「東海道五十三次」をアレンジしたら、現代ではどんな旅になるのか?(vol.04)

53杯のクラフトビールを飲みながら、東京から徒歩で京都を目指す「クラフトビール 東海道五十三注ぎ」の旅。(vol.1vol.2vol.3はこちら)

愛知県に入ったのは、日本橋を出発してから12日目のことだった。ここまで約300kmを歩いてきた。アキレス腱や腰の痛みは増してきたが、湿布や塗り薬で耐えながら、なんとか歩き続けてきた。

江戸から35番目の宿場町・御油(愛知県)は、東海道随一の立派な松並木で有名だ。この町で泊めてくださったのは、福島さんというご夫妻だった。しかし初対面である。

「ご実家に泊めて
もらえませんか?」

じつはこのお宅、前回の記事のなかで「あー! 五十三次さんだ!」と叫んだ、静岡市のクラフトビール店「BEER GARAGE」の店員さんのご実家である。

あのとき彼がビールを注ぎながら、

「俺の実家も、東海道の宿場町にあるんですよ。御油っていう」

と漏らしたのを逃さなかった。

「え!? もし可能でしたら、ご実家に泊めていただけませんか?」

「泊まりますか? たぶん大丈夫だと思いますよ。ちょっと聞いてみますね」

という会話が、本当に実現した。しかし、奇跡はそれだけではない。

翌日に向かった岡崎市では、20歳の大学生が歓迎してくれ、実家に泊めてくれた。彼の名は、溝口哲也さん。

恐らく、日本広しと言えども「大学時代にスポンサーを集めて自転車でヨーロッパ12ヶ国を旅した男」は、ぼくと彼しかいないだろう。ぼくのブログに影響を受けてくれたという溝口さんは、2016年にスポンサーを集めてヨーロッパ5,000kmを自転車で走り抜けた。

2年ほど前にFacebookでメッセージをいただいたのがきっかけで、彼との交流が始まった。そして岡崎市に住んでいることを知り「1泊させていただけませんか?」と尋ねたところ、すぐに快諾してくれた。

ぼくは昔から、その土地に知人がいれば、泊めさせてもらえないか、ダメ元でも尋ねることにしている。地元の人と話すことで、その土地の理解がさらに深まるからだ。地名の由来や特産品、あるいはその土地ならではの文化・風習など、気になったらなんでも質問する。それが楽しい。

日本でクラフトビールを
つくるアメリカ人

岡崎では、「Izakaya・Ja・Nai」という変わった名前のクラフトビール店へ行った。ここでは、シカゴ出身のオーナー兼ブルワー、クレイグ・モーリーさんの作るクラフトビールを楽しめる。

「家康B」 は、岡崎生まれの徳川家康の信念や生き方に尊敬の意を込めて作ったというビール。 原料には岡崎藤川町産のむらさき麦や、健康オタクでもあった家康が飲用した漢方「霊芝れいし」を使用しているという。

旅の思い出は
人の思い出

15日目、ついに名古屋に着いた。

浪人時代の予備校の友人と再会し、名古屋のクラフトビール店で一番有名な「ワイマーケットブルーイングキッチン」を訪ねた。1階部分がビールの醸造所で、2階がレストランになっている。

たくさんのオリジナルビールが味わえるが、イチ押しは、軽やかで華やかな飲み口のラガービール「ワイマーケットセッションIPL」だ。うまい。

友人に手伝ってもらい、6種類のクラフトビールを味わった。ゴールの京都までに53杯飲まなくてはいけないのだから、けっこう必死だ。

さて、翌日は三重県に突入し、四日市まで歩いた。この町に知り合いはいなかった。しかしその少し前、ぼくが四日市を通ることをSNSで書いたところ、ある人物から連絡があった。

「うちのお母さんがやっているカフェが四日市にあるよ」

教えてもらった「konoha cafe」というお店へ行ってみた。

話は2010年に遡る。当時大学生だったぼくは、「WORLD JOURNEY」という旅ブログの大ファンだった。ぼくと同世代のさやかさんという女性が、ひとりで様々な国を訪れ(現在は89カ国を訪問)、臨場感溢れる文章と美しい写真で世界を紹介していた。

ぼくがヨーロッパを旅していたとき、そのさやかさんと、偶然バルセロナのサグラダファミリアの前で出会ったのだ。

「もしかして、さやかさんですか? いつもブログ読んでいます!」

と話しかけたのがきっかけで仲良くなり、帰国後も何度か都内でお茶をした。四日市で訪ねたのは、彼女のお母さんが始めたカフェ。さやかさんが世界各地で撮影した写真、そして様々な国のお土産で彩られた、素敵な旅カフェだった。

