【ダークツーリズム】砂漠でゴーストタウンと化したチリの「硝石工場群」
人類の歴史は、輝かしい面ばかりではありません。片方の国が発展を遂げた影には、戦争に敗れた国もあり、産業発展のあとに振り子の揺れ戻しで衰退が訪れた街もあります。
そんな人類の悲しみの現場と対峙する旅が「ダークツーリズム」と呼ばれるもの。そこには悲しみや怒り、絶望しかないかもしれません。でも、実際に足を運ぶことに意味があるのではないでしょうか。
今回紹介するのは、地下資源の硝石により栄えたのち、ゴーストタウンとして砂漠に置き去られたハンバーストーンとサンタ・ラウラ硝石工場群です。
【チリ】砂漠に残された
ゴーストタウン
ゴーストタウン
Photo by Marisa Estivill/shutterstock.com
世界遺産、そして地震により危機遺産となっている硝石工場群。
ここはかつて、大量の硝石が採掘され、砂漠の一大企業城下町として長らくチリの経済を支えていました。周辺国からも労働者が集まり共同体をつくるなど、独自の文化も築かれるほどでした。
栄枯盛衰を物語る
「硝石」産業
「硝石」産業
19世紀半ば、硝石は農作物の肥料や、軍事力の強化といった価値がイギリスで認められ、1872年には硝石工場群が砂漠の真ん中につくられるほどでした。
太平洋戦争で勝利したチリがその豊かな硝石資源を獲得し、輸出税の利益で国内は潤いました。さらには、国境を越えた労働者と独自の共同体文化を築くまでに発展。
労働運動が起きながらも終わることのなかった硝石ブームは、1929年に発生した世界恐慌により一転。
さらに、第一次世界大戦でドイツが硝石に変わる化学肥料や硫酸の精製に成功したことで、チリは硝石の輸出先を失い、一気に破綻へと追いやられたのです。
1934年にハンバーストーンは買い手がつき一時復活したものの、1958年、ついに工場は閉鎖。世界の硝石のほとんどを産出していた砂漠には、ついに誰もいなくなったのです。
こんなところも訪れてみては?
【ピカの温泉】火山国チリの恩恵
アタカマ砂漠の中にある小さなオアシスの街、ピカ。アンデス山脈から湧く温泉は日本と異なり、温度はかなりぬるめです。外国の温泉は水着着用なので、持っていくのを忘れずに。
【ピンタードスの地上絵】12〜15世紀に描かれた古代のロマン
硝石工場群からまっすぐ南下。山の斜面に石を並べてつくられた地上絵を、いくつも見ることができます。いまだ誰が何のためにつくったのか解明されていないのも魅力。
【海の街、イキケ】趣のある街
硝石工場群に行く際の拠点となる、タラパカ州の州都イキケ。歴史ある時計塔や聖堂などがあり、夜にはライトアップされます。海の街ならではの港もオススメ。
■ベストシーズンは、5~9月
アタカマ砂漠が広がるチリ北部は、世界で最も乾燥した地帯といわれ、通年で気候の変化がほぼなし。しいていえば1日の寒暖差のない5〜9月がベストシーズン。■予算は34万円~
飛行機代、宿泊費含む、諸税等別途必要、燃油サーチャージ込み■プランは6日間
1日目 東京発
2日目 経由地乗継、イキケ着
3日目 ハンバーストーンとサンタ・ラウラ硝石工場群観光
4日目 イキケ観光
5日目 イキケ発、経由地乗継
6日目 東京着※最寄りの都市イキケまでは日本から飛行機で約32時間。イキケからハンバーストーンとサンタ・ラウラにはバスで40分。
廃墟となったこの地は、産業の栄枯盛衰を物語っています。産業のもたらす力と、発展に伴う痛み。このゴーストタウンから汲み取るべき教訓があるのではないでしょうか。