【対談】佐々木俊尚から高城剛へ「どうして今、南の島をまわっているんでしょう?」

今、高城剛は世界中の南の島をまわっています。もちろんリゾートを満喫しているわけではありません。

一時帰国した高城剛とジャーナリスト佐々木俊尚の対談には、その答えが!

佐々木 名刺をいただいたんですが、ハイパーメディアクリエイターとか、住所とか書いてない。というか、名前以外何も書いていませんね(笑)。

高城 あと家紋も書いてありますが、怖い人みたいですよね(笑)。いまも昔も肩書きを入れたことがありませんが、ここ数年は住所もないというか拠点もないんです。よく言えばモバイルで、年々早い速度で移動しています、仕事も場所も。

とにかく3日と同じ街にいられない性分です。この1年間だけで50カ国以上まわり、複数回訪れる国も少なくありません。だから、取材依頼や面会依頼があっても、ほとんど対応できないのが正直なところなんです。

今回は、自著の『人生を変える南の島々』シリーズの編集者が「大きな講演会もやるんだから、たまにはメディアに出て話せ」ってね。なかば強要でしたね(笑)。

佐々木 普段は自著の出版タイミングでも、ほとんど取材を受けたりはしないんですね。

高城 不在が多く、物理的に難しいのが現状です。オファーいただいても、三日後には別の国にいますからね。今回は珍しく東京に2週間ぐらい滞在する予定なので、編集者と「どこかメディアに出よう!」「どこがいいんだろう?」っていう話になって、誰かが「TABI LABOとかいいんじゃないですか」って。そしたら、元祖オフィスはいらない宣言の佐々木さんと対談だって聞いたんで、楽しみに来ました。

佐々木 ありがとうございます(笑)。今、海外に住まいがあるわけでもなく、ホテル暮らしですか?

高城 どこに行ってもホテルです。ヨーロッパは永住権も持っているし、住もうと思えばあらゆる国に住めます。欧州内は楽ですよ、移動。

佐々木 ああ、EUだから。

高城 はい。ベルリン行ったり、バルセロナ行ったり、パリ行ったり。飛行機も新幹線より安い。

佐々木 ホテル暮らしは何年ぐらい?

高城 もう…随分です。わかりやすく言えば多動症なんだと思いますね、僕。最近は「多動力」ってポジティブに言い換えているんですけどね。もともと大学生時代も2年半ほど乗用車で暮らしてたんです。同じ場所の同じ家に住むっていうのが、なんか落ち着かなくて。

佐々木 高城さんが学生時代っていうことは、80年代のバブル期?

高城 まさにあの頃、車に住んでたんです。木陰があって車が停めやすいからってことで、西新宿の辺りに停めて。

佐々木 まだ都庁ができる前ですよね。淀橋浄水場があった頃だ。

高城 それがね、車の中で寝てたら、どんどん都庁ができてくるんです。それを見て「このままじゃいかん。社会復帰しよう!」と思って、初めて家を借りたんです。そこからは引越し魔になって、どんどん引越しを。

佐々木 引越し魔って、どれぐらいの頻度で?

高城 初めの頃は、家に住むのに抵抗があって、長くて1年。

佐々木 敷金礼金が無駄になってそうですね(笑)。最後に暮らした家は?

高城 青山の60畳ぐらいのワンルーム。ここは少し長くいただけあって、そこに巨大な書庫を作って、どんどん本とかスニーカーとかガジェットとかが増えてきて、本だけで10万冊とかになってしまって…。

でね、ふと「僕はこのままモノに囲まれて生きていくのか?」って。全部捨てたんですよ、ドバッっと。アナログレコードとかも全部デジタル化しました。そこからですね、世界中を転々とする生活は。2007年頃かな。以降は今まで、半年以上同じ町で暮らしたっていう記憶がありません。ここ数年は、3日と同じ街にいません。

今回の東京2週間滞在は、10年前の僕の2年間滞在ぐらいの感じ。感覚が変わったんでしょうね。ダイアルアップが光ファイバーになったように。

佐々木 移動生活の中で、何か気づきみたいなものはありますか?

高城 とくにないですね。でも、落ち着きますよ。

佐々木 移動しているほうが落ち着くのは想像がつきますが、かつてのようにモノは所有できないですよね?

高城 欲しいものはどんどん買ってます。

佐々木 ホテル暮らしで?

高城 はい。例えば、今日は都心のホテルに泊まってるんですが、オンラインでどんどん注文して、毎日のようにモノが届きます。で、移動する前に人にあげちゃったりするんです。

佐々木 例えば、何を買うんですか?

高城 いわゆるデジタル機器というか。最近はドローンの仕事も手がけているので、毎月のようにドローンを買っています。今月はwindows10のタブレットも3台買いました。全部売ったり、人にあげちゃったりしてます。あれは、ダメですね。OSの考え方が前近代的。

佐々木 それって何のために購入しているんですか?