お母さんもとても優しい方で、

「洋太くん、17時にお店閉めるから、よかったら一緒にご飯食べに行かない?」

と誘ってくださった。知り合いもいないし、何も期待していなかった四日市での滞在だったが、お母さんのおかげでとても楽しい時間になった。旅の思い出は、人の思い出。

それにしても、ぼくがバルセロナに行かなかったらこの出会いはなかったのだと思うと、人生は不思議なものだ。

お風呂での
強烈な出会い

「どちらからいらっしゃったんですか?」

四日市から関まで23kmを歩き、露天風呂に浸かっていると、男性に話しけられた。

「東京からです。歩いてきました」

「え! 歩いてですか、素晴らしいですね~!私も登山が好きで、よく山を登りますが、歩くのはすごいな~」

いつの間にか仲良くなり、のぼせかけながら様々な話をした。

「自転車旅もやられているんですか。私も会社まで、往復50kmを自転車で通勤していますよ」

「ぼくも高校時代に往復30km通学していましたけど、50kmはすごいですね。しかも仕事前に」

「同僚からも、『そのエネルギーはどこからくるの?』とよく言われます。私は19歳のときに子どもができて、周りのみんながチャレンジをしているときに、子育てでそれどころじゃなかったんです。だから逆に今になって、自転車レースに出たり、色んなことをやっていて。いま私が20代だったら、イモトアヤコさんや、『世界ふしぎ発見』のミステリーハンターのような仕事がしたかった。もちろん簡単になれるわけないですけど、チャレンジがしてみたかった。でも、もうこんな歳になってしまって」

「素晴らしいじゃないですか。今からでも遅くないですよ」

「いやあ、ありがとうございます。…そうですよね、年齢なんてただの数字だって言いますもんね。中村さんに会えてよかったです。あの、飲み物くらいしか提供できなくて申し訳ないですが、ちょっとコンビニ行きましょう。欲しいもの買ってください」

「えー! ありがとうございます!」

「今度何か新しい挑戦をされる際は、ぜひ応援させてください。中村さんに協賛できるように、お金貯めておきますから。最後に、握手させてください!」

別れ際、お名前と連絡先を伺っても「名乗るほどのものではないですよ」と、教えていただけなかった。

「でも、これからもブログを読んで応援していますので! 京都まであと少し、頑張ってください!」

この記事も、彼に届くだろうか。

「お会いできてよかったのは、むしろぼくのほうです」

と伝え忘れてしまったのだ。

関から続く鈴鹿峠を越えれば、もう京都は近い。いよいよ、最後の力を振り絞るときがきた。

ついにゴールへ

東海道五十三次の宿場町のなかでも、関は当時の面影を最も残している町だ。

細い通りには、江戸時代からの建物も多く残っていて、広重が描いたときと変わらない町並みが保存されている。

宿のみんなに見送られ、鈴鹿峠へ向かった。数日前に豪雪に見舞われ、30cmほどの雪に足を埋めながら山道を歩いていった。

峠を越えたら、あとはひたすら下っていくだけだったが、路面は一部凍結していて、おまけに大型トラックがバンバン通るから、かなり怖かった。もしスリップして車が突っ込んできたらどうしようと、つねに逃げ道を考えながら歩いていた。

滋賀県に入り、翌日は草津まで歩いた。そして東京を出て20日目、53番目の宿場・大津を過ぎて、ゴールの京都へ向かった。

ぼくの中では、東海道を踏破することは、そんなに大きな挑戦ではない。やりたかったことには違いないが、ゴールして涙を流すほど感極まる類の挑戦ではなかった。

しかし、やっぱりここまで歩いてくるのは、それなりに大変だったし、脚や股関節が痛み、「京都までは無理かもしれない」と思ったこともあった。

だから「京都府 京都市」の表示を見たときには、思っていた以上に感慨深いものがあった。正直、ちょっとウルっときたのは事実だ。

歌川広重『東海道五拾三次之内 京師 三條大橋』 静岡市東海道広重美術館蔵

京都・三条大橋。ここが東海道五十三次の終着地とされている。

ついに着いた!京都の友人がゴールを祝福してくれ、クラフトビールのお店へ連れて行ってくれた。

そして、「ゴールまでに53杯のクラフトビールを飲む」という目標も、同時に達成した。

京都麦酒 蔵のかほり

やはり最後は格別だった。「53杯目のクラフトビール」を飲むために、東京から歩いてきたのだ。

だが、また欲が出てきた。「せっかくなら、大阪まで歩こう」と。

実は本来、東海道は五十七次あったのだ。江戸初期、最初に東海道が整備されたときは、五十三の宿場が設置された。しかしその後、1619年に京都と大阪を結ぶ京街道に4つの宿場(伏見、淀、枚方、守口)が新たに設置され、「東海道五十七次」と言われるようになった。

