【栗城史多×茂木健一郎 対談】チャレンジする姿こそ、人を惹きつける! なぜ「バカなことをやっている」と思われていいのか?

異なる道を極める2人の探求者が、自由な発想で語り合う――世界最高峰の山々の登頂に、果敢に挑戦しつづける登山家栗城史多氏と独自の切り口で「脳」の新たな世界へと我々を導いてくれる脳科学者茂木健一郎氏。二人のスペシャルな対談は、物事の新しい見方を紐解く鍵となるはず。本コンテンツは栗城史多氏のメールマガジンより引用したものです。

栗城史多/Nobukazu Kuriki

1982年北海道生まれ。大学山岳部で登山を始め、これまでに6大陸の最高峰を登り、8000m峰4座を単独・無酸素登頂。2009年からは「冒険の共有」としてのインターネット生中継登山をスタート。2012年、重度の凍傷により手の指9本を失うも、2014年にブロードピーク(8047m)登頂で復帰を果たす。2015年秋には、5回目となるエベレスト登頂を目指す。

茂木健一郎/Kenichiro Mogi

1962年東京都生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理科学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。脳科学者。専門は脳科学、認知科学であり、「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードに脳と心の関係を研究するとともに、文芸評論、美術評論にも取り組んでいる。

人生で学ぶべき唯一のこと
「NO LIMIT」

茂木 さて、どういう話をしましょう?

栗城 まず取り上げたいのが、自分の中の限界について。これって、自分が作り出した幻想だと思うんですよね。

茂木 いいね、いい話だ。

栗城 自分の限界だけじゃなくて国境、人と人との壁なんかも取り払って生きていく人が増えたらなと思いまして。僕はそれを「山」から学びましたけど、いろんなことにチャレンジされている方からお話を聞いて、さらに学んでいけたらと。

茂木 素晴らしい!それって人生で学ぶべき唯一のことだと思う。いわゆる「NO LIMIT」。それさえ学んでいたら、他のことは何も学ばなくていいっていうくらい。

栗城 おおすごい、太鼓判もらった(笑)。

茂木 そういえば、宇宙飛行士の古川聡さんに会ったとき、すごく素敵な話を聞いて。彼は国際宇宙ステーションに6ヵ月半も居て、宇宙から地球をずっと見ているんだって。最初は日本やヨーロッパなんか各国を見ているんだけど、1日16回も地球を回るんだよ。そのうちに国境の概念とか無くなってくるらしい。それこそ、6ヵ月半もやってきた人だけが得られる「NO LIMIT」。

栗城 感覚や概念がなくなるって意味では、僕はヒマラヤ山脈の7000m地点で雪女を見たことがあるんです。とはいえ、恐らく夢だったんじゃないかと・・・。

茂木 そうなんだよ。「NO LIMIT」な所に行くと、人間ってイリュージョンを見るらしいの。木村秋則さん(※1)に聞いた話だけど、宇宙人がUFOに乗ってリンゴ畑を走っていたって。普通は「木村さん、おかしいのかな?」ってなるけど、それくらい追い詰められてたってことだよね。木村さんは地上でエベレストと似たような苦しさを味わっていた。絶対に無農薬・無肥料のリンゴを作るんだって。そういったことが無い人って、まだまだ苦しみが足りないんだよね。

(※1)不可能とされてきた無農薬・無施肥のリンゴ栽培に世界で初めて成功した青森・弘前のリンゴ農家。

栗城 確かに登山家の人たちは幻覚・幻聴の話がいっぱいありますからね。

直感力を鍛えるには
痛い目に遭ってみる

茂木 そういった面を含めて思うんだけど、登山家の人生って難しくないですか?

栗城 ええ、そうですね。昔、登山家の先輩が「ソフトランディング」が大切って言っていたんです。飛行機と同じで、登ったらちゃんと下りてこなければダメだよと。

茂木 登山家って、どうやってソフトランディングするの?

栗城 僕は「社会とつながること」だと思いますね。冒険家や登山家って、一つの山を登るとまた次の山に行きたくなっちゃうんですよ。でも、山は生きがいでいろんなものを与えてくれるけど、やはり人間が生きるのは地上だと僕は考えているんで。地上とのつながりがあるから、ちゃんとソフトランディングできるんだと思います。社会って山からするとドロドロして、なんか汚れているように見えるかもしれませんが、ここが本来の役目を果たして生きていく場所なんだとずっと思っています。

茂木 さすがだね。偉い!あとさ、よく質問されるだろうけど、栗城の山登りは一回の遠征でいくらくらいかかるの?

