「祈りなさい。神に悩ませればいい」宗教改革の父、マルティン・ルターのおことば。

何気ない一日に思えるような日が、世界のどこかでは特別な記念日だったり、大切な一日だったりするものです。

それを知ることが、もしかしたら何かの役に立つかもしれない。何かを始めるきっかけを与えてくれるかもしれない……。

アナタの何気ない今日という一日に、新しい意味や価値を与えてくれる。そんな世界のどこかの「今日」を探訪してみませんか?

マルティン・ルターが生まれた日

たとえ明日、世界が滅亡しようとも、今日わたしはリンゴの木を植える——。

あまりにも有名なこのフレーズ。誰の言葉か言えますか?

それまでのキリスト教のあり方を根底から変え、新時代の幕を開いたとされるドイツの神学者で宗教改革者マルティン・ルターの言葉です。

1483年11月10日、ザクセン地方アイスレーベンに生まれたルター。21歳のとき修道士の道に入りましたが、どれだけ熱心に神学を勉強しても、祈りを捧げても、心の平穏が得られずに神を理性で捉えることは困難であるという理解に達します。

禁欲的な生活をし罪を犯さないよう努力し、できうる限りの善行をおこなったとしても満たされない心。そこから、人間は善行ではなく「信仰によってのみ義(正しい)とされる」という境地を開きました。

教会の聖職位階制度を否定し、聖書に根拠のない慣習に抗い、罪の赦しのために制定された悔い改めの礼典に疑問を抱いたルターは、1517年にあの有名な『九十五箇条の論題』を提示。そのなかで免罪符を堂々と批判したのです。

論題はたちまち全ドイツに広まり、教会に不信を抱いていた人々の心に火をつけました。1521年、カトリック教会を破門となったルターでしたが、宗教改革運動の発端となった彼の言動を支持する動きはヨーロッパ各地へと波及。その後のカトリックからのプロテスタント分離へとつながっていくのでした。

さて、そんなルターが遺した名言の数々を今日はご紹介したいと思います。

誰が「正しい」と言おうとも、自分の良心に反するのならば、それは正しくはない。

「今でなくても…」が「やらなかった」になるのは、じつに早いものだ。

あなたの善行を必要としているのは、
神ではない。隣人である。

もしも、世界を変えたいのであれば、
ペンを持って書くことだ。

死は人生の終末ではない。生涯の完成である。

人は自分が発言したことだけでなく、
発言をしなかったことにも
責任を持たなければならない。

希望は強い勇気であり、新たな意志である。

祈りなさい。神に悩ませればいい。

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TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。