高城 使ってみる、ですね。触ってみて「これは僕と合わないな」って。で、すぐに売ったり、あげちゃう。値が落ちる前にね。使わないと、わからないこと多いから。

いまの生活を移動距離に置き換えれば、1年にだいたい地球を4-5周ぐらいしていますけれど、荷物は10リットルのバックパックだけなんです。それに本当に選び抜かれたガジェットと着替えとか詰め込んで、それだけで移動しています。最近、『Life Packing2.1』という、自分の持ち物を公開した本も出しました。自腹で買って、世界中で使い込んで残ったモノですから、よくあるタイアップばかりのモノ雑誌とは違いますよ。

佐々木 モノ好きというか、ガジェット好きの側面と移動生活を両立させているっていうのは、すごく不思議ですね。高城さんらしいというか。

佐々木 突然ですが、高城さんの人生の目的って何なんですか?

高城 おお、すごい質問ですね(笑)。さすがジャーナリスト!

人生の目的…あまり考えたことないですね。日々わりと楽しく暮らしているつもりです。あまり大きな目的とか目標とか考えてません。どこに向かって行くか、ということを気にしたことがないんです。よく言えば心配がない、悪く言えば計画がない。生まれもったソースコードに、ただ従ってる感じです。

佐々木 人間って常に自分の将来はどうなのかと不安だったり、あるいは何か軸を作らないと、自分がどこにいるかわからないっていう不安定さに苛まれるっていうのが一般的だと思うんですが、高城さんにはそれがない?

高城 多分、同じところにずっといたら、そうなると思います。

例えば、1年ぐらい代々木上原で暮らすとします。なんでもいいです、仕事のため、結婚してそこで暮らさなきゃいけない、なんでもいいけど、とにかくそうなったらきっと不安です。

佐々木 何に対して不安を感じるんですか?

高城 きっと「僕はこのままどうなるんだろう?」と考えて、落ち着かないと思います。まあ、縄文時代の人たちが、人生の目的なんか考えてなくて、生きることに精一杯、そのために移動するのと近いのかもしれません。

佐々木 僕も移動は好きです。だからこそ興味がありますね。移動することの不安定と安定のバランスってどこにあるんだろうって。そもそも人間には引越しが好きな人と嫌いな人の2種類がいるという考え方もあります。

昔からノマドと言われるような、移動する民族は人類の中に一定数はいますよね。遊牧民なんかはそう。常に移動している。だけれども、ひょっとしたら、もっと遡って狩猟採取の時代は、全員が移動しながら暮らしていたかもしれない。

高城 人類は移動を繰り返してきたと思いますよ、生き残るために。

佐々木 ところが、農耕が始まって定住するようになった。つまり、定住自体が新しいんであって、もともと移動していたんだって考えると、定住することに不安を感じず、なんとなく幸せな気持ちになれるってほうが、不思議なのかもしれない。ひとつの考え方ですけどね。

高城 わかります。僕はね、脳が変化したと思っているんですよ。この2000年ぐらいで。

佐々木 変化しなかった高城さんのような人もいる(笑)。

高城 多分、そうです(笑)。もしくは、さらに進化したかのどちらかでしょうね。

調べてませんが、いわゆる縄文型ミトコンドリア遺伝子が、なにかをきっかけに眠っていたのが起き出して、ついでに変化したのかもしれません。

2000年から3000年前に、脳が定住にあうように変化したことで、同時に理性や新しい道徳心みたいなものを持ちはじめたわけですよね。輪を大切にしようとか、そういう話です。それがここ2000年ぐらいの人類の変化。移動している時代には、輪も何もないわけで。

でも、決まったところで暮らすと、採れるものも決まってるし、人も土地も決まって、絶対総量を取り合う関係も生まれる。人間は欲深いので、アミニズムではない近代的な宗教も必要になります。だから、輪や協調性を考えなきゃいけない。最近で言うとコミュニティみたいなものも含みます。それは、輪を大切にしないと成り立たない社会があって、そのために脳が変化したんだと思うんですよ。

この2000年前からの変化は、もしかしたら、もともとあったものを封印したのかもしれませんし、その仕事が宗教だったのかもしれません。いま、綻びているのは、それが理由です。

佐々木 なるほど。そうすると、反対に脳が変化しなかった高城さんにとってコミュニティ感覚ってどんなものなんですか?

高城 僕、帰属意識がないんです。

佐々木 一人で構わない?

高城 寂しい、みたいな気持ちってあまりないんですよ。でも、一人で構わないとは思ってません。友達もわりと多いほうだと思うし、社交的だとも思います。ただ、同じような友達が異常に多いですね。

佐々木 同じっていうのは?

高城 落ち着かない。同じ場所にいられない。僕の周りに「家がない」って言ってる人、しかもちゃんとしたビジネスマンで仕事もメチャできる人、10人やそこらじゃないです。

佐々木 その人たちも移動していることが多いんですよね。どうやってコミュニケーションをとってるんですか?

