インディアンの言葉を胸に刻みながら、俺は『今日は、死ぬにはいい日だ。』という本を書き上げた -VOL.3-

Today is a very good day to die.

この言葉は、俺の人生を2度も変えた。
1度目は、2001年にナバホ族から、インディアンネームを授かった時のことだ。これに関しては、前回詳しく書いたので割愛する。

2度目は、2005年だった。俺はネイティブ・アメリカンの聖地で、見て、聞いて、感じたことを詩として書き留めはじめたのだが、あの奇跡的な旅を忘れないために「1冊の本にする」という次の夢を持った。紆余曲折を経て、ある編集者からポジティブな返事を貰えたのは、4年後のこと。時間はかかったが、こうして1冊の本が生まれることになった。

そのタイトルこそが、先出の言葉からインスピレーションを受けた『今日は、死ぬにはいい日だ。』だったのだ。

逆風の中でも
諦めずにやり続ける

インディアンネームを手に入れた旅から、2年の月日が流れていた。俺は、時間を見つけては、あの時に味わった体験を詩のフォーマットで書き綴っていた。ノート1冊分を書き終えると、自分自身が経験した物語を残したいという気持ちが芽生えはじめた。

ナバホ族の格言に「素晴らしい夢を見て、それを行動に起こせ」というものがある。俺はその言葉に何度も背中を押してもらったし、勇気ももらった。

当時、俺は、広告業界でコピーライターとして仕事をしていたのだが、正直なところ、出版業界には誰も知り合いがいなかった。同じマスコミでもほとんど繋がりがなかったのだ。当然、本を書いた経験もない。五里霧中の状態だ。けれど、諦めることだけはしたくなかった。簡単にギブアップしたら、俺を生き返らせてくれたナバホ族の人々に合わせる顔がない。そして、俺は、再び、自分自身でアクションを起こすことにした。

まずは、大きな書店へ足を運ぶことからスタートした。何となくメッセージ色が濃い本になる気はしたが、明確なアウトプットのイメージはできていなかった。だから、詩集から、絵本・自己啓発本、ネイティブ・アメリカン関連本まで様々なジャンルの書籍を読み漁った。このリサーチによって、どんな本にするべきかは、おぼろげにも見えてきた。

次に、名前も聞いたことがない小さな出版社から、原稿を送りはじめた。でも、これまで1冊の本も書いたことのない俺にとって、出版社の反応は決して芳しくはなかった。中には、原稿を読まずに送り返してきたところさえあった。結局、原稿につけ加えて情熱を込めた手紙をセットにおよそ20社へと送ったのだが、どこからも返事は来なかった。想像以上に道のりは厳しく感じたものだった。

そんなある日、小さな出版社の編集者へのアポを半ば強引に取りつけることができた。ようやく、ほんの少しだけ、前進したのだ。その編集者は、ネイティブ・アメリカン関連の書籍を出版した経験もあった。さらに、俺と同世代ということもあり、意気投合して、書籍化に向けて打ち合わせをする関係にまで発展した。しかし、半年後、その編集者は突然、退社することに…。再び、話は白紙に戻ってしまったのだ。

いたずらに時間だけが過ぎていった。

「このままじゃ、埒があかない」
俺は、作戦を変えた。それまでは、中小規模の出版社を中心に原稿を送っていたのだが、逆転の発想で、大手の出版社へと狙いを変えたのだ。早速、当時、勤めていた外資系広告代理店の資料室に出向いて、日本の出版社の売上ランキング一覧を手に入れた。

そして、上位の大手出版社へ原稿を送る戦法に切り換えたのだった。

ある日を境に
運命的な出会いが連鎖していく

小学館の編集者から、ポジティブな返事がもらえたのは、間もなくしてからだった。

その編集者は、児童文学を担当する女性だった。最初の打ち合わせで、彼女は不思議なことがあったことを口にした。当時、小学館ともなれば、俺みたいに原稿を送ってくる者は数多く、その編集者の机の上も未開封の封筒が山積みされていたらしい。しかし、ある時、ふと息をついた瞬間、その山の一番上にあった封筒が偶然にも目に飛び込んできたようだ。それが、俺が送った原稿だったとのこと。

俺の書く文字は、かなり個性的だと言われる。海外に暮らして以来、横書きに慣れてしまったせいか、横長で、まるで潰れたような文字しか書けなくなったのだ。「ずいぶん変わった文字ね」と女性編集者は思ったそうだ。まさか、それが功を奏するとは夢にも思わなかった。結局、俺の特徴ある文字は、その編集者に興味を与えたのだった。