栗城 今年やるチャレンジは生中継を含めて5,600万円くらいです。どうやって集めているかっていうと、まず講演で全国をまわって、それだけでは足りないのでスポンサーを探します。2009年からこの「冒険の共有」(※2)をスタートしたんですけど、実はあんまり心配していなかったんです。僕自身お金はないけど、志を共にしてくれる人を探したら、大丈夫だろうっていう感覚があって。

※2:栗城氏が取り組んでいる、インターネット生中継登山のこと。「一歩踏み出す人を増やすこと」を目的とし、「見えない山を登っている全ての人達へ」というメッセージと共に発信。

茂木 確かにお金って、いいアイデアや支えたい志があれば集まるものだよね。問題はいいアイデアや熱い志が世の中にないこと。特に経営者は人を見るトレーニングをしているから、直感で分かるんじゃないですかね。

栗城 同じく山も最後は直感ですね。僕が最近、学生さんと話していてすごく思うのが、ネットの情報で判断する人が多いってこと。

茂木 ネットの情報は全く判断の対象にならないよね。小さなこと言うと、グルメ評価サイトやミシュランの星も同じ。そういう意味で若者の直感力が弱っちゃっていますよね。

栗城 どうやったら直感力を上げられますかね?

茂木 リスクを取るしかないでしょう。痛い目に遭って自分で分かるしかない。昔の学生って盛り場のヤバい店に行って「この店はヤバそうだな」とか「この辺で帰らないとマズイ」とか、直感力を鍛えていたよね。

栗城 なるほど。そういうことですね。

茂木 今、賞味期限で安心しちゃう人いるけど、昔の人って匂いを嗅いで判断していたわけだからね。

栗城 ええ。目の前の数字に惑わされたらダメですよね。

茂木 僕が偏差値嫌いなのも、お墨付きで安心することが嫌いなんだよ。その人の能力なんて実際に会って話さないと分からないからね。栗城も「十分な登山の準備をしたのか」って批判があるけど、それって何?ってことだよね。

栗城 そうなんですよ。本当に山に行ってないと、ネットの情報だけじゃわからないですからね。

お金や物を超えた世界こそ
幸せになる秘訣

茂木 バリッと仕事をこなしたいなら、問題解決能力も必要になってくるね。Googleで働いてる人って、2割か3割が高卒の人だって。Googleが求めているものはIQではないと、はっきりと言っているんですよ。問題解決能力はペーパーテストでは分からないですからね。そういう会社でないと、これからは輝かない。

栗城 僕もそう思います。いろんな経営者さんの話を聞くと、輝いている企業の共通点って「課題解決力」を持っていることなんです。それがないと海外で交渉できないので。お金とかではなく、世の中を良くするんだということを本気で考えているかが重要だと聞きました。

茂木 いい話だね。資本家はそれだけリスクをとって投資しているんだよね。単純に自分の時間を切り売りして時給をいくらもらうかの労働ではなく、労働することで自分が何かを得て、次のステージに行ける。 栗城は資本家ではなく、むしろ資本をもらう側であって投資的労働をしているんですよね。「冒険の共有」という新しい「ブルーオーシャン」の所に投資しているわけじゃないですか。

栗城 僕はお金とか物を超えた世界っていうのが、すごく重要なキーワードだと思っていて、これから幸せになる秘訣だと思うんですよね。 ちょっと唐突ですけど、伊勢神宮の式年遷宮って、20年に1回建物を変えるじゃないですか。物を持つ概念がないのはすごいと思うんですよね。精神的なものの価値ってすごい気がするんですよ。

茂木 そうだよね。物を持ちたくないっていう気持ちが強いって気がするね。今、何か欲しいものってある?

栗城 考えてみたら僕、全然欲しいものがなくて。この間、4年ぶりにジーンズを買いました(笑)。一張羅なんです。

茂木 僕もこのシーズン、これしか履いてない。

栗城 これからは見た目にとらわれない時代になってくると思いますね。マーク・ザッカーバーグさんもずっと同じパーカー着てるじゃないですか。

茂木 この前、検証して彼はたった1着のパーカーしか持ってないって判明したからね(笑)。だけど、僕、空間は欲しいと思うんだよね。レストランも美味しいものって大事だけど、広々していることが基準だったり。この間、沖縄で24km歩いたんだけど、青い空と海を肌に感じられて、贅沢な時間だったな。エベレストに登るってすごい贅沢よ。

栗城 ハハハ。いつか一緒に行きましょうよ!

