僕が見た遠野、「ビールの魂」が実る町

ジェームス・ダニエルズ

イギリス・シェフィールド出身。これまでに仕事やプライベートで世界22カ国を回ってきたウェブメディア「TABI LABO」Director(ディレクター)/Cinematographer(シネマトグラファー)。

日本のビアカルチャーは、すごくおもしろい。

たとえば、きめ細かな泡をありがたがったり、唇がしびれるくらいにグラスを冷やしてみたり......。

10年前にはじめて日本にきたときから感じていたことだけど、クラフトビールのシーンが盛り上がってきたことで、それはさらに興味深いものになった。

そんな僕が「TONO」のことを知ったキッカケは「TABI LABO」に掲載されていた、とある記事

──カメラを手に「TONO」に向かった。

はじめて降り立った
「TONO」の町で、僕が見たもの

© 2018 TABI LABO
© 2018 TABI LABO

東京から新幹線と在来線を乗り継いで到着した「TONO」......岩手県・遠野市は、まわりを山と森に囲まれた、のんびりとした町だった。駅前にあるのは小さなロータリーと小さな商店街だけで、人の往来も、決して多くはない。

故郷のイギリス・シェフィールドの郊外にも似た、自然に溢れた風景と静かな街並みに癒されながら、僕はこの町で開催されているあるフェスティバルの会場に向かっていた。

目的の場所に近づくにつれて大きくなる、音楽と歌声、歓声、そして笑い声。

フェスティバルのテーマカラーの「グリーン」で彩られた会場に到着すると、僕はそのあまりの盛り上がりと人の多さに驚いた。

駅前や通りに漂うのんびりとした雰囲気からは想像もできなかった賑やかさに急かされるように、僕は急いで撮影の準備をはじめた......。

まるで「オクトーバーフェスト」
町中がビールで盛り上がる祭典

© 2018 TABI LABO
© 2018 TABI LABO
© 2018 TABI LABO

僕が訪ねたフェスティバルの名は「遠野ホップ収穫祭 2018」。これは「ビールの魂」とも呼ばれる作物・ホップの収穫を祝うイベントだ。

カップルからファミリーまで、そこには様々な年代の人々が集まっていた。みんな一様に陽気に飲み、食べ、語り、ときには踊り、そして歌っている。

12年前、僕はドイツで同じような光景を目にし、体験したことがある──そう、世界的なビールの祭典「オクトーバーフェスト」だ。

ビアカルチャーを中心に人々が集まり、会場中に笑顔が溢れる様子は、世界中のビールファンが一度は訪れたいと夢見る、あのフェスティバルの雰囲気にすごく似ていた。

© 2018 TABI LABO

僕は遠野を訪れる数日前に「遠野ホップ収穫祭」のキーパーソンにアポイントをとっていた。このフェスティバルの実行委員のひとりである、「キリン」の浅井隆平さんだ。

誰もが知っているビールのジャイアントカンパニーの社員でありながら、この東北の小さな町に移り住み、「オクトーバーフェスト」を思わせるフェスティバルを開催した理由が聞きたかった。

遠野は日本有数のホップの産地で、我々は55年にわたって遠野のホップを使ってビールを作っています。そんな深いつながりをもつ遠野市と我々が手を組んで12年前にはじめたのが「TK(遠野×キリン)プロジェクト」で、「遠野ホップ収穫祭」もそのプロジェクトに紐づいたものではあるんですが、開催にはもうひとつ大きな理由があります。

聞けば、今、遠野のホップ農家は全盛期の239軒から34軒にまで減少しているという。そこで、行政と企業、地元の人たちが手を取り合って、この町を「ホップの里」から「ビールの里」へと進化させる取り組みをおこなっているのだという。

僕は、浅井さんがその「進化」を実感しているのか尋ねた。

ありますね、確実に。「TKプロジェクト」などをキッカケにして、プロジェクトの先陣を切ってくれる、地元に根付いた民間のプレイヤーが誕生し、我々の思いに賛同して県外から移住して起業してくれる人も現れました。そして、驚くべきことに、ビジョンに共感した10名以上の方がホップ農家を志し、遠野に移住してくれています。これまで足りていなかった「ピース」が徐々に埋まってきているのを感じています。

「キリンほどの大企業なら人を集めることなど簡単なのでは?」と聞くと、「それは違います」と浅井さんは首を振った。

それではダメなんです。たしかに、企業は地域を理想の未来に向けて走らせるエンジンにはなれますが、その土地に住んでいる民間のプレイヤーが自分ごととしてプロジェクトを引っ張っていかなければ、本質的な課題をクリアすることはできない。この町の未来を作るのは、ほかの誰でもなく、この地域を愛し、この地域に根付いた、この地域の人たちなんです。

© 2018 TABI LABO

フェスティバルや遠野のこと、そして地域と企業の在り方について話してくれた浅井さんは、その後も忙しそうに会場内を駆け回っていた。後日聞いた話によると、「遠野ホップ収穫祭 2018」には、2日間で7,500人の来場者があったという。