それから、打ち合わせを繰り返して、原稿の中身が固まっていった。物語は、「詩」「ネイティブ・アメリカンの格言」そして「旅をした状況を語るストーリーライン」の3つのパートで再構築された。コンセプトは、現代に生きる人々に勇気と癒しを与える大人の絵本。俺がインディアンネームを授かった希少な体験を、言葉と絵によって幅広いターゲットへと届ける方針が決められた。

とはいえ、俺は、絵は描けない。だから、絵を描いてくれる人を探さなければならないと告げられた。しかし、この時には、すでにあたりはつけていた。ワールドフォトプレス社のムック本で『インディアンの声を聞け』という号の巻頭をイラストと文で飾った華丸という男の存在が心の中にあったのだ。

プロフィールを読むと、俺と同じ1969年生まれ。ドリーム・キャッチャーを描くためにタオス・プエブロにも訪れていることも判明した。さらに、俺同様にネイティブ・アメリカンの聖地で、スピリチュアルな体験をしたことが綴られていた。「こいつしかいない」俺の中で、そんな声が聞こえた。早速、華丸の連絡先を調べて、勢いでアポをとりつけた。数日後、俺たちは下北沢にあったDUKEというネイティブ・アメリカンの居住区を彷彿とさせるバーで落ち合った。

初対面なのに、俺たちは、すぐに打ち解けはじめた。ターコイズブルーの空、赤茶けた大地、大空を自由に飛ぶイーグル…。聖地で体験したのお互いの物語を交換していくうちに話がどんどん盛りあがっていく。俺の直観は確信へと変わった。「絵を描いてくれないか?」気がつくと俺は切り出していた。華丸は笑顔でうなずいてくれた。

素晴らしい夢を見て
それを行動に移せ

俺は、小学館の編集者に「華丸という奴に絵を描いてもらいたい」と伝えた。別のイラストレーターの候補を勧められた時「あいつより、いいイラストを描ける奴はいない」と俺は切り返した。小学館社内での最終稟議書が通り、決済されて、トントン拍子に話は進んでいった。書籍の装丁には、堀渕さんというベテランの装丁家が女性編集者より推薦された。この瞬間、ようやく、すべてが繋がったのだ。

2005年の年始明けに、編集者、華丸、堀渕さん、そして、俺の4人でキックオフミーティングが行われた。その時に、大まかなスケジュールが発表された。初版は、7月1日。約半年の月日をかけながら、原稿は完成形へと近づいていった。このチームでは、様々な議論がされたが、どんな時でも1つのゴールに向かっているという意識は強かったように想う。

クリエイティブ同様にチームにおける連体感は、とても大事だ。しかし、俺も華丸もまだ若かった。時には、歯に衣着せぬ発言をして編集者を困らせていたようにも感じるが、一方で、変な遠慮をせずに「いいものをつくり上げるんだ」と本音を言いあえる関係だからこそ、最高のケミストリーを引き起こせたのだろう。

『今日は、死ぬにはいい日だ。』が出版されると、新聞や雑誌を中心に様々なメディアがピックアップしてくれた。俺は、間もなくして、共同通信社からの取材も申し込まれた。これらの一連の体験は、広告というフィールドを越えて言葉を紡いでいく面白さを俺に教えてくれた

俺にとって「1冊の本をつくる」というのは、『人生の100のリスト』の1項目だった。そのリストに書かれたことをやり遂げる行為は、俺の人生においてとても重要なのだ。しかしながら、本を作ることは初経験であり、決して思い通りに進むわけでははなかった。でも、諦めずにやり続けることで、必ず夢は叶うんだということに改めて気づいた。

「素晴らしい夢を見て、それを行動に起こせ」

夢を叶えられるか、否かの差は、結局は情熱の差じゃないかと想う。得てして情熱というのは、自分自身を奮い立たせると同時に、人へと伝染していくものだ。振り返れば、夢を叶えられたのは、決して自分の力だけではない。そこには、多くの人々の協力を得なければ実現はできない。しかし、とどのつまり自分の夢を人に伝えるのも、己の情熱であり想いなのだ。

現代は、インターネットの発達によって、様々なものが簡単に手に入る時代となった。しかし、自らの夢はどこにも売っていないし、簡単には手に入れることはできない。「日本の若い人たちは、夢を持てない」という話もよく耳にするが、夢を持って行動している若い奴らを俺は何人も知っている。

夢は、人によって違う。しかし、誰にでも共通しているのは、自らの夢を1番知り得ているのは自分自身だということだ。そして、夢自体は決して逃げないということだ。結局、逃げたり、諦めてしまうのは、いつも自分自身ではないだろうか。だから、何度でも繰り返して伝えたい。「素晴らしい夢を見て、それを行動に起こせ」と。それは、俺自身に向けた言葉でもある。(つづく) 

Top Photo by Mami Higuchi
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