高城 直接会うことはあまりなくて、メールかな。最近だとSlack。僕はLINEとかSNSは全然やらないんですけど、Slackは使いますね。

佐々木 FacebookもTwitterもやらない。どうして?

高城 なんか幸せを見出せない…かな。

佐々木 でも、Slackには見いだせる?

高城 目的がはっきりしていますからね。メールに余計なものが増え、本来の機能性に欠けはじめた最近、Slackのほうが単純にコミュニケーションが早いですよね。

仕事で開発なんかするときとか。ハードウェアの開発者とOSの専門家とか、いろんな人と一つのものに向かって行くときにSlackは向いていると思います。ちょっと重いですけど。

佐々木 たしかにSlackはオブジェクト指向というか、目的あってのツールですよね。つまり、クローズなコミュニケーションになる。SNSのように、オープンに人とつながっていく必要はあまりないという考えなのかな。

例えばですけど、高校や大学の同級生とつながりたいとかは思わない?

高城 まったくないですね。いや、偶然町で会ったら話はしますよ。でも、わざわざつながろうって感覚はありません。幼なじみに会いたいな?とかって気持ちもあまりないです。まず、古いことに、まったく興味が湧かない。どんどん先に行きたいから。

佐々木 なんとなくつながっているというよりも、目的があってつながっているっていう。

高城 そうかもしれません。達成したら終わり。開発が終わって、プロジェクトチームが解散したら、終わり。そこでつながっていた人たちとは、もしかすると、もう会わない。

佐々木 継続的なコネクティビティみたいなものは?

高城 ちゃんと友達はいるんですよ(笑)。本当に困った時だけ、本気で助け合います。あとは、知りません。近況は会った時の楽しみです。考えれば、友人たちのほとんどは、SNSをやってませんね。

そうそう、僕は仕事の会食とかも行かないんですよ。まずもって仕事が1日4時間以上できない。限界なんです。だから、残りの時間はブラブラしたり、それこそ友達と会ったり、ジムに行ったりしてるんです。夜はだいたい友人たちとご飯食べるかな。

だから、継続的な関係がまったくないわけじゃないんです。ただ、そこに執着していないだけかもしれない。しがらみは、負債ですからね。ネットワークとフットワークに負荷をかけます。

佐々木 20世紀以降の先進国の人の暮らしって、同じ場所で週6日働いて、1日休むみたいなのが当たり前になっています。休暇は定期的なもの。一生かけて旅行するといった中世的な生き方はなくなって、週末とか夏休みとか、バカンスとして休みをとるっていう生活。

だけど、それもだんだん終わりを告げて、インターネットが普及して、英語の標準化みたいなのが劇的に進んだ結果、島国の日本においても、海外に出るコストとか心理的ハードルが極めて低くなった。そこで、高城さんのような人たちが増えてきているのかな、とも思うんです。

高城 週6日働いて、1日休むのは、まさに宗教ですよね。僕は昔からある一定数、こういう感じの人はいたと思うんです、決まった日々を決まった場所で送らないような。ただ、社会からわりとはぐれていて、どうしようもなかった。完全に社会からドロップアウトっていうか、アウトローではないと思うけど、アウトサイダーではあったんじゃないかって。

ところが、コンピュータが普及することによって、そうじゃなくなった。コンピュータが発達していない25年前のままだったら、僕はこんなふうに注目を集める存在ではないし、佐々木さんとこんなふうに話もできなかったと思います。デジタル革命によって、僕らは回収されたっていうか、むしろ間違ってお金持ちになっちゃたりして( 笑)。

それと、25年前に東西冷戦が終わり、ふたつの壁がなくなりました。ひとつは、まさに東西の壁がなくなり、世界がひとつというか、米国主導に変わっていった。グローバリゼーションというか、アメリカナイゼーションと言われる所以です。そこで、もうひとつの壁も無くなったんですけど、ほとんどの日本人は気がついていません。

東西冷戦の時代には、物事に裏があって当たり前でした。なにしろ、冷戦下でしたから、裏があっても仕方がなかったんです。しかし、その後東西の壁がなくなったことで、裏が必要なくなり、また、インターネットの普及も後押しし、裏というか閉鎖性が足かせになったり、悪だと言われるようになってきた。だから、いままでの社会システムに属さない、そして裏があるようで実はない人が、浮上してきていると思います。この人たちが、次の社会を変えるキーマンになるでしょう。

そして、もうひとつ。エスタブリッシュメントに対して、アウトサイダーという対立構造も生まれてきた。既存組織に対して、個とも言えます。

ですので、コンピュータに長け、国際感覚を持ち、裏がありそうでなく、アウトサイダーで、その上、経済的に自立、すなわち他者の影響を受けないそれなりのお金持ちであること。そのような人たちが、結果的に生き残り、今後活躍するんだと思います。もしかしたら、ドナルド・トランプなんかも、そうかもしれません。

