古代ローマ人が、犬の島と名付けたのはどこ?謎と神秘に包まれた「離島」の魅力

近年では、世界中の風景をストリートビューで見られるようになりました。ストリートビューは、地図としてはもちろん、その場所に行かなくても旅行した気分を味わうこともできます。たとえば、普段なかなか触れる機会が少ない「離島」なども、その対象になるはず。

おもしろ地理学会が編集した『世界史からこぼれ落ちた離島伝説』には、世界の離島にまつわる歴史や謎が紹介されています。情報や知識をインプットして見る離島は、また違った景色かもしれませんね。

イギリスvsアルゼンチンの
舞台となってしまった
【フォークランド諸島】

アルゼンチンの最南部から東へさらに約500㎞ほどの大西洋上にあるのがフォークランド諸島。総面積は12,000㎢で、一番多く生息している動物はペンギン。なんと人間の数より多いそうです。フォークランド諸島はアルゼンチンと近距離であっても同国の領土ではありません。この島から約15,000㎞も離れたイギリスの領土なのです。

そもそもフォークランド諸島は16世紀以来、スペイン、フランス、イギリスなど列強国のターゲットになっていました。そんなフォークランド諸島をイギリスが占拠したのは1833年のこと。そこからイギリスとアルゼンチンがともに領有権を主張し続けていたのです。交渉は遅々として進んでおらず、1982年にフォークランド諸島の領有権をめぐって大規模な戦争が起きてしまいます。最終的にイギリスがアルゼンチンを降伏させましたが、両国ともに数百人規模の死傷者を出す悲惨な結果となってしまいました。

多くの奴隷が
収容されていた悲しい過去
【ゴレ島】

セネガルの首都、ダカールの港から船でわずか20~30分ほどの沖合に浮かぶゴレ島。徒歩でも1時間程度あれば一周できてしまうほど小さな島です。今は静かな街ですが、およそ300年間、セネガル各地から集められた人々が奴隷としてこの島へ送り出されていた時代がありました。

17世紀。フランスがセネガルに進出し、ゴレ島もフランスの支配下に置かれることになりました。同国の奴隷に対する考え方は悲惨で、奴隷はあくまでも商品のひとつ。有無を言わさず強制労働につかせていました。

奴隷貿易の拠点となっていたゴレ島には年間数百人もの奴隷が収容。島に現存している「奴隷の館」は、出航を待つ奴隷が押し込まれていた場所。性別や年齢によって分類され、体力のあるものだけ売られていきました。

現在、島のビーチでは観光客が無邪気にはしゃぐ姿が見られます。悲しみを背負った人たちが荷物のように船に積み込まれていった歴史は、すでに過去のものとなっているようです。

古代ローマ人が
犬の島と名付けた
【カナリア諸島】

カナリア諸島は、スペインから南西へ約1,100㎞、アフリカ大陸の北西約115㎞の大西洋上にあります。15世紀以来、長らくスペインの領土となっています。カナリア諸島という名の由来は、小鳥のカナリアであると思われているかもしれませんが、じつは違います。確かにカナリアは生息していますが、まったく別の意味が込められているのです。

カナリア諸島を発見したのは、古代ローマ人。彼らが上陸した頃にも鳥はいたものの、それ以上に目を引いたのが野犬の多さでした。そのことから古代ローマ人はこの島を「インスラエ・カナリアエ」と名付けました。

インスラエは「島」、カナリアエは「犬」を意味するラテン語。つまり、当初の名前は「犬の島」だったのです。そのうちカナリアエがなまってカナリアへと変化していきました。それから島原産の鳥もカナリアと呼ばれるようになったのです。鳥の名前よりも、島の名前のほうが先にあった、というのが真相なのだそうです。


※上記内容はすべて、書籍刊行時点での情報です。

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