茂木 無理、無理。ベースキャンプまでだったらね。でも、僕たちが見られないものを見ているんだから、そっちの方がよっぽど贅沢だよね。

リスクを取るか、取らないかで
格差が生まれる

栗城 そういえば、この間嬉しいことがあったんですよ。普通の会社員になるべく就職活動をしていた女子大生が、「本当は日本語教師になりたかった」と、僕に相談に来て。それで「日本語教師目指してやってみたら」とアドバイスしたんです。で、その子本当に日本語教師になって、ブータンで3年間働くことになったんです。それまでは自分がやりたいことがあっても「口に出せなかった、出しちゃいけないと思っていた」って。

茂木 そういう社会だよね。でも、確かに栗城を見たら「あんなバカなことをやっている人がいるんだから、私も大丈夫!」って思うよね(笑)。

栗城 ハハハ。

茂木 「夢は正社員!」みたいな話もあるけどね。世間でよく正社員と非正社員との間に格差があるって言うけど、違うと思う。正しくは「リスクを取る人」と「リスクを取らない人」の間に格差があるんだよ。あるいは「自分でチャレンジする人」と「チャレンジしない人」。

栗城 確かに。それは言えてます。

茂木 大きなことじゃなくて小さなチャレンジでいいんだけど、それができるかできないかで人生の楽しさって違うよね。チャレンジすることが幸せで、さらに最大のチャレンジっていうのが、「自分が変わること」。

オスカー・ワイルド(※3)って、同性愛の罪で牢獄に入れられて、失意のもと死んじゃったんだけど『獄中記』に「銀行員になりたい人はなったらお終い。法律家になりたい人はそれでお終い。だけど、“自分になりたい人”は終わりがない。どこに行くかわからない。それが本当の生き方だ」って書いてあるんだよ。

※3:アイルランド出身の詩人、作家、劇作家。

栗城 おお、素晴らしい。僕、学生の頃に野口健さんの本を読んだら、お父様に「お前は野口健で生きろ」って言われたと書いてあって。それに影響されて、僕も「栗城史多で生きたい」って思いました。

茂木 周りの学生から、「何言ってんだよ」って言われなかった?

栗城 言われました。僕の友達は、大学の先生から「あいつとは付き合うな」って言われてましたし。でも、好きなことをしてというか、何かにチャレンジしながら生きていける時代が必ず来ると、子どもの頃から思っていました。

茂木 それ大事だよね。根拠のない自信があったんだ。バカにされるっていうのは、見込みがある証拠だと思うけどね。

栗城 もうバカにされまくりですよ(笑)。

茂木 なんでバカにするかっていうと、理解できないからじゃない?人を不安にさせるから、とりあえずバカにしとくと安心するじゃん。あの坂田師匠って、「アホの坂田」っていう芸風をつくったことで、一人の創業者というか。バカにされて済むのなら、それでいいじゃんって思うけどね。

チャレンジするなら、
強制されたものでなく、
自ら選び取ったものを

栗城 次にお話したいテーマが「幸せ論」について。僕、ずっと「冒険の共有」で中継をやってきて感じるんですが、人に喜んでもらうことがすごく嬉しいんです。

茂木 それはとても面白くて、ある心理学者が学校で生徒たちに「どんな活動をしている時が一番幸福か」という研究をしたんです。結論は「友達と話している時」なんだよね。この事例以外にも、ありとあらゆる幸福研究が「人との絆が、幸福の源泉」だと示唆している。

栗城 そうですか。僕は「冒険の共有」を通して、いろいろな人と繋がれたことがすごく財産になっています。山っていうのは一つの夢でもあるんですけど、社会と人とがつながるコネクターというか、そういうものにもなっていますね。

茂木 なるほど。そうなんだ。

栗城 僕は冒険家と経営者は、同じように人に勇気を伝えられると思うんです。以前、イーロン・マスク(※4)さんが「火星に行きたい」って言って、日本のベンチャー企業も現実味を持って盛り上がりましたが、山登りも同じじゃないでしょうか。 僕の場合、エベレストを4回も失敗してますけど、それでもまた行くんだって言ったら、一歩踏み出したい人たちが沸き立つ気がします。

※4:アメリカの起業家。ロケットや宇宙船の開発、打ち上げなど宇宙輸送を業務とするスペースX社の設立者兼CEO。

茂木 そうだね。人って、誰かがチャレンジしている姿をみるのが好きなんじゃないかな。だから、箱根駅伝も画面がずっと変わらないのに、ずっと見ているし。あれは史上最強のテレビコンテンツだよね。ボクシングや野球と違って、駅伝って切れ目がないからずっと視聴者が釘づけになる。チャレンジっていうものが人を惹きつけられる例だよね。

栗城 僕はあれをエベレストでやりたいんですよ。

茂木 やったらいいじゃん。やってみなはれ!自分でやっているもんね。偉いよ。そうか、あれは箱根駅伝だったのか(笑)。なるほど。

栗城 チャレンジって大きなことじゃなくても、小さなものでいいと思うんです。個人におけるチャレンジをどんどん増やせる世の中にしたいですね。

茂木 チャレンジって、結局、強制されるんじゃなく、自ら選び取ったものじゃないと。最近の若者を見ていて、子供の頃からずっと塾だの学校だの、行きなさいとか周りに言われていて。それに合わせて優等生として振舞うのは上手いけど、自分で決めてチャレンジすることが苦手な子が多くて。栗城の生き方から、そういうことを学んでほしいと思いますね。

TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。