佐々木 なるほど。増えてきたというよりも、目立ってきた、と。

高城 そして、多動的であることですよね。イーロン・マスクなんかも典型的だと思います。あの人は、普段服もまともに着れないわけですよ。もう服着ながら次のことやっちゃってるから。25年前なら、ただの変人です。

「ワイヤード」の編集長だったクリス・アンダーソンとかもそう。クリスとか、会議に15分出てられない。僕らは、たまたまいい時代に生まれただけだと思いますよ。

佐々木 そうかもしれない。

高城 過去にもいたんですよ、松尾芭蕉とか。でも、ほとんど多動力のある人は表に出てこれなかった。自分を振り返れば、移動だけでなく、移動しながら別々の本を7冊平行して読んだりします。かつてだったら、考えられませんが、Kindleがありますので、いい時代になりましたよね。まさに、多動力の世界になったように思います。

あと、ちょっと横に逸れますが、多動力の異様に高い人って、同じような人のことばっかり気になっちゃうんですよ。止まってる他の人がいまいち見えてない。でも、動いてる人がいると「おっ、向こうで動いてるヤツがいる」と、すごく気になるんです。

佐々木 共鳴する感じですね。

高城 いい言葉で言えばですけどね。だから、僕もクリスなんかも大事なインタビューで全然違う話をしている。「お前のメモ用紙、それは何?」みたいな。議題とか関係ない(笑)。

佐々木 皆とは違うところに着目してしまう。

高城 全然違うんです。それは僕もそうですが、議題とかどうでもいいというか、気にならないんです。

佐々木 そういう意味では、インターネットの登場によって救われた部分はありそう。

高城 インターネットもそうだし、僕はコンピュータのアーキテクチャ自体が受け皿になっていると思うんです。マルチタスキングとか。コンピュータっていう基本的な思考がマルチタスキングを可能にしてくれるから、僕らはいろんなことやっていられる。

例えば、本を書くという作業もそうです。僕はだいたい7冊ぐらいを並行して書いてます。締め切りなんてなくて、書けたら出版社に渡す。だから、締め切りがある書籍は受けられないんです。うまくハマると、1日で一冊書けるのですが。

佐々木 今のマルチタスキングの話に近いところでいくと、情報の消費もそうですよね。今まで情報っていうのは作られた番組とか書籍とか。それが、チャネルを通していろんなところに流れていて、そのチャネルそのものをメディアと呼んでいたわけです。

それがインターネット時代になって、検索もあるしSNSもあるし、ありとあらゆるところに情報がありますよね。ある意味、自分が望んだ瞬間に情報が手に入る。情報がジャストインタイムみたいな状況になってきていて、常にすべてがあるっていう。ありとあらゆるものを同時並行的に吸収、消費するっていう状況が出来ているわけです。

高城 多動で多層って、人類史上はじめて注目に値していると思います。

佐々木 例えば、2000年代に入って『24-TWENTY FOUR-』って流行ったじゃないですか?

高城 アメリカのテレビドラマですね。

佐々木 あれって、ワンエピソードがひとつの時間軸のなかにあって、主人公だけでなくいろんな人たちが同時並行で、複数のタイムラインで動いていて、それがどんどん切り替わっていく。視聴者は、普通に4つぐらいの並行した話を吸収して楽しむわけです。

でも、あのドラマを1970年代の消費者が見ると、多分理解できないんじゃないかな、と。

高城 反対に、僕らが昔の映画を観るとダルいですもんね。最近の映画の予告は、5秒で勝負ですから。そして、リピート。

佐々木 そう、3時間ある作品とか。タイムラインもひとつのものが多いですしね。

高城 ノンリニアになってない。

佐々木 つまり、インターネット以前の人間ってひとつのタイムラインの中で見る、生きるっていうのが当たり前だったんです。

ところが、現代に生きる我々は複数のタイムラインを見る、生きることができる。そういう感覚に変わってきてるのではないかな、と。そういう状況の変化と、高城さんのような多動的な人たちが脚光を浴びるっていうのは、無関係ではないと思うんです。

高城 おそらくですが、感覚的に多動的であることが気持ちいい時代ななんですよ。ひとつのものに収まらずに、浮いている感じ。ちょっと感覚的な話なんですけど…。

佐々木 多動的な人でいることが、心地いい?

高城 うん、そう感じる人もいる、かな。なんでだかはわからないんですが、80年代の情報革命から、人の知覚が変わってきているのかもしれない。

佐々木 変わってきたんじゃなくて、近代の状況のほうが特殊だったのかもしれませんよ。

高城 とすれば、目覚めたんじゃないですかね。

佐々木さんのおっしゃるように、農耕時代よりも、もっと前の感覚が、目覚めつつあるような気がしていて。テクノロジーやメディアじゃなくて、人間の新しい知覚や、脳の変化みたいなものの気がするんですよね。デジタル・モダーン・プリミティブというか、脳が戻ってきたっていうか、もしくは進化したのか。今までロックされていたもの、理性だ、理性だって言われていたものが何か外れていって…そういう気がするんです。

時には宗教によって、抑え込まれていたのものが、良くも悪くも表面化するようになっていくんだと思います。

佐々木 僕は高城さんの近著『人生を変える南の島々。アジア編』『人生を変える南の島々。ヨーロッパ編』を読んだんですが、今、南の島に興味を持っているのって、先ほどの「現代の人間が目覚めてきた」とする説と関係あるのでしょうか?

