「東海道五十三次」をアレンジしたら、とんでもない旅になった(vol.01)

東京から京都まで、東海道五十三次を徒歩で旅しながら、ゴールまでに53種類のクラフトビールを飲もう。

企画名は『クラフトビール 東海道五十三注ぎ』。
53杯のビールを「注ぐ」のである。

結果として、京都を越えて大阪まで約600kmを歩くことになったのだが、まずは、そんなシャレのようで割とシャレにならなかった挑戦をすることになった経緯から話したい。

日本橋から、京都三条へ

歌川広重『東海道五拾三次之内 日本橋 朝之景』 静岡市東海道広重美術館蔵

日本人であれば、『東海道五十三次』という言葉を一度は聞いたことがあるだろう。きっと中学の日本史で習ったはずだ。『東海道五十三次』は、江戸時代に歌川広重が描いた浮世絵の名称で、55点の絵から構成される。

「どうして53点じゃないの?」と思うかもしれない。

これは、東京から京都の間にある53の宿場町のほかに、東海道のスタート地点となる日本橋、そして終点の京都三条の浮世絵が加わるからだ。これらの作品は、葛飾北斎の『富嶽三十六景』と並び、日本を代表する浮世絵として知られている。

昔はみんな
何百キロも歩いてた

ぼくは大学生の頃、司馬遼太郎の歴史小説にハマった。初めて読んだのは、新撰組の活躍と生き様を描いた『燃えよ剣』。そして『竜馬がゆく』や吉田松陰が主人公の『世に棲む日日』。

読むなかで驚いたのは、江戸時代の人間が、萩(山口)にいようが、土佐(高知)にいようが、京都にいようが、何か用があると「ちょっと、江戸へ行ってくる」という具合に、割とあっさりと何百キロという距離を歩き始めることだった。

現在は車もあるし、鉄道もあるし、飛行機もある。乗り物を使うことが当たり前の世界にいて、そのことに何ら疑問を持たずに生きてきた分、当時「江戸へ行ってくる」というセリフから受けた衝撃は本当に大きかった。

(そんなに長い距離、歩けるの???)

しかし調べてみると、新橋〜神戸間が鉄道で繋がったのは、1889年(明治22年)のことだそう。ほんの130年前までは徒歩での移動が当たり前で、長い歴史の中では、むしろ現代のほうが特殊な状況のような気もした。

(実際に東京から京都まで歩いたら、何日かかるんだろう? ぼくでも歩けるだろうか?)

時代は異なれど、同じ人間。やってできないはずはない。

「いつか自分の足で、東海道五十三次を歩きたい」

それが大学時代に生まれた夢だった。

社会人になり、しばらくこの夢を忘れていたが、昨年末に会社を退職することが決まったときに、ふと当時の気持ちが蘇ってきた。

「今やらないと、絶対に後悔する」

そう思い立ち、計画を立て始めた。

クラフトビール
東海道五十三「注ぎ」

しかし、ただ歩くだけではおもしろくない。何かテーマを持ちたい。

買ったばかりの真っ白なノートを広げて企画を考えていたとき、たまたまクラフトビールを扱うカフェにいた。ぼくは酒に弱く、ビールもあまり好きじゃなかったのだが、2年前にアラスカでクラフトビールを飲んだときに衝撃を受けたことを思い出した。今まで口にしてきた普通のビールとは全然味が異なり、おまけにラベルが個性的で、途端に好きになった。

アラスカから帰国して調べてみると、クラフトビールのブームが近年日本でもジワジワと広がっていることを知った。かつては「地ビール」とか「ご当地ビール」と呼ばれることが多かったが、最近は「クラフトビール」という言葉が頻繁に使われている。クラフトビール。響きがいい。

(日本には、どんなクラフトビールがあるのだろう?)

そのカフェで、いくつか本や雑誌を読んでいると、ブルワリー(クラフトビールの醸造場)の場所がマッピングされている日本地図を見つけた。日本各地に点在するクラフトビールを眺めながら、「これだ!」と閃いた。

東海道五十三次を歩きながら、その土地土地のクラフトビールを飲んでブログで紹介しよう。題して「クラフトビール 東海道五十三注ぎ」だ!

東海道の途中には、いったいどんなクラフトビールたちが待ち受けているのだろうか。53杯飲んだとき、最もおいしいクラフトビールは見つかるのだろうか。そもそも、ぼくは無事に京都まで辿り着けるのだろうか。

不安はあったが、やってみないと何も始まらない。

2017年1月10日。リュックサックひとつ背負って、ぼくは東海道の起点となる東京・日本橋を出発した。

目指すは京都。長い長い、徒歩の旅が始まった。

Licensed material used with permission by 中村洋太, (Facebook), (Twitter), (Instagram)
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