また、信じられない話だが、このフェスティバルの運営にイベント制作会社などは一切関わっていないそうだ。

遠野がいくら山あいの町とはいえ、8月末の気温は30度を超える。

人口28,000人の遠野市で来場者7,500人を集めるフェスティバルをプロの手を借りずに開催し、真夏の太陽の下で汗だくになりながら走り回る浅井さんだが、その表情はすごく活き活きしていて、僕は何度もシャッターを切った。

「人をこれほど情熱的にする小さな“ビールの里”のことを、もっと知りたい」──。

そう感じた僕は、会場の隅に設置されたブースで「ホップ畑見学バスツアー」への参加を申し込んだ。

初体験のホップ畑と加工場で
見た働く人の笑顔のワケ

© 2018 KIRIN
© 2018 TABI LABO
© 2018 TABI LABO

翌日、バスに乗った僕たちツアー客を待っていたのは、「畑」と呼ぶにはあまりにも背の高いホップの「林」だった。

牧草地のなかに整然と植えられたホップの高さは5メートルを超え、畝(うね)の間を歩くと、木漏れ日が差し込む林道を散歩してるような感覚になる。

ツアーでは、農家の方がホップを収穫する様子や、収穫したホップを乾燥させる施設も見学することができた。どちらも相当な重労働だが、最後は「人の手」による作業が必要なようだ。

炎天下の畑や暑い施設内で汗を流す方たちの表情は、同じように汗を流しながらフェスティバルの会場を笑顔で駆け回っていた浅井さんの表情と、どこか似ているようにも見えた。

創立70年の醸造所内に
間借りする新会社とは?

© 2018 TABI LABO

「ホップ畑見学バスツアー」で次に巡ったのは、1944年から岩手・遠野で酒蔵を営んでいる「上閉伊(かみへい)酒造」。ここは1999年よりオリジナルのクラフトビールを手がけている、遠野エリアを代表するマイクロブルワリーのひとつだそうだ。

「上閉伊酒造」が手がけているクラフトビールの銘柄は「遠野麦酒 ZUMONA(ズモナ)」。もちろん、遠野産の新鮮なホップを使っていて、なかでもさわやかな味わいのピルスナーは、クセも少なく、誰もが「遠野産ホップの風味」を楽しめるのではないかと思う。

© 2018 TABI LABO

ここ「上閉伊酒造」には、もうひとつの顔がある。

それは、キリンが地域とタッグを組んで進める「ビールの里構想」の中心的な役割を担う企業「BEER EXPERIENCE」がオフィスを置いている重要な場所だということ。

キリンは、遠野という町や「BEER EXPERIENCE」と「想い」を共にするだけでなく、ビジネスのパートナーとしてこの企業に出資をしているそうだ。

今は「上閉伊酒造」さんの事務所に居候(いそうろう)させてもらっているような感じです、机をいくつか持ち込ませてもらって(笑)

「遠野ホップ収穫祭」のときに浅井さんは冗談めかしてそんなふうに言っていたけれど、僕はこの場所で、古くからこの町で「酒造り」をおこなってきた老舗の酒蔵をも巻き込んで展開される「TKプロジェクト」が、いかに遠野とそこの住む人たちに期待されているのかを感じることができた。

バスツアーが終わり、僕がその足で向かったのは、遠野の未来を握っているかもしれない「ふたつのピース」のもとだった。

「ビールの里」にふさわしい
「新しいビールのおつまみ」を発信

© 2018 TABI LABO

僕が「パドロン」を知ったのは、スペインを旅したときのことだ。

バーでも、ビアホールでも、ビールのおつまみとして定番の食材、それが「ししとう」によく似た野菜・パドロン。日本でいう枝豆のような存在といえばわかりやすいかもしれない。素揚げにして塩を振りかけただけのシンプルな調理法が一般的で、日本では「キリンシティ」というビアレストランなどで収穫時期に期間限定で食べることができる。

そんなパドロンを遠野で生産し、遠野を「ホップの里」から日本のビアカルチャーを牽引する「ビールの里」にしようと地域を盛り立てているのが「BEER EXPERIENCE」の社長・吉田敦史さん。

浅井さんがいう「重要なピース」のひとりである。

© 2018 TABI LABO

僕は吉田さんに、このプロジェクトに参加した経緯を尋ねた。

2013年にキリン主催の「東北復興 農業トレーニングセンタープロジェクト」に参加したのがキッカケです。すでにパドロンの栽培はしていたんですが、浅井さんにパドロンについてお話していたときに「ホップの里、ビールの里、ビールのおつまみ......あっ!」って、点が線になったのを覚えています。それから企業や行政と連携して、「遠野パドロン」を「ビールのおつまみ野菜」として全国に広める活動をスタートさせました。

そのとき、僕はまだ「BEER EXPERIENCE」という会社がなんのために作られたのかを理解できていなかった。

そんな僕の思いを察したのか、吉田さんはシンプルにこう説明してくれた。

「BEER EXPERIENCE」の現在の大きな柱は二つ。一つ目がホップや遠野パドロンの栽培と販売。そして二つ目が、遠野のビールにまつわるスポットやエリアを一般の人に体感してもらう「ビアツーリズム」という旅行パッケージの提案や販売です。これらは「ビールの里構想」を実現するための重要な活動のひとつだと考えています。