高城 関係あるかもしれません。まだ答えは出てませんし、南方型の遺伝子や音楽にも注目していますが、僕が南の島に注目したきっかけは、単純に主だった都市がおもしろくなくなってきたからなんです。

僕は都市で生まれました。東京で生まれて、東京で育って、バブルの時代があって、そのあともずっと都会に憧れてきました。ニューヨークであったりとか、ロンドンであったりとか。

それが、インターネットの普及とともに、そういうった世界都市ではなくて、バルセロナやベルリンみたいな、もう少し小さな都市が面白くなってきたわけです。バークレーであったりとか、ポートランドであったりとか、ブルックリンなども。ところが、そこも限界が来ちゃったんですね。2012~3年ぐらいかな。

佐々木 限界っていうのは?

高城 つまらなくなってきたんですよ。頻繁にそういう都市へ仕事に私事に行ったり、住んだりしてきたんですけど、つまらなくなった。それで次はどこに行こうかって考えた時に、ひょっとしたら未来は都会と南の島しか残らないんじゃないかって、ふと考えるようになりました。

中途半端な地域とかはなくなって、例えばロードサイドに似たような店が並ぶ場所は淘汰されて、残るのは大都会と南の島。そこで、大都会をよく知る僕としては、南の島に行ってみようと。

佐々木 行ってみてどうでしたか?

高城 島にもよるんですが、温存された社会システムに、突如デジタルが到来した感じが、新しいですね。

佐々木 南の島とはなんだろう。その結論は持っているんですか?

高城 まだ出ていません。世界中の全部の南の島をまわった後、結論を出そうと思ってます。世界にある有人島のほとんどに行く。人口カバー率90%ぐらい。多分、もう半分ぐらいは行ったでしょう。残り半分ぐらいを行って、全部まわったら、それで南の島とは僕にとって何なのか、次の社会のヒントは何なのかっていうのをちょっとまとめようと思ってます。

佐々木 本を拝見して「すごいな、こんなにたくさん訪れて」と驚きました。

高城 あれでも結構落としているんですよ。倍以上は、行ってますからね。

佐々木 掲載されていた島のいくつかは僕も行ったことがあって、確かに、島っていうものが持つ特殊性っていうのは、結構あるなって思いました。

高城 僕らって、島国育ちじゃないですか。

佐々木 日本っていう島。

高城 そうです。根本的に島育ちの人は、島育ちだっていうことがわからないんですよ。

佐々木 大陸の発想っていうのは、日本にはないですもんね。

高城 少なくとも近代日本には、ないですね。

いま、僕が島をまわるというのは、島国である良いところと問題あるところを俯瞰的に考える機会だとも思ってるんです。島の狭いコミュニティの中で、法律より島のルールの方が優先されて、さっきの農耕民族の話じゃないけど、決まったサイズの中で、お互いの輪が非常に重要なわけですよね。本当にそれが正しいのかどうかはわかりません。ただ、その仕組みが現代社会にあわなくて、日本が疲弊しているのは確かです。

佐々木 島っていうのは、わりに閉鎖的な時空間みたいなものを持っていて、そこだけにしかないルールとか、文化とかがあって、わりに島国根性的な、どこにでもそういうのがありますよね。大陸は誰でも引き受けるっていう文化の交差点。でも、島は外部から来たよそ者である、稀人(まれびと)である旅行者っていうものの接点を考えると、旅行者として行っても受け入れられない部分もあるわけでしょう? そこの感覚をどう思ってらっしゃるのかと思って。

高城 たしかに僕が島を訪れるのは、永遠なるゲスト。旅行者ですよね。だからこそ、島を俯瞰的に見れて、逆に島に違ったものをもたらすこともできると思います。

例えば、沖縄に行くと「みるく様」っていうのがいるんですよ。これって仏教の弥勒菩薩(みろくぼさつ)が訛って「みるく様」になってて、南方から来島しました。もともと沖縄の人たちってどっちかっていうと自然崇拝している人たちなんです、今も。仏教じゃない。でも、「みるく様」のお祭りがある。それって海外からの文化が、いまも根付いて、彼らはそれを讃えているんです。そういうものをうまく取り入れながら島っていうのは、ゆっくり変わりながら成長してるんです。

那覇に久米って住所があるんです。久米って中国人の町だったんですね。沖縄には、いろんな人たちの町があったんですよ。上海租界みたいに。そして、その文化が今も残ってる。「この文化は大和からきた」なんてのもいっぱいある。当然、アメリカの文化も中国の文化もある。そういうのが混ざってどんどん混ざって広がっていったのがニューヨークや最近のロンドンなのかもしれない。