京都で一日休息し、さらに二日間かけて大阪駅まで歩いた。これで本当のゴールだ。

東京・日本橋から、計592km。大阪でもクラフトビールを味わい、合計で58杯飲んだ。

一日平均27km、4万歩

同じ旅をしたい人がいるかどうかわからないが、後進のためにも、旅の経過を記しておきたい。

1日目:日本橋~横浜
2日目:横浜~茅ヶ崎
3日目:茅ヶ崎~小田原
4日目:小田原~箱根
5日目:箱根~原
6日目:原~由比
7日目:由比~静岡
8日目:静岡~島田
9日目:島田~掛川
10日目:掛川~浜松
11日目:浜松~鷲津
12日目:鷲津~御油
13日目:御油~岡崎
14日目:岡崎~大府
15日目:大府~富吉(名古屋)
16日目:富吉~四日市
17日目:四日市~関
18日目:関~水口
19日目:水口~草津
20日目:草津~三条大橋(京都)
21日目:(休息日)
22日目:三条大橋~枚方
23日目:枚方~大阪駅

かかったのは23日間だが、京都で1日だけ休息日をとったので、実際に歩いたのは22日間。少ない日で20km、多い日で32km歩いた。一日平均で約27km。歩数は一日あたり約4万歩だった。

旅を終えて感じた
3つのこと

01.
達成感を得られた

随分と贅沢な時間の使い方をした。毎日朝から夕方まで、ただただ歩いた。いろんなことを考えたけど、何を考えていたかほとんど忘れてしまった。足は痛いし、肩は痛いし、全身ボロボロ。ただ、とても幸せな日々だったし、毎日の歩き切ったあとの銭湯、そしてゴールしたときの大きな喜び、達成感は何物にも代えがたい。本当に大阪まで歩いたなんて今でも信じがたいけど、嘘じゃない。やってみてよかった。

02.
文明は恐ろしく進歩した

帰りは新幹線で一気に東京へ戻った。行きは23日間、帰りは2時間半だった。あまりに速すぎて、酔った。恐ろしいほどの文明の進歩。虚無感に襲われた。でも、歩いたことの価値は決して消えない。日本の大きさが肌感覚でわかるのは、お金では買えない価値だ。実際にやらないことには感じられない。

03.
昔の人はすごい

やはりこれが一番。江戸時代、早い人は14日ほどで、東京から京都へ歩いたという。一日40km前後を歩いたということだ。わらじで、しかも昔はもっと悪路だったはず。峠には、山賊もいた。東海道を歩くということは、命がけの旅だった。それでも、ほんの200年前までは、誰もが歩いていた。今は、歩く人なんてほとんどいない。みんな電車や飛行機を使う。便利になった分、人間はどこかで弱くなっている気がした。

クラフトビールの熱気と
一番おいしかったビール

この旅を通して、とにかくクラフトビールの盛り上がりを感じた。静岡や浜松をはじめ、地方にもファンは多かった。訪れたお店には、昨年オープンしたというお店も多くあった。東京でブームになったクラフトビールの熱は、確実に今、波となって地方に広がっている。

アメリカ人やドイツ人が、沼津や御殿場や岡崎でクラフトビールを作っていたりする。水の良いところに、良いビールが生まれる。だから、地の利を活かせる。東京じゃなくてもいい。醸造所は、むしろ地方にあるから生きる。そこでしか飲めない樽生なんて、旅と相性がいいじゃないか。

一方で、クラフトビールが苦手な人もいた。「キンキンに冷えた、キレのあるビールがいいんだ」と。好みだから、それはそれでいいと思う。そういうことも含めて、肌で感じられたのはよかった。

58杯飲んで、一番おいしかったクラフトビールは、四日市で飲んだ伊勢角屋麦酒(三重)とStill Water(アメリカ)がコラボして作った限定醸造のクラフトビール「Spring Fever」

今まで飲んだ、どのクラフトビールとも異なる、独特の味わい。あれは本当にうまかった。もう一度飲みたい。

様々な出会いに恵まれた23日間。日本の大動脈「東海道」を歩く旅は、本当に楽しかった。

Licensed material used with permission by 中村洋太, (Facebook), (Twitter), (Instagram)
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