「なぜ危険を冒すのか?」御柱祭を目撃して感じたこと

日本3大奇祭のひとつに数えられ、数え年で7年に一度行われる長野県諏訪地方の御柱祭。

7トン超えの巨木を山から切り出し、諏訪大社まで最短距離で運ぶために川を越え急斜面を滑り落ちる豪快な祭りとして知られ、勇猛果敢な氏子を乗せたまま坂のてっぺんから一気に滑り落とす「木落し」の迫力あるシーンをニュースや映像で見聞きした人も多いだろう。

Photo by Isoi Reiji

この急な坂から人が乗ったまま大木を落とすのだ。「奇祭」と言われるのもよく分かる。

それにしても、山から切り出した大木を生活圏まで搬送するために斜面を利用して木を運ぶことは、巨木を人力で運ぶ手っ取り早い方法であることは確かだが、大木の先端に人を乗せて落とすという危険を冒すのは、不合理ではないか。素朴だが、誰もが思うはずだ。

「なぜ御柱祭の木落し、建御柱の儀式では人を乗せるのだろう?」

これは、語るよりも雄弁な
知恵の伝承なのかもしれない。

Photo by Isoi Reiji
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御柱は諏訪湖の南北に鎮座する諏訪大社の上社と下社でそれぞれ催され、御柱の候補となる木を決める「仮見立て」にはじまり「建御柱」といった全ての行程を合わせると、およそ2〜3年がかりとなる。

なかでも「木落し」は難所として知られ、当日は付近の小学校も休校となり地区の大人が総掛かりで儀式をおこなう、数ヶ月がかりの祭りのなかでもハイライトと呼べる行事でもある。

御柱祭というと、この木落しにまつわる荒々しさや、過去に死傷者が出ていることから危険な祭りというイメージがつきまとうが、どの行事も注意深くみると、諏訪地方に古来より伝わる高度な土木技術や、自然と共生する人々の知恵とが密接に絡んだ象徴的な儀礼の数々から成り立っていることがわかる。

古来から諏訪の人たちは山から切り出した材木を生活する街まで曳いてくるという営みを続けている。自然の恵みと同時に、その厳しさや怖さをも熟知した人々がもつ知恵を、より深く共有するために祭という体験は、語るよりも多くを伝えることができるのだろう。

あるいは、その命がけの行為からは、畏怖するものへの人身御供や生贄としての意味合いが連想される。

そのような行為は古代において多くの文化圏で共通して見られるものだ。あるいは、祭という晴れ舞台で山とともに生きる男たちの勇敢さを示すためなのかも知れない。

ひとつはっきりと感じられることは、祭の根源的な楽しさ、熱狂、混沌と狂騒がまきおこす熱がそこにある。

必死で、その一瞬に全力をかける瞬間、スポーツや音楽イベントなどカタチや形式は違えど、人々が熱狂する仕組みは古今東西、同じなのだ。

古老の一言に感じた、
伝統を守るために必要な変化。

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現在の御柱祭は有料の観覧席にも多くの観客と報道陣がつめかけ、その様子はテレビで生中継されている。

祭を見に来た人々の多くはスマホを手に持ち、現場の状況は瞬時に拡散される。事故は絶対にあってはならないことという前提のもと最善が尽くされたうえで、氏子たちは命を懸けて木に乗っているはずである。

その日、3本目となる木落は予定の時間をかなり過ぎてもなかなか落ちてこない。木落の現場付近で、地元の古老、いかにも幼少期から御柱祭の体験を何度も重ねたであろうベテランの風格を漂わせる男性がふと放った言葉が印象的だった。

「スポンサーの名前だしたり、全部済んでからじゃないと落ちないから、まだまだ時間かかるよ。まったく」

予定の時間を過ぎても一向に滑り落ちてこない状況のなか、気怠そうに。古き良き時代を知る人のなかには祭の純粋性、元型をとどめたいという願望があるのだろう。

祭の舞台裏、大人の事情ともいえる古老の吐露した言葉を聞いて、あらゆる行為や物事が広告化される現代、高度に発展した社会のもとに生きる我々と同様、御柱祭もそうしたことから免れ得ないようだ。

伝統を守ること。伝統を無くさないために、時代に合わせて変化しなくてはならないこと。御柱祭のなかにはそのふたつの間で揺れる地元の姿があった。

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