でも、これが広がらずにただ狭い中で混ざっていった。それが島が持つ「るつぼ力」だと思うんです。だから、本来あたらしいものを、うまく受け入れられる素養がある。今で言えば、デジタル。日本の明治で言えば、西洋化でしょうね。ところが、経済大国になると大陸っぽく振る舞い始める。でも、システムは島社会。これでは、なかなかうまくいきません。

国際競争力が強い香港やシンガポールも、南の島なんです。21世紀型に島のシステム変換に成功したんです。かつての日本の素晴らしさは、島国らしい外のものを取り入れて自分たちのものと融合するスピード感でした。いまはもうスピード感はないけど。

佐々木 その話で思い出したのが、ひとつの世界地図です。文化の流れを表している地図で、それを見ると、いろんな文化が全部、東、東へと流れていっているのがわかる。そして、最後すり鉢のように日本に集まる…そういう構造の地図を書いている人がいたんですよ。

高城 おもしろいですね。っていうか、変わった人たちは東に向かうので、東のこの国には、変わったDNAがいっぱい残っていると思いますよ。

佐々木 そういえば、日本人のルーツをユダヤ人とする日ユ同祖論なんかもありますね。

高城 日ユ同祖論についてはあまり知らないんですが、かつてユダヤの民が東に向かって、ここまで来た可能性は否定できません。

なかでも変わった人たちはとにかく東。ちょっと変わった人って、日の出とともに太陽の方に向かって歩いちゃうらしいんです。その昔、変わった人たちがみんな日の出とともに太陽の方向に向かっていったはず。

佐々木 その説でいくと、最後に行き着いたのは、ベーリング海峡わたって南米へ行った人か、オーストラリアへ行った人か、日本に来た人になりそう。

高城 そうかもしれませんね。オーストラリアだと東端にバイロンベイっていうところがあるんですね。そこ、変わった人しかいないです。住んでみて、びっくり。超変わった町です。ファーストフードチェーン、ひとつもないんですよ。人口6000人で、観光客が100万人も来る。

佐々木 やっぱり東なんですね。

高城 オーストラリア大陸で一番東の端です。2階以上の建物を建てちゃいけない。信号機ダメ。コインパーキングなし。ファーストフードも禁止。禁止事項が山のようにある、すごくいい街なんですよ。あと、物価がオーストラリアで一番高いです。5人に1人は裸足で暮らしている。靴を持ってない。でも、ハイテクがすごいし、自然もすごいし、めちゃくちゃいいところ。僕も何か月か暮らしていたことがあるんですけど。サーファーにとっては夢の町で、波もめちゃくちゃいいんです。でも、変わった人だらけ。

佐々木 へー、変わった人は東に行く、という説を裏付けるような街ですね(笑)。

バイロンベイは島じゃないけど、つまり、高城さんが言いたいのは、島っていうのは閉鎖された文化であると同時に、いろんなものが流れ込んで、そこに溜まっていく…そんなイメージを持っているんですね。

高城 溜まって、煮こまれていく、熟成されていく。ニューヨークも東の端です。大きくみれば、広東もね。

佐々木 南の島に旅人が来ても、よそ者ではあるんだけど、それはそれで長い年月を経て、その島の文化になっていく。

高城 多分、同化したりするんでしょうね。日本はその典型的な例だと思いますよ。

佐々木 新しい要素を加えていく文化ということですね。

高城 僕は都市よりも、南の島のほうが長い年月で見れば、文化がミックスされると思います。ハワイでもそう、沖縄もそう。都市は都市で流動的で流行しかない。

佐々木 うん、都市ってフローな感じがありますよね。常に文化が動いていて、動いて動いて、次のものに移っていく。島のほうが溜まって溜まって、ストックされるというのは、想像できます。

高城 だから、南の島では、いわゆる文明の衝突が起きない。全部吸収して、煮込まれている。都市は、文明の衝突が起きるんですよ。民族単位でみたりとか。ところが島で見ると、煮込まれていて同化しているんでしょうね。島が持つ力なのかもしれない。結論はまだわかりません。

佐々木 おもしろいですね。たしかにヨーロッパっていうのは常に大陸で、なおかつ少数、小さな国家が乱立する状況で、文化が常に流動しながら、16世紀ぐらいからどんどん作られてきた。でも、日本っていうのはそうじゃなくて、単一民族と言いながら、実は文化の中にものすごい様々な要素が含まれているわけで。

どちらも、成り立ちそのものが違うだけであって、実は文化的な多様性っていうのは、そうは変わらないのかもしれない。

高城 ギリシャの島に行くとよくわかるんですが、いわゆるエーゲ海の白いきれいな島だと思うじゃないですか? じつは中東なんですよね。いまもバザールがあるわけですよ、島となると。中東のカルチャーなんですよ。ラテンじゃない。ギリシャ正教会と中東イスラムがミックスした、なんか変わった感じになってるわけです。想像と全然違うんです。

