消えゆくモーテル。アメリカンアイコンの終焉。

カリフォルニア州サンタモニカとイリノイ州シカゴを繋ぐ「ルート66」。フロリダ州キーウェストとメイン州フォートケントを繋ぐ「ルート1」。聞く人が聞けばすぐに分かる、ロードトリップの名所です。

こんな旅に欠かせないのが、道路沿いにあって素泊まりできるモーテル。と言いたいところですが、サンノゼ州立大学の教授Andrew Woodによれば、その存在感は薄れてきているようです。

彼は、始まりから今に至るまでのホテル事情、アメリカ社会にとってのモーテルの意義を説明しています。

今にも消えてしまいそうな
「モーテルの伝統」

『怒りの葡萄』で有名な作家のジョン・スタインベックは、ルート66を“逃亡の道”と呼び、枯れ果てた農地、吹き荒れる砂嵐、故郷を追われた移民たちの厳しい現実を描きました。暮らす場所を求めて路上を彷徨う人たちは、新たな希望を探し求め、カルフォルニアに向かう。その途中では、陸軍のテントや簡素な野営地、ニワトリ小屋で休息を取りながら、疲れを癒していました。

第二次大戦後にあらわれ始める、道路沿いの”夢の世界”を想像するのは難したかったでしょう。造花が飾られたカントリーコテージを借り、ブラインドの隙間から、光り輝くサボテン型のネオンサインの写真を撮って、ネイティブアメリカンの文化から発想を得たティピーの中で眠りにつく…。

だけど、20世紀中頃を過ぎると、国道に沿って無数に存在していた伝統的なモーテルの多くは、人々の記憶から消え去り始めました。たくさんの人が好むのは、Wi-Fi環境の整っているようなホテル。もう、モーテルなんて古いのかもしれません。

『No Vacancy: The Rise, Demise and Reprise of America’s Motels』の著者マーク・オクラントによれば、2012年のモーテルの数は約16,000軒であり、1964年のピーク時の61,000軒から大きく減少しているそう。最近でも、その数字は確実に減っているでしょう。

このような状況のなかでルート66の魅力を見出すような行いは、たくさんの人の心の底に残っている想いを、もう一度取り戻そうとしているのかもしれません。

キャンプから始まる
「モーテルの起源」

20世紀の最初の30年間で、アメリカ社会では自動車が生活に欠かせないものに。ほとんどの人が車に乗って、路上へと繰り出し、行動範囲を広げていきました。もちろん、最近のバックパッカーが利用するような宿泊施設は、この時代にはほぼありません。

ミシシッピ川西岸の地域で人気だったのは、キャンプをすること。カジュアルなバイクウェアで堅苦しいロビーを歩きたくないバイカーたちにとっては、野原や湖畔に近い静かな環境こそが魅力的な場所でした。

対して、ミシシッピ川東岸の地域では、一戸建てが宿泊地になっていました。今でも、アンティークショップを探せば、その時代の看板を見つけることができるでしょう。そこにはオーナーの個性が反映されていて、モーテルの経営方法に通じるものがありました。

世界恐慌が長引いていくなかで、キャンプ地よりも、より便利な設備を提供することが儲かる商売のポイントに。当時の農夫や実業家は、石油会社と契約することで給油所を作り、その周りに数軒のキャビンを建て始めたのです。プレハブ製の小屋もあれば、手作りのものも。粗末な作りながらも、独創性のあるものでした。

都心部のホテルとは異なり、車を運転してきた客のための設計がされていました。彼らは部屋の隣などに車を停めることができたのです。さらに、給油所の他にもレストランやカフェが登場し始めました。

暮らすように働く夢を実現した
「モーテルの可能性」

1930年代から40年代にかけて、キャビンやコテージのオーナーたちはコーティアーズと呼ばれ、ロードサイドビジネスを独占しました。

彼らは「家とビジネスの融合」という1つのアメリカンドリームを実現。でも、第二次大戦を迎えると、タイヤやガソリンは貴重なものになりました。

そして終戦後には、アイゼンハワー元大統領はインターステート・ハイウェイの整備を命じました。この建設には10年以上の歳月がかかると見込まれ、完成するまで多くの人があらゆる国道を利用していました。曲がりくねったデコボコの道をのんびりと進み、もし気に入った場所があれば、気軽に車を止めて、小さな街や名所を訪れることができたのです。

孤立したコテージではなく、同じ屋根の下で部屋がいくつもある建物。のちに、Motor Hotelの略として、<モーテル>と呼ばれるようになりました。

部屋はシンプルながらも、外観は地域特有のスタイルを取り入れていました。オーナーはスタッコやアドべ、石、レンガのような身近な材料を上手く利用して、たくさんの人を惹きつけていたのです。オーナーの多くが一生涯の仕事として、モーテルを営むようになりました。

ユニークな外観が時代遅れになった
「モーテルの衰退」

しかし、良い時期は長くは続きません。混雑した中心街を迂回するために作られたインターステート・ハイウェイは、1950年代と60年代に全米中に広がり始めました。

それから間もなく、モーテルとホテルの違いを曖昧にする「Holiday Inn」のようなチェーン店の誕生によって、それまでのモーテルは時代遅れの存在に。ユニークな外観や雰囲気を発見する楽しみは、どこででも同じ品質を得られるという安心感に置き換えられていったのです。

たくさんの人がインターステート・ハイウェイを利用するなか、わざわざモーテルを探す人はほとんどいません。キャンプやコテージの伝統を覚えている人の数は、さらに少ないでしょう。

だけど、多くバックパッカーたちが、ツアーパックから離れて、国道巡りの旅を始めています。彼らはルート66や、キーウェストから始まる国道1号を移動しながら、都会にはない、たった1つの体験を探し求めています。

現代社会で失われたものを取り戻す
「モーテルの希望」

小さなモーテルの衰退は、現代のアメリカ社会で失われた独自性を象徴していると言えるかもしれません。

私たちは、モーテルを「愉快で独特な自由の感覚の象徴」として、「インターネットで接続された世界から逃れるための方法」として、思い描いているのかもしれません。モーテルは、決まりきった日常から旅立つ場所であり、旅行者が新たな人格や過去、未来を形成できる場所なのです。

Licensed material used with permission by Andrew Wood
TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。