不器用な自分からの脱却。売れっ子通訳者の人生を変えた「実感」。

人生に「変化」を求めるとき、行動を起こすことは重要です。自ら動かなければ、結局何も始まりません。

学生時代の苦い経験から、ガラッと180度人生を回転させた女性がいます。『不登校の女子高生が日本トップクラスの同時通訳者になれた理由』(KADOKAWA アスキー・メディアワークス)の筆者、田中慶子さんがその人。

彼女の人生を変えたアクションこそ、留学。ではいかにして成功を収めたのか、高校時代から現在に至るまでのエピソードをかいつまんでご紹介。悩んでいるすべての人にきっかけを与える彼女の声に耳を傾けてみませんか。

単身留学は、現実逃避だった

私(著者)が海外に飛び出したことで得た大きな収穫は、マイノリティーの経験ができたことだと思います。「言葉が通じない」、「自分の常識は相手の常識ではない」、「自分が普通だと思っていることが相手の普通ではない」、そういう経験をアメリカでしたことで常に物事を違う角度から見るクセがつきました。

英語を学んだ経緯を聞かれた際、高校を卒業して単身アメリカに渡り、紆余曲折を経て現地で大学に進学した……と、かいつまんで話すと「たいへんな行動力ですね」とか「勇気がありますね」と言われます。

なんだかとてつもない違和感を感じます。英語も話せないのに、ひとりで海外生活をすることを選んだのは、突拍子なく、見方によっては勇気ある行動に見えるかもしれません。でも、私は行動力や勇気があったから海外に行ったのではなく……いま思えば、逃げ出したのだと思います。 

不器用だった自分
自国で感じるマイノリティー

子どもの頃から、自分が納得する前に大人たちが無条件で与えようとする「正しさ」が苦手でした。意味のわからないルールを押しつけてくる先生も、押しつけられたルールや価値観におとなしく従うフリをする友達も大っ嫌いでした。

彼らは、みんな役割を果たすことを上手にやっているけれど、本当に納得して自分の意思で行動しているようには見えなかったのです。そこにすごく違和感があったし、自分はそうなりたくなかった。人と同じであろうと、違っていようと、自分が正しいと思うことを自分で決めたかったのです。だから、自分で決める前に「正しいこと」を押しつけられる環境が、窮屈で仕方ありませんでした。

それでも私は、周りが押しつける「正しいこと」を無条件で選択できず、受け入れたフリをしてうまく立ち回ることのできない不器用な自分に劣等感を感じていました。

そうして負け続ける自分に耐えられなくなったから逃げたのです。「ここではない、どこか」にいつも行きたかったのは、「みんなの当たり前」が「自分の当たり前」ではないことの居心地の悪さから逃れたかったからでしょう。

私は自分の国にいながら、ある意味マイノリティーでした。自分が「普通」にしていると、周りの人たちと違ってしまいます。でもあえて周りに合わせることもせず、居心地が悪くなっても、自分の意思で考えて決めるという選択は変わりませんでした。

だから自分が大多数と違っても良いと思っていたけれど、居心地の悪さは常にあったのです。

「実感」こそ財産
渡航しての変化

海外で正真正銘のマイノリティーになったとき、なんとも言えない居心地の良さを感じたのは、日本での「マイノリティー経験」のおかげかもしれません。初めてアメリカに行ったとき、「He is different(彼は人と違っている)」という表現を褒め言葉で使っているのを聞いて驚きました。日本で「人とは違う=変わっている」と言われたら、ほとんどの場合はネガティブな意味だったからです。そして私は「変わっている」とよく言われる子でした。

それが、アメリカでは「変わっている」ということが、必ずしも「悪い」ことではなく「個性」として自然に受け入れられていたのです。ここでは人と違っていても、自分で決めて、表現したり行動して良いと自由になった気がした……。言葉が通じない不自由さはあったけれど、初めて訪れた異国の地で、日本では味わったことのない開放感を感じました。人は皆同じではないけれど、違っても良いのです。違っていてもお互い理解し合うことはできるのだと思ったら、嬉しくてたまりませんでした。

「知っている」ことと「実感する」ことは違います。だから私は「留学しようかな」と相談されたら、「とにかく行け」と言うことにしています。費用対効果とか、留学したら就職に役立つとか、そんなことでは測れないほどの収穫があると思うのです。そういう意味では、留学で得るものの中で、語学力などは副産物でしかないのでしょう。

知らなかった世界を知る

子どもの頃から周囲になじめず、「ここではない、どこか」にいつも憧れていた私が、本当に知りたかったことは、「自分の違和感の理由」だったのではないかと感じています。

高校で不登校になり、本格的なダメダメちゃんになった私は海外に逃げました。その頃は、日本の生活に疲れて窮屈さのタンクが満タンを越えて破裂しそうだった……。いや、実際のところ破裂していたのかもしれません。どうしようもない劣等感と破裂するくらいの勢いがなかったら、小心者の私が、後先考えずに海外へ飛び出すことなどできなかったでしょう。

飛び出した後は、目の前のことをひとつずつやってきました。大きな目標や夢があったわけではありません。それでも、一歩踏み出したら、それまでとはまったく違う景色が見えることは経験から実感していました。

私の場合は英語だったけれども、自分が見たことのない世界を見せてくれるものなら、宇宙工学でも文学でも運動でもなんでもいいと思います。自分が知らなかった世界を見ることで、違う価値観を持つ人と出会い、育つ過程で与えられた価値観を見直し、自分の生き方を確立できます。そのときに関心を持つ「知らなかった世界」は人それぞれだろうし、必要なスキルも選ぶ道によって違うのでしょう。

「訳せない言葉」との向き合い方

母国語ではない言語というツールを手に入れることは、その言語を使う人とつながることです。その言語の成り立ちを知ることで、その背景にある文化や習慣や思考回路を垣間見ることだと思います。

通訳するときは文脈やその場で伝えたいことで適切な言葉を選びますが、稀に「訳せない言葉」に出会うことがあります……例えば「エキサイティング」や「コミュニティー」という英語の言葉にピッタリくる日本語の単語はいまだに見つかりません。

言語というのは、その言葉が使われている文化と切り離すことができないのです。状況や人によってその言葉に対する語感やイメージも異なります。どんなに素晴らしい辞書があったとしても、すべての単語を違う言語で完璧にマッチする言葉に置き換えることなど絶対に不可能なのです。だから、通訳は文脈に合わせて聞いている人の理解度に合わせ、状況に応じて「場」を読みながら適切な言葉を選ぶしかありません。

そして、この「訳せない言葉」にこそ、自分が持っている常識や価値観では理解しきれない世界があるように思えて仕方ないのです。

TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。