佐々木 どうしても近代のイメージみたいなものが我々にはすごくあって、ヨーロッパなんかは伝統的な格好いいヨーロッパ文化、アフリカは暗黒大陸、中東はラクダに乗ってる遊牧民みたいな。

でも、ヨーロッパの源流は、よくローマとギリシャって言われるんだけど、あんなのは真っ赤な嘘っぱちだと僕は思っていて、ローマとギリシャって地中海文明であって、いわゆるヨーロッパ文明じゃない。ある意味、イタリアからスペイン、ギリシャ、トルコ、それからエジプト、チュニジア。あの一帯はすべて一つの大きな文明。とはいえ、民族も文化もあるいは食べ物も、いろんなものがミックスされた文明の源流みたいなところがあって、そこを単一色で染めちゃうこと自体に無理があると僕は思うんです。

高城 第二次世界大戦以降の英米のルールですね。ここ100年ぐらいのもの。産業革命から、イギリスやアメリカが作ってきた、彼らにとってわりと都合のいい解釈を明文化しただけだと思いますけどね。

佐々木 要するに西洋を中心とした体系みたいなのがあって、その体系から外れたものをすべて“エスニック”といった言葉で片づけてきた。そうじゃないところにも、素晴らしいものっていうのはたくさんあるのに。

高城 そういったものを認めないと摩擦が起きて、テロみたいなことが起きるわけですよ。英米のルールでは、社会っていうか世界は回らないんですよね。インターネット時代というかスマートフォン時代になると特に。デジタルは、アナーキーですからね。

だからって、次の社会のかたちみたいなもののヒントが南の島にあるかどうかはわかりません。ただ、文明が溶け合っていることは間違いない。原始社会が残ったまま、スマートフォンが活用されている。それが、どうやって溶け合ったかも、わからない。解き明かせるかどうかがわからなくて、だから、時間を見つけては僕は南の島へ行っているわけです。

佐々木 一説には、大陸にはイスラム教やキリスト教があって、仏教もあって、そこから宗教的にも文化的にも日本は外れていると言われる。でも、それを言うなら、別にバリ島とかだってバリヒンドゥーがあって周囲とは外れているわけですし、スリランカだってヒンドゥー教ではなく、仏教だし。じつは“外れている”のは、日本だけじゃない。

佐々木 ここまでで、どうして高城剛が南の島に注目しているのかがなんとなくわかってきました(笑)。が、高城さんは島じゃなくて“南の島”と限定しています。そこの線引は?

高城 独自のエコシステムを持っているのが南の島で、先ほどお話ししましたように、国際競争力調査上位のシンガポールも香港も、南の島なんです。そこに、エアコンとインターネットという現代の利器が導入されて、ずっと室内にいることが可能になったんです。とにかく、取り入れる力が強い。それは、わずかここ20年強の話で、この20年で大きく変わった世界は、情報化と南だと思います。それに、南は生態系も面白い。

例えば、バリ島って隣のロンボク島って全然違うんですよ。飛行機で1時間もかからない距離なんですけど、生態系がまったく違うんです。島の間にウォーレス線っていう生態系の区切りがあって。ですから、バリ島はヒンドゥー教なんですけど、隣のロンボクはイスラム教徒が多い。ロンボクには、ヒンドゥー教のカルチャーは根付かない。なぜかっていうと、それは南にしかない、自然の問題なんです。海に囲まれているだけでなく、見えない自然の壁でも閉ざされた社会がある。

佐々木 両方行ったことあるし、宗教が違うのはわかるけれど、自然の違いには気が付かなかったなあ。

高城 植物体系とか、まったく違っているんですよ。

佐々木 それが宗教や文化に影響するんですね。

高城 多分そうです。先に自然っていうOSみたいなものがあって、その上にアプリケーションとして宗教がのる。MacとWindowsのアプリケーションが違うように、この自然が違うと、その上にのる宗教が違ってくる。

一神教っていうのも砂漠にはフィットしますけれども、日本にはフィットしないわけです。ですから、宗教の前に自然があるんだと思います。こういう大自然をプラットフフォームにした考え方は、特に南では強いですね。

佐々木 そういえば、なぜか日本ではキリスト教徒がある一定数を超えたことがないとか聞いたことがあります。

高城 日本は自然が豊かだからじゃないですかね。キリスト教って、何もない中から生まれた砂漠の民のものだと思います。

佐々木 ヨーロッパも地中海側は別として、そこからアルプスを越えた北側はもともと貧困でやせた土地です。だからこそ、一神教的なものが受け入れやすかったのかもしれない。

高城 宗教も、どんどんリメイクされていくわけですよね、風土にあわせて。ただ、基本的には不毛な土地の宗教だと思います、一神教は。八百万の神は砂漠ではありえないわけですから。

佐々木 生物もそんなにいないし。

高城 やはり、僕は自然っていう基本的なOSが先にあるんだと考えているんです。

そこで南の島の定義です。その定義は自然の境界線なんです。日本国内でも、南の島ってどこから定義するかをすごく考えたんですね。そこで、生物の境界線を見てみると、奄美大島の上なんですよ。奄美大島の上で、自然体系がガラッと変わっているんです。

佐々木 種子島ぐらいまでOKなの?

