春にして死を夢みたあなたが、ずっと嫌いでした。
「いる」人が「いなくなる」だとか、「ある」ものが「なくなる」だとか。
大切な何かを「失う」というのは、すごくすごく悲しくて、辛くて、苦しいこと。その喪失感から立ち直るにも相当のエネルギーを要しますから、できるなら避けて通りたいと思うのが当然かもしれません。
でも映画『四月の永い夢』を観ながら考えたんです。失うことによって、わたしたちは否応無く本当の自分と対峙しなければいけなくなる。だとしたら、失い続ける中で、どんどん自分への理解が深まるのか?と。
あなたはまだ若いから、人生とは何かを獲得してゆくことだと思っているかもしれない。でも本当は、人生って失ってゆくことじゃないかと思う。失い続ける中で、その度に、本当の自分自身を発見してゆくしかない。
これは「恋人の死」という事実を3年もの間拒絶してきた主人公に向かって、恋人の母親が言ったセリフです。
ただでさえ混沌とした未熟な心に喪失感を抱くのは、誰だって怖いもの。向き合えないのも無理はありません。
けれど、人生を客観視して、何かを得るよりも失う経験の方が大きく成長できると考えられたなら。失ったという事実と、少しは器用に向き合えるようになるのかなと思うのです。
(c)WIT STUDIO / Tokyo New Cinema