリスの大学院でまちづくりについて学ぶこと志すようになりました。

002.ボトムアップで、一人ひとりを幸せに

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大学院に入るまでの経緯と大学院で学んだことについて教えてください。

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イギリスに留学をすることを決めて英語を身に付けなければならなくなったんですが、もともと僕は海外志向が弱かったので、英語が全くできませんでした。周りが就職活動を始めた頃、僕だけ髪色を明るくました(笑)「外国人って金髪でしょ?だから俺も金髪にしよう!」くらいの軽い気持ちで(笑)英語の勉強に気合いを入れるためだったんです。でもなかなか英語力が伸びなくて、大学院に落ちてしまいましたが、留学したい気持ちがまだ強くありました。それで、このまま日本にいてもきっと同じ結果になるだろうから、もうイギリス行っちゃおうと決めて日本を発ちました。

イギリスでは、最低限の勉強だけして、毎晩のように友達を誘って酒を飲みに行っていましたね。日本にいた時と同じようにテキストで勉強していてもあまり意味ないだろうって思って、テキスト代を浮かせてそれを全部飲み代に回していました。酔っぱらうと英語を喋る恥ずかしさがなくなって自然と喋れるんですよ。まずは自分が会話の主導権を握って、自分のわかる話題に持っていくんです。それで会話の中で出てきた表現とかを覚えて、あとは自分も真似して使ってみる。それを繰り返していたら、英語を話せるようになり、ウェストミニスター大学院に合格できました。

大学院では、その後を左右する大きな気づきがありました。きっかけは、インドネシアのジャカルタのまちづくりのプロジェクトでした。それまでずっとまちづくりの勉強をしてきて、実践的な経験も積んでちょうど自信がついてきていた頃に教授に投げられた企画。毎年起きる洪水が問題だったので、それを都市デザインの力を使ってどう解決するか、という課題でした。グループとしてデザイン案をじっくり練って、現地のコミュニティーの人たちに向けてプレゼンしました。けれど答えがこう返ってきたんです。「そもそも洪水は私たちにとって問題じゃなかったんだよ」と。それは僕にとって衝撃的でした。大本の問題認識や問題発掘の部分がおざなりにされていたんです。僕たちが都市デザインをしたいから問題を作り上げていた。とてもトップダウンな考え方。問題を勝手に作って、町を壊して、さらに大きな問題を呼ぶ。僕のやりたかったまちづくりとは全く違いました。それまで歩んできた道を後悔するつもりはなかったけれど、まちづくりのプロになる理由がわからなくなってしまいました。大学院を出て、まちづくりのスキルを身に付けたというより、まちづくりのプロになることを諦める勇気をもらったという感じです。この気づきから、自分のやりたいことがわかりました。ボトムアップで一人ひとりが幸せにすることができれば、街全体が幸せになる。僕はそんなまちづくりをやりたかっかんです。それを実現するために大学院卒業後、イギリスで起業する道を選びました。

003.血の通い合ったコラボレーション作り

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イギリスでの起業についてお話を聞かせてください。

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僕にとって、イギリスで起業することは大きな挑戦でした。「イギリス」と「起業」という2つの壁があったからです。2年間イギリスにいましたけど、英語は日本語に比べればまだまだだったし、イギリスが異国の地だってことには変わりはありませんでした。起業についても、未知な世界。ビジネスに関しては全くの初心者でしたし、ビジネス英語も話せませんでした。本当に何もわからない状況からのスタート。けれど僕は逆にワクワクしました。単純にイギリスで起業するってなんかかっこいいですし。こんな2つの壁乗り越えられたら、この先なんでもできるはずだという思いもありました。セルフチャレンジです。自分が面白い世界を作りたければ、まずは自分自身がやっていることに対して面白いって感じていないと、周りの人たちにも面白さを伝えられないとも思っていましたし。

