【ダークツーリズム】戦争に翻弄され続けた、フィリピン「コレヒドール島」
人類の歴史は、輝かしい面ばかりではありません。片方の国が発展を遂げた影には、戦争に敗れた国もあり、産業発展のあとに振り子の揺れ戻しで衰退が訪れた街もあります。
そんな人類の悲しみの現場と対峙する旅が「ダークツーリズム」と呼ばれるもの。そこには悲しみや怒り、絶望しかないかもしれません。でも、実際に足を運ぶことに意味があるのではないでしょうか。
今回は、他国の戦争に巻き込まれ続け、植民地として長年耐え忍んだフィリピンの「コレヒドール島」を紹介します。
【フィリピン・コレヒドール島】
100年もの間
歴史に翻弄された島
Photo by Jonald Morales/shutterstock.com
砲撃を受けたままの姿で数多く残された、太平洋戦争時の戦跡。
この島は、フィリピンにありながら100年もの間、いつもどこかの国の植民地として統治されていました。歴史を振り返れば、スペイン統治から第二次世界大戦まで、島の歴史にフィリピンは不在だったのです。
フィリピンとしての
空白の歴史
空白の歴史
18世紀、フィリピンはスペインの統治下に置かれ、「コレヒドール島」はマニラ湾に入る船の検問所として使われていました。
1898年になると、米西戦争でアメリカがスペインに勝利。フィリピンはアメリカに統治され、島は砲台を抱えた海上要塞としての役割を果たしました。
太平洋戦争が開戦すると、日本がフィリピンに侵攻。首都マニラを占領し、苦戦を強いられながらもバターン半島とコレヒドール島からアメリカ軍を撤退させたのです。
そして1945年、反撃をうかがっていたアメリカの猛攻により、日本軍は玉砕。島の中心にあるマリンタトンネル内に追い込まれ、およそ3,000人の日本兵が集団自決をしたのでした。
この戦いにより、島は一面焦土と化しました。アメリカに奪還されたコレヒドール島は、戦後2年が経つと、ようやくフィリピンに返還されたのです。
こんなところも訪れてみては?
【サンチャゴ要塞】スペイン統治の歴史と対面
独立を訴えた者が投獄された独房や、日本軍が捕虜を処刑した地下牢や水牢など、痛々しさの残る要塞都市跡。太平洋戦争時に破壊され、今は再建されています。
【モール・オブ・アジア】アジア最大級のショッピングモール
2006年オープン。東京ドーム8つ分の広さを誇り、800もの店が軒をつらねています。ボウリング場やスケート場、テーマパークを併設しており、夜は花火も。
【庶民の足、ジプニー】チャレンジしてみたい乗合バス
運賃は約8ペソ(約19円)と激安。おおよその行き先はバス側面に書かれており、どこでも乗り降りできます。降りるときは「停めて!」と叫ぶか、天井を叩いて合図。くれぐれもスリに注意。
■ベストシーズンは、11~2月
乾季のなかでも、クールドライと呼ばれる11月から2月は温度が低く、最も過ごしやすいシーズン。それをすぎると乾季でも酷暑となり、不快指数が上がります。■予算は5万円~
飛行機代、宿泊費含む、諸税等別途必要、燃油サーチャージ込み■プランは4日間
1日目 東京発、マニラ発
2日目 コレヒドール島観光
3日目 マニラ市内観光
4日目 マニラ発、東京着※マニラまでは日本から飛行機で約4時間半。コレヒドール島には、ターミナルからフェリーで約1時間20分ほど。
島中のたくさんの戦跡が、戦争の激しさを物語っています。他国の歴史に翻弄されつづけたこの場所から、一体何が見えるのでしょうか。
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