ベルギーのホテルのおばちゃんに「典型的な日本人め!」と怒られた理由
海外ツアーの添乗員として働いていた頃は、お客様と一緒に高級ホテルに泊まる機会も多かった。主な顧客がシニア層だったこともあり、ツアーではだいたい4ツ星か5ツ星クラスの高級ホテルチェーンを利用していた。
様々な思い出があるが、いずれにせよフリーランスになりたての今は、そうそう泊まれるようなホテルではなかった。20代のうちに、そうしたハイクラスのサービスに触れられたことは、非常に貴重なことだった。
しかし、だ。
確かにそれらのホテルは素晴らしかった。行き届いたサービス、清潔で広い客室、豪華な朝食。何ひとつ文句はない。
それなのに、どうも振り返ってみると、バックパックを背負ってヨーロッパを周遊していたときに泊まっていた安宿のほうが、より印象に残っているのだ。
ホテルのフロントで
遊ぶ子どもたち
ピレネー山脈を目前に控えた、スペイン最北東の街、フィゲラス。画家ダリの出身地でもあるこの町で、「ホテルヨーロッパ」という家族経営の小さなホテルに泊まった。「朝食は7時からよ」と説明するお母さんにピッタリと寄り添っている子どもたちがかわいく、思わず微笑んでしまった。翌朝出発するとき、ふと思い立ち、フロントに置いてあった正方形のメモ用紙で折り鶴を作り、男の子にプレゼントをした。
するとこれが、意外なまでに大喜びだった。隣にいた女の子が
「私にも作って!」
と騒げば、お母さんは
「どうしてただの紙でこんなものが作れるの!?アンビリーバボゥ!あんたたち!作り方をよく見ておきなさい!」
と、子どもたち以上に興奮している。
しかし実際に折っていく過程を見せると、
「ワーォ、ベリーコンプレックス(複雑)」
としきりにため息を漏らし、
「とても覚えられないわ。日本人は手が器用ね」
と諦め半分で苦笑い。
子どもたちは折り鶴のお返しにと、「ありがとう」と書かれた手作りのブレスレッドをプレゼントしてくれた。
「このホテルが大好きです」
と言うと、
「私もあなたが好きよ。日本人のこと、好きになったわ」
と言ってくれた。折り鶴ひとつでこんな展開になるとは思ってもいなかった。あの子たちは、もう高校生くらいになっただろうか。いつかまた、あのブレスレッドを持って、大人になった彼らに会いに行きたい。
突然、怒りだした
ホテルのおばちゃん
「お客様は神様です」という精神を持つ国で生まれ育ったぼくにとって衝撃的だったのは、ベルギーのアントワープを訪ねたとき、ホテルのおばちゃんに怒られたことだ。
「こんにちは。このホテルに泊まりたいのですが、部屋は空いていますか?」
「空いているわよ。何泊したいの?」
「1泊です」
と言った瞬間、おばちゃんの目つきが変わった。
「あなた、どうしてアントワープにたったの1泊しかしないの! この町には素晴らしい美術館がいくつもあるし、味わうべきものはたくさんあるのよ? たった1日でこの町の何がわかるっていうのよ! 最低でも3泊は必要よ。まったく、typical Japanese(典型的な日本人)なんだから!」
「何を見るか」より
「何をするか」
「どうして宿泊客であるぼくが怒られなきゃならんのだ」と思いつつも、ぼくの考え方が変わったのは、その言葉を受けてからだった。もし日本に来る外国人が東京に1泊しかしないと言ったら、きっと同じことを思うだろう。「たった1泊で東京の何がわかるんだ!」と。
休暇の考え方も、日本人と欧米人ではまったく異なる。日本人はガイドブックに載っている観光名所、そして町から町へと忙しく動き回るが、欧米人はひとつの場所に長く滞在することが多い。たとえば東京だけで2〜3週間過ごす人も決して珍しくない。
あの「事件」があって以来、「その土地で何を見るか」よりも、「その土地で何をするか」「その土地をどう味わうか」ということを強く意識するようになった。人と同じものを見る「観光」旅行よりも、自分だけの思い出ができる「体験」旅行がしたくなった。
そして近年では、そうした考えを持つ日本人も徐々に増えてきていて、関連するサービスもどんどん生まれている。ぼくは今、ガイドブックに載っていない、アメリカ西海岸の小さな町々を自転車で巡っているが、これも普通の観光旅行では味わえない「体験」を求めるがゆえだ。
あの場所には
人間味が溢れていた
高級ホテルチェーンは素晴らしい。フロントに子どもは座っていないし、「なんで1泊しかしないの!」と怒鳴るおばちゃんもいないのだから、不快な思いをすることは少ないだろう。
だけど後になってから、その「システマチックではないサービス」に、お金では買えない価値があったと気付いたのだ。体験の価値が、支払った金額に比例するとは限らない。あの場所には、人間味や愛や温かさに溢れていた。
その土地の人々との、生のふれあい。これもまた旅の素晴らしさだと思う。