なるほど、吉田さんたちが考えていることは、ただの「ビジネス」ではなさそうだった。

遠野が官民一体となって進めている「ビールの里構想」には、巨大な企業から、私たちのような小さな農業法人まで、じつに多くの人と組織が関わっています。そのなかでも、この地域に住んで、実際に生活している私たちにしかできないことは絶対にあって、そこに向かって真剣に取り組むことで、きっと夢は叶うと信じています。夫婦ふたりではじめた小さな農園が、日本のビアカルチャーに大きな流れを生み出せるように、関係先や地元の人たちと手を取り合って進んでいきたいと思います。

遠野にくるキッカケを
くれた若手ブルワーの言葉

吉田さんの農園をあとにした僕は、遠野駅前の目抜き通りを歩いて、最後の目的地へと向かう。

古い商店や旅館が軒を連ねるのどかでひなびた街並みのなかに、おしゃれなカフェのような門構えのお店が現れた。

「遠野醸造TAPROOM」。ここが、僕の遠野の旅の最後の目的地だ。

© 2018 TABI LABO

「遠野醸造TAPROOM」は、その名の通り、遠野で営業する醸造所であり、軽食も楽しめるバー(TAPROOM)形式のお店だ。

ここで作っている酒類は、もちろんビール。当然だが、そのビールには遠野産のフレッシュホップが使われている。

でも、僕が興味をそそられたのは、おしゃれなお店の作りや遠野生まれのクラフトビールよりも、このマイクロブルワリーを立ち上げた人物とそこに至る経緯のほうだった。

以前に「TABI LABO」でも取り上げたことのある袴田大輔さんこそが、その人物であり、「キリン」の浅井さんがいう「プロジェクトを押し進めるために必要なピース」のひとりだった。

僕は袴田さんに会って、真っ先に尋ねた。なぜ、ブルワーを目指したのか。

僕は学生時代に世界30カ国を旅してきました。それぞれの国、それぞれの街に独自のビール文化があって、ビアカルチャーにはもともと興味があったんです。大学を卒業して、ある大手のアパレルメーカーに就職したんですが、そこは大量生産、大量消費の最前線にあるような企業で、ずっと心に引っかかるものを感じていて......。そして、作る人と買う人がフェイストゥフェイスでつながれる仕事をしたいと考えたときに、真っ先に思い浮かんだのがビールのブルワーだったんです。

2017年に遠野に移住してきた袴田さんが、真剣に「遠野らしいビール」を生み出そうとしているところが、このプロジェクトのおもしろいところだと思う。

袴田さんの思う「遠野らしいビール」とは、一体どんなものなのだろう。

ひとつは「遠野産ホップのキャラクターを活かしたビール」です。新鮮な生のホップでビールが作れるのは生産地ならではの強みですし、今後、ホップがもっと多品種化していって、それぞれのビールごとに違うホップを使うことができたら、きっと日本のクラフトビールはもっとおもしろくなっていくと考えています。あとは、遠野には様々な名産があるので、それらを素材にしたビールにも興味があります。リンゴ、ハチミツ、ワサビなど、それらを副原料にした新感覚のビールを生み出すことができればいいなと考えています。

袴田さんが作ったピルスナーは、普段、重めのスタウト系ビールを好んで飲むことの多い僕でも、すごくおいしく飲むことができた。

でも、きっとそれは新鮮なホップを使っているからだけではないと思う。

ビールに限らず、お酒は飲んでいるときに会話する相手によって味が変わる。

遠野という町で憧れの職業だったブルワーとして充実した日々を過ごし、遠野が世界に誇る「ビールの里」へと進化していることを実感している袴田さんの前向きな言葉の数々は、僕にとっての最高のおつまみだったに違いない。

遠野の旅で学んだ相手を
思いやることの大切さ

© 2018 TABI LABO

僕はこの遠野の旅で、大切なことを学んだ。

遠野は今、官民学がひとつになって地域を盛り上げている成功例として、日本中から注目を浴びているという。

それは、企業規模の大きさや官・民といった立ち場を超えて、それぞれの役割や強みを存分に発揮できる環境が作れているからだと思う。

そして、その環境を作るためにもっとも重要なことは、いかに相手の立場に立って考え、コミュニケーションをとるか。

「キリン」の浅井さん、「BEER EXPERIENCE」の吉田さん、「遠野醸造」の袴田さん、そして「遠野ホップ収穫祭」で出会った人たちは、みんなすごく温かく、優しかった。初対面の僕を、誰もが笑顔で迎え入れてくれた。

きっとその優しさは、遠野の素材を使ったビールを飲むことでも感じられるはずだ。

優しく、そして丁寧な気持ちで生み出したものの素晴らしさは、きっと相手にも伝わるから──。

※ストップ! 未成年者飲酒・飲酒運転。問い合わせ先/キリンビールお客様相談室 TEL:0120-111-560

Top image: © 2018 TABI LABO