僕は人にフォーカスを当てて街全体を幸せにするビジョンを持っていたので、すぐにリサーチを始めて、夢を追ってない人たちになぜ夢を追えていないのか聞いて回りました。そしたらみんなお金がないからだって答えたんです。そこで、そういう人たちの第一歩を援助できるようなクラウドファンディング会社を設立。僕は、0とか−1みたいなフェーズにあった人たちを1に跳ばせる手助けをしたかったんです。でも会社を数ヶ月運営しても、それはできませんでした。アプライしてくれた人たちはみんな自分のやりたいことを始められていた人ばかりだったんです。自分のやっていたことに何か間違いがあったんじゃないかって思って、会社を一旦閉鎖。上手くいかなった理由を探すため、今度は起業して自分の夢を追っている人たちに、起業した理由を聞いて回ることにしました。そしたら、みんな口を揃えて、「一緒にいてくれた仲間がいたから」と言いました。必要だったのは、「金」ではなく「人」でした。お金がないから一歩踏み出せないのはただの言い訳。これに気づいてから、すぐにクラウドファンディング会社をやめて、Happiness Architectに社名を改めて活動を再開しました。Happiness Architectは、コラボレーション・デザイン・エージェンシー。何か始めたいけど一歩踏み出せてない人たちに、同じような思いを共有できる仲間を提供してコミュニティーを作る組織。でも、単に出会いだけで終わってしまってしまうのはもったいないから、一緒に何かをやれるところまでアシストする。ただのコラボレーションじゃなくて、何かを一緒に作り上げていく、血の通い合ったコラボレーションを作ることがモットーです。そしたら多くの人たちがHappiness Architectに価値を見いだしてくれて、いろんな人からいろんな形で声をかけてもらえました。僕も手探りでやってきて、実験的な面でもあったんですが、絶え間なく活動することができました。

けれど、次第に限界を感じるようになりました。一つは、お金が底をつきだした上に、ビザも切れそうだったこと。もう長くはイギリスにいられない状況になってしまいました。もう一つは、Happiness Architectに似た人たちしか集められなかったこと。たしかに、いろんなスタートアップとか企業とか個人のプロジェクトに関わらせてもらいました。でも、「ソーシャルアントレプレナー」「ハピネス」「コラボレーション」「ソーシャルキャピタル」「シェア」などと若者が食いつきそうなキーワードを使っているせいか、同形の人たちしか集まって来ませんでした。僕の作りたかった本当の意味でのコラボレーションはまだ作れていなかった。社会起業家Aと社会起業家Bっていうどちらもサステイナビリティーを目指している人たちをつなげてサステイナビリティーなプロジェクトをしても、それはただのチームであってコラボレーションじゃない。コミュニティーの色の多様性が欲しかったんです。そんな限界を感じていたある日ホームレス社長の案を思いつきました。

004.人を集めるホームレスになるという逆転の発想

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ホームレス社長として150日間で500人のチェンジメーカーに会う、というプロジェクトについて教えてください。

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やばい、ビザが切れそう、お金がない、会社が潰れそう、自分の身体ももたない、どうしよう。そんな状態でした。でも、まだなんかできそうだったし、諦めたくなかったんです。それと、多種多様なコラボレーション作りを生むために、もっといろんな人たちと会うことが必要でした。そんな時ふと、「ホームレスになればかなりいろんな人と会えるじゃん」って思ったんです。逆転の発想で、お金を集めるんじゃなくて、人を集めるホームレスになろうって。ちょうど英語でチェンジが小額のお金って意味なので、金銭的に少し助けてくださいという意味も加えて、150日間で500人のチェンジメーカーに会うというプロジェクトを立ち上げました。

ホームレスなので寝泊まりはチェンジメーカーの家です。最初のうちはもともとの友人をベースに自分の泊まる場所を組みました。けれどそれからは、SNSを通じて僕の活動に興味持ってくれてうちに泊まりに来ていいよって言ってくれる人たちが出てきたり、もともとの友人が僕を紹介してくれたりという感じで、なんとかやってこられています。何人かは全く面識ないのに泊めてくれましたね。ただコーヒーを飲んで話すんじゃなくて、寝食共にすることでより深く話せるし仲良くなれました。それがきっかけで一緒にプロジェクトやることになった人もいます。たとえば、あるイギリス人と一緒にシェアハウスを作ることになったことがありました。僕がロンドンに日本人向けのLiverty Londonというシェアハウスを作ろうとしている話をしたら、そのイギリス人がすごい興味持ってくれたんです。それ以降お互い忙しくてなかなか話を進められてなかったんですが、僕がこのホームレス社長のプロジェクトをやるよって告知したら、うちに泊まりに来なよって言ってくれて。もう合宿みたいな感じで彼の家に泊まり込んで、土日をフル活用してずっとそのプロジェクトの話をしました。そしたらコラボレーションしようって話になって、今もこのプロジェクトは遂行中です。

