「ユーロトンネル」は、ナポレオン1世の「悲願」だった。

何気ない一日に思えるような日が、世界のどこかでは特別な記念日だったり、大切な一日だったりするものです。

それを知ることが、もしかしたら何かの役に立つかもしれない。何かを始めるきっかけを与えてくれるかもしれない……。

アナタの何気ない今日という一日に、新しい意味や価値を与えてくれる。そんな世界のどこかの「今日」を探訪してみませんか?

英仏海峡トンネル(ユーロトンネル)が開通

イギリス南部の港町フォークストンと、ドーバー海峡を隔てたフランス北部の町カレーをつなぐ「英仏海峡トンネル」。通称ユーロトンネルが開通したのは、今から29年前の今日のこと。

それ以前は、両国間の行き来は飛行機、あるいは船でしかできなかったことを思うと、海の底をつなぐ架け橋は、両国だけでなくヨーロッパにとっても意義のある事業だったに違いありません。

工事着工は1986年。ヨーロッパの経済活性のためという、多くの人々の思いに後押しされるように掘削作業は順調に進み、1990年にはトンネルが貫通。そうして1994年5月6日、ついにドーバー海峡を海底でつなぐトンネル、通称「ユーロトンネル」が開通しました。

全長50.49kmは、スイス・アルプス山脈にかかるゴッタルドベーストンネル、日本の青函トンネルに次ぐ3番目の長さ。海底部分の長さは世界一となる37.9kmです。

ところで、「ドーバー海峡にトンネルをかけよう」とする計画が、どのくらい前から構想されていたかご存知ですか?

その歴史は驚くほど古く、ナポレオン1世の時代に遡るんだそう。現代のような測量技術も掘削技術もない時代に、いったいどのようにトンネル建造を計画していたのかは定かでありませんが、発想自体がぶっ飛んでますよね。

その後も多くの計画が立案されたものの現実には至らず、図面上の空論だったり、簡単な調査に留まっていたそうです。

計画が最初に具体化したのは1865年のこと。イギリスの列車運行会社サウスイースタンとロスチャイルド家より資金提供を受けた土木技術師John Hawkshawが、海底地質調査を実施。この結果、掘削が技術的に実現可能というところまでは明確に。

ここからドーバー海峡をつなぐトンネル構想は一気に本格化。イギリス・フランス両国で計画が進んだものの、建設計画が立ち上げられては失敗を繰り返すばかり。ナポレオン1世が進めた最初の計画から、じつに26回を数えていました。

そうして21世紀を目前に控えた1994年、ついにナポレオンの夢が現実のものとなったのです。

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