「古着ブーム」で問われる、ブランドの意義

大量消費の問題性が指摘され、ファストファッションの流行が収束して久しい現代。持続可能性を意識するファッション業界では、大変革が起こっているようだ。

というのも、流行や一時的な影響の大きかったファストファッションに代わって、いま、古着の需要が爆発的に拡大しているという。

アメリカで古着専門のECサイトを運営する「thredUP」が公開したレポートによると、この数年で古着市場は著しく拡大しており、2025年までには現在の倍近い規模になっていく見込みだそう。

© 2021 thredUP and GlobalData
© 2021 thredUP and GlobalData

グラフを見ると、その額はなんと770億ドル。日本円にすれば8兆円を超えるものだ。2021年時点での360億ドルも過去最大で、その規模はほぼ右肩上がりとなっているのがわかる。

ではなぜ今、古着がブームなのか。

その理由の一つは、サステナビリティへの配慮。これは言わずもがな、着られなくなってしまった、今までは捨てられる運命にあった服に再び命を吹き込むという意識によるものだ。

若い世代、特にZ世代の消費者はブーマーズと比べて衣服の再利用や再販、持ち主が移り変わっていくことに前向きで、古着を選ぶことに抵抗がない。

© 2021 thredUP and GlobalData

それどころか、若者にとって古着はさまざまな背景をもつ“ヴィンテージ品”であり、それが自分の個性とマッチしたときの喜びは格別。(ちなみに、過去のインタビューでかのベラ・ハディッドもそんなようなことを言ってたはず)

かくいう筆者も古着を選ぶことに抵抗はないし、ロック好きとして至極のバンTを選び抜く喜びを味わっている一人。好きなバンドやツアーのもの、さらには尊敬するロッカーが身につけていたヴィンテージ品なんかが自分にフィットしたときには......もう最高。(笑)

脱線したが、こんな具合に若者が古着を好む理由はさまざま。

そしてもう一つ、この古着ブームの要因として挙げられているのが、じつは新型コロナウイルスによるパンデミックだ。

日々の生活が制限され景気も良くない中で、消費者たちは急速的に節約を重視する傾向になっているのだそう。

この節約マインドサステナ思考と合わさって、安くてエコ、しかも個性抜群の古着はまさに“理想の買い物”であるというわけだ。

ちなみにこの「古着」という言葉に含まれているのは、先述したバンTやヴィンテージ品などのいわゆる古着だけでなく、ブランドの型落ちや中古品などの比較的新しいものも含まれているのだそう。

例えば、「thredUP」が消費者に行なったアンケートでは、「古着屋などで安くなったブランド品を買いたい」と答えた人は43%、さらに「店頭で新品と同じようにブランド物の古着が売られていたら、古着を買いたい」と答えた人も34%に上っている。

ブランドに限らず古着を探すもう一つの楽しみは、“奇跡の出会い”が起こること、では?「thredUP」によるアンケートの回答にも挙げられているもので、これがなかなか味わい深いのだ。

先述したヴィンテージ品はもちろん、「Vestiaire Collective」や「The Real Real」のようなブランドもののユーズドを専門とするECサイトでは、毎日数え切れないほどの出会いが起こる。

例えば、引退したデザイナーの時代のアイテムが眠っていたり、中には理想の一品が破格の値段で売り出されていることもある。冒険心のようなものがときめき、そのお得感は他ではなかなか味わえないもの。

© 2021 thredUP and GlobalData

そんな心躍るブランド古着探しではあるが、考えてみればこれはなかなか興味深いところ。

そもそもブランドやデザイナーによる高級な服の良さとは価値の普遍性であり、良質な服とは時代を超えて輝きつづけるものであると筆者は考えている。

そんなブランド品が、古着となってなお新品より好まれる時代というのは、ブランドの価値を不動のものにしているという点では理にかなっている。

一方で、これはある意味ブランドが現代も継続している意義を薄れさせてしまっているようにも感じられないだろうか。

ハイファッションがSDGsに向き合えないというのは過去の話だが、ブランドが生き残るためには、それ以上になにか新しい価値を見出す必要がでてきているということ。

難しい問題ではあるが、ともあれ、消費者が持続性や節約の必要性を重んじるようになってきたことは喜ばしいニュースだ。

伸びしろが大きい古着市場のこれからと、生き残りをかけたブランドの動きに注目したい。

Top image: © 2021 thredUP and GlobalData
TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。