このホームレス社長のプロジェクトは現在進行中なんですけど、これを通じて、人に頼むことに対する抵抗感がなくなりました。今までは、自分にできてしまいそうなことは人に振らず、自分でやってしまう方が早いし楽だと考えていました。けれどそれって自分よがりだなって。僕が泊まらせてくれって頼んだ時に、相手には僕を助ける理由なんて一つもないのに快く泊まらせてくれる。それがきっかけで新しい出会いが生まれる。そう考えると、人に頼んだり助けを求めたりすることって一つのコミュニケーションの手段で、悪いことでもないし躊躇することでもないんだなって思えるようになりました。
あと、コラボレーションは「思い」でつながっているからこそ、「思い」が離れるのも早いと感じます。なんか長続きする夫婦ってよりも、一目惚れした浮気みたいな関係。だからその短い期間にものすごく愛し合う。短い期間だけど濃い時間を過ごすことって貴重な経験なんです。泊まらせてもらっていつもよりじっくり話せることで、他の人の企画の話とかを振ってくれたりして、それで僕がアドバイス出したりしてより深い話し合いができる。コラボレーションを作るために一緒に泊まることはとても素敵です。

005.イギリスで感じる、「個」の大切さ

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イギリスで感じたことは何でしょうか?

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セルフブランディングの大切さです。イギリスでは、この資格を持っているからここに就職があります、この経験があるからこの仕事に就けます、とかいうことはないんです。だから、会社の中でも外でも自分にしかできないことに対してみんなかなり意識が高い。自分の「個」を大事にしている。僕自身も、ロンドンで起業している日本人ってだけの「個」では弱いから、僕だけにしかできないキャラクターやパーソナリティーを出していかないといけないって感じています。友達だけどライバル。イギリス人はプライベートの関係と仕事上の関係を切り離しているから、仕事ではざっくばらんに勝負できる。なんかかっこいいんですよね。

006.大切なものは目に見えない

 

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太一さんの今後について教えてください。

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このホームレス社長のプロジェクトが終わったら、一旦日本に帰ります。帰国したらまず、自分をメインプレーヤーにおいたHappiness Architect の運営、特にホームレス社長のプロジェクトを通じて感じた、コラボレーションを作っていく大切さや面白さをより多くの人たちに知ってもらえるよう活動します。互い隠し合ったり憎しみ合ったり騙し合ったりして競争するよりも、助け合ったりシェアし合ったりする方が面白いだけではなく、よりいいものが生まれることをわかって欲しい。出版、ブログ、講演などもできる限り活用して情報発信していくつもりです。そして、もっと仕事としてコラボレーション作りができる方法を模索します。「点」ではなく「線」、「結果」ではなく「過程」に価値を置いて、そこにお金を発生させる。そんなモデルを考えています。そしたら、人のお金に対する価値観を変えられるだろうし、そうなれば世界はもっと明るくなるんじゃないかなって思うんです。

だから今後も人と人のつながりを作ってそこに化学反応を起こすことで、よりイノベーティブな企画をどんどん仕掛けていきます。近いうちに必ずまたイギリスに戻って藤本太一として勝負したいと思います。

 TABI LABOインタビューアー〈別府大河〉一橋大学商学部2年生。海外を旅して、世界における日本の可能性を感じる。将来は、日本から海外へ、海外から日本への架け橋となり、世界中に「幸せ」を創出することを志す。 2014年9月からコペンハーゲンビジネススクールへ交換留学し、そのまま休学し世界中を巡る予定。

 

TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。