256歳まで生きた「李青曇」の記録と、そこに書かれていた500歳の老人の存在
これまでの歴史の中で確証のある最高齢の人物として知られているのは、122年と164日間を生きたフランス人女性、ジャンヌ=ルイーズ・カルマンさんだ。
しかし、そんな常識の範囲をはるかに超える人物が存在していた可能性がある。「Spirit Science and Metaphysics」に紹介されていた中国の男性は、文献上256年もの年月を生きた。一体どういうことなのだろうか。
Reference:WIKIMEDIA COMMONS
※Written by Steven Bancarz
「李青曇」の200歳を祝う
祝辞の記録
1930年のニューヨーク・タイムズの記事によれば、中国の成都大学教授Wu Chung-chieh教授が発見した文献の中に、1827年に「李青曇」が150歳の誕生日を祝ったとの記述があったそうだ。さらに、1877年には200歳の誕生日を祝っていることが記載されているという。
当時の政府が発行した記録という点が、実在した可能性を感じさせる。
該当地域の人々からは
「実際に会った」との発言も
それだけではない。文献以外での調査でもいくつか不思議な点が見つかっているそうだ。1928年にニューヨーク・タイムズの記者が行った調査では、「李青曇」がいた地域の老人たちの多くが、祖父母から彼と会ったことがあると話を聞いているようだ。
この地域では確かに知られている人物であることから、架空のうわさ話とも言えない要素が確かにあるように思える。
漢方医として暮らし
多くの人々に愛された人生
彼は10歳から漢方医としてのキャリアをスタートしている。山で薬草を集め、長寿への効能を学んだ。40年間、霊芝やゴジベリー、野生の高麗人蔘やフォーチ、ゴツコラ、といった薬膳と米酒を飲んで生活を送っていたとされている。
1749年、彼は71歳にして格闘技の講師として軍隊へと入隊。当時のコミュニティの人々からはとても愛されていたようだ。驚くことに、23回もの結婚を経験し、200人の子どもを授かったと記録が残っている。
旅を愛する自由人だった?
読み書きについては子どもなみだったと言われているが、10歳で甘粛省、山西省、チベット、ハノイ、シェム、満州を旅するなど、自由な暮らしを送っていたようだ。最初の100年を超えると、誰かに集めさせた薬草を売って生計を立てるようになったといわれている。
そんな彼が晩年に自分の人生について語った発言にも注目だ。
この世界でやるべきことは全てやった
256年という長い人生をこの言葉で締めくくるということが何を意味するのだろうか。当然、今の私たちには想像できるはずもない。ちなみに、長寿の秘訣をきかれた際にはこう答えているという。
静かな心を保つカメのように座る鳩のように活き活きと歩き犬のように眠ること
これは当時の軍の指揮官、Wu Pei-fu氏が「李青曇」を家に招いた時に送られた言葉として記録されている。
「500歳」の人物との出会いも?
なかでも気になるのは、彼の弟子のうちのひとりによる発言だ。その人物は一度500歳の老人に会ったことがあるという。老人からは気功や、寿命を伸ばして超人的な身体環境を整える食事法について学びを受けたという。まるで仙人だ。
一般的な平均寿命といえば、80歳そこそこがいいところ。100歳以上生きる人というのはかなり稀だ。ましてや、200歳まで生きる人間がいるだなんて、疑わしいことこの上ない。
しかし、裏を返せば信じられない理由だってわからないことは確かだ。
もしも、現代人が生きているような9時-17時の生活とはかけ離れた生活だったとしたら。
ストレスとは無縁で、都会の汚れた空気を吸うこともなく、充分な運動や、自然の恵みによる健康的な食事で生活することができていたとしたらどうだろうか。
確かに、偶然にも人体に最適な生活スタイルを実践していたとすれば、長い歴史の上でそれだけ長寿だった人が1人や2人いたとしても不思議ではないのかもしれない。
…さすがに考え過ぎだろうか?
Top Photo:WIKIMEDIA COMMONS
Reference: Spirit Science and Metaphysics
About the author: Steven Bancarz is the creator of ‘Spirit Science and Metaphysics’.
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