高城 種子島は駄目です。生態系が地図でいうと、上のほうに属します。下の南の島っていうと、北緯29度線とかいろいろあって。

佐々木 トカラ列島のあたり?

高城 トカラ列島のもうちょっと下

佐々木 奄美の間ぐらい?

高城 そのあたりですね。

佐々木 江戸時代の国の境界線と同じだ。

高城 まさにそうです。結果論なんですけど、生物の境界線であるんですが、さっきの宗教の話もそうですけど、国も宗教も、じつは意識しないうちに自然的な境界線で区切られているんですよ。

佐々木 そっちのほうが、領域国民国家よりも自然な国境なんじゃないかな?

高城 多分そうなんだと思います。ただ、それを我々は忘れているわけですよ。地図上で線引いたりとか、市町村合併とか今まであって、それは効率化を目指しているわけですよね。それじゃどこかでうまくいかなくなると僕は思うんです。だから、自然の境界線を理解しなければならない。それを、あちこち旅をすると実感しますね。

佐々木 シリアとイラクの国境なんてまさに、国境が直線的です。

高城 シリア側の地図とトルコ側の地図も違いますからね。昨年、ロシア機が領空侵犯したって撃たれたのは、あれはシリア側の地図だったらOKなんですよ。トルコ側の地図だったらアウト。2つを見ると、まったく境界線が違う。

佐々木 そもそも中世までさかのぼれば、国民国家の境界なんてなくて、何となく集まって暮らして、その端境はどこかよくわからなかったはず。その本当の端境は、高城さんが言うように自然の環境の違いとか属性の違いとか、あるいは気温の違いとか、そういうものだったのかもしれない。

高城 世界中まわってると、移住している人とよく会うんですね。移住しても、生まれた国の気候に近いところに移る傾向があるんです、不思議と。

佐々木 おもしろい。

高城 例えば、ドイツ人だとブラジルでも南の寒い方に行くんです。リオとかにはドイツ人は少ないんですよ。でも、ポルトガルとかスペインの人はいっぱいいるんです。

佐々木 シリアの人が北欧に行くのは、結構つらいかもしれない。

高城 多分、つらいんじゃないかな?。それは埋め込まれた何かがあって……DNAか何かわかりません。それを何と呼ぶのかわからない。でも、僕が興味深く感じるのは、とにかく同じようなゾーンと言うか気温帯に人々は移動している。国や国境とは関係なく。

佐々木 つまりは、緯度に沿って移動することになる?

高城 基本的にはそうです。もちろん、同じ緯度でも砂漠とかいろいろありますけど、似たような気候のところに、多くの人がいる。

佐々木 日本人の南米移民もあまり南の方はいない印象が……。

高城 沖縄からの移民は、多分、あんまりいないと思います。

佐々木 じゃあ、北の方にいるのかな。

高城 思いっきり北の方にはあまりいない。沖縄からの移民は、同じような気候のゾーニングに多くいらっしゃいますね。だから、何かあるんでしょう。何でだかわからないけど、そうなんです。

統計とかじゃなくって、世界中まわってる自分の経験からですが、宗教でも、住みやすさでも、国づくりでもなくて、何か埋め込まれたものがある。まるで、習ってもない自然のOSに準ずるような。

佐々木 領域国民国家ではなくて、住環境国家みたいなイメージですね。

高城 そして、僕らは、埋め込まれた何かを呼び起こされている気がしてならないんです。壊れたから、カーネルまで戻る感じでしょうかね。

佐々木 最初のほうの話に戻りますが、定住の時代から移動の時代へ、戻ってきているのは、そのせいかもしれない?

高城 目の前では航空賃金が安くなっています。インターネットが普及してどこでも仕事ができる状況です。でも、だから移動するっていうんじゃなくって、そういう埋め込まれたものが呼び起こされることで、定住ではなく移動するライフスタイルになっていく。それは、この星のOSが壊れたから、それに気がついた人たちが、治そうとも逃げようともしているようにも見えます。

だから、佐々木さんが普段からおっしゃっているように、人間の考え方や思考やライフスタイルや生き方が変わってくるように思います。これは何と呼ぶかはわからない。ただ、非常に大きなうねりで、始まったばかりだと考えているんです。もしかしたら、人類の大きな進化かもしれません。そのうち、リブート不可能になったら火星へ移住するための。

佐々木 そういった考えの答えを見つけるために、高城剛は南の島をまわっている?

高城 あまり考えていませんが、そうとも言えるでしょう(笑)。

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TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。