ネパール地震で全滅した「世界一美しい村」の復興を、映画で応援

9千人近くの死者を出したネパール大地震から半年以上が過ぎた。けれど、復興はなかなか進まず、被災した人たちは苦しい生活を強いられている。

そんな現状を多くの人に伝え、ネパールを救うべく、孤軍奮闘する日本人がいる。

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石川梵氏。彼は地震発生後初めて現地入りした写真家だ。

メディアで報道されなかった
信じられない光景

当時、日本に入ってきたのはカトマンズとその周辺の情報ばかり。じつは最も被害が大きいであろう震源地周辺の情報が全くなかった。いてもたってもいれなくなり、彼は現地の状況を伝えるためにネパールへ飛んだ。

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土砂崩れで寸断された山道を2日歩き、たどり着いたのは、ヒマラヤの中腹にある標高3千メートル近いラプラック村。家屋がことごとく全壊し、村は壊滅していた。
メディアの報道からは見えてこない、信じられない光景だったという。

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そこで1人の少年と出会った。名前はアシュバドル。彼の妹は地震でケガをして病院へ運ばれていた。家も、そして家族も失い、ビニールシートを布団代わりに生活。それでも明るく前向きなアシュバドルの姿に、石川氏は心を打たれたという。

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彼は村の現状を日本に伝え、村を再建させることを決意。

たったひとりで村にお米や食料を運ぶ支援活動を開始したのだ。その内容をSNSに投稿したところ、友人がひとり、ふたりと支援を申し出てくれた。支援はやがて大きな輪となり、村に3トンの食料を運ぶことができた。

しかし、問題は
食料不足だけではなかった

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10月に再び訪れたとき、更なる問題が起こっていた。村の地盤が地震で緩み、地滑りの恐れがあるために、3,500人もの村人が村を捨て、新しい土地に移り住まなければなくなっていたのだ。村人全員の移住には、大変な費用と労力、そして長い年月がかかる。

そこで、石川氏は考えた。時間が経つにつれてネパール地震への関心が薄くなる。いかにして人々の関心を持続させ、日本だけではなく、世界へその窮状を訴えるべきか。

ラプラック村の窮状を
ドキュメンタリー映画に

そこで行き着いた結論は、ドキュメンタリー映画の製作だった。カメラで村人一人ひとりの心のひだまで映し出せば、遠く彼方の知らない人の不幸ではなく、愛すべき隣人のように、世界がラプラック村のことを思うのではないかー。

そして、これまで3度にわたってネパールを訪問、取材と支援をすべて自費で進めてきた。それくらい彼はラプラック村にすべてを投げ打つ覚悟はできているという。

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しかし、資金はすでに底を尽きてしまい、さらなる取材を重ね、映画を完成させるためには資金協力が必要。現在、クラウドファンディングサイト「READYFOR」のコチラのページで募っている。

コンテンツ提供元:READYFOR

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