#3 過去ではなく、未来に。――Vektroid インタビュー
いくつものプロジェクト名でリリースを行っていた彼女の作品のなかでも、2011年にMachintosh Plus名義でリリースした『Floral Shoppe』は、ヴェイパーウェイヴを代表する不朽の名作とも言われている。今、そのカセットテープは、14万円で取引されるほど希少価値が高い。
これまで本人のメディア露出はほとんどなかったが、2018年6月にブラジルのメディア「I Hate Flash」に登場。貴重なインタビューをここに転載。
イベントを成功させるのは容易なことではない、とは誰もが知っている。なにか方程式はあるのだろうか。
想像してみてほしい。成功をおさめるシリーズイベント、そのアニバーサリーを盛り上げるオーガナイズ集団、彼らが抱えるプレッシャーと責任の大きさはどれだけのもの?
答えは、5年にわたりパーティーを成功させてきているXXXBórnival を見ればわかる。
38ものイベントを企画して盛り上げてきたこのシリーズは、ブラジルの大手新聞「Folha de São Paulo」についてくる文化小冊子のガイドで、2016年ベストイベントに選出された。そのアニバーサリーなのだから、盛大なものになることは明らかだった。
3ステージ、27のアトラクション、12時間に超えるプログラムによって、2013年から継続するイベントの歴史をふりかえるという規模の大きさだ。
XXXBórnivalは、Freak Studioという音楽レーベルによる企画で、新しいバンドやインディペンデントなプロジェクトなど、異なる趣向の存在が一堂に会し、様々なトライブに属する人々の文化交流を促進する目的でスタートした。
サンパウロのクラバーの間で知らない人はいない老舗クラブ、Trackersがその実験の場だった。私たちがこのフェスティバルに期待していたことは何か?
「この夜、参加者全員が尊重され、自由を感じられる環境下に、ジャンルに囚われない良質な音楽を集めたかった」と、オーガナイザーのひとり、Daniel Ferrazは言った。Red Bull、Vice、Bolovoなどの協賛を得た人物だ。
「ぼくたちはみんなずっとヴェイパーウェイヴの大ファンだった。だから、お祝いのケーキに“チェリー”を添えたかったんだ。Vektroidを呼べてみんな大喜びだった」
なんて“チェリー”だ!
XXXBórnivalは、VektroidやMacintosh Plusの名前で知られる、あのラモーナ・アンドラ・ザビエルを初めてブラジルに招聘したのだ。YES!
彼女はVaporwaveの象徴ともいうべきヒット曲のクリエイターであり、このジャンルを音楽の地図へと新たに記した伝説的アルバム『Floral Shoppe』をつくった人だ。
このミステリアスな人物を間近で見るチャンスを逃すわけにはいかなかった。ラモーナ・アンドラ・ザビエルはトランスジェンダーの女性で、プロデューサー、DJ、そしてグラフィックデザイナーでもあり、9つもの異なるプロジェクトで30枚以上のアルバムをリリースしている。優れたアーティストキャリアの持ち主だ。
それなのに、ワシントン出身で26歳の彼女は、メディアに登場することも、私生活をSNSで晒すこともほとんどない。
私は、人生で最もエネルギッシュなとてつもないパフォーマンスを見せてもらった数時間後に、ラモーナと直接話をすることができた。国際的に知名度のあるアーティストが、一体どうすればこんなにも目立たない姿勢を貫けるのだろうか。
──初めてのブラジルで、しかもフェスティバルのメインアクターとして、大勢の観客の前でパフォーマンスをした気分はどうですか?
なにもかも素晴らしいです。
ステージ上で、みんなからたくさんの愛を感じて、とても嬉しかった。こんなに愛情深く迎えられるなんて信じられないくらい。ここに来て大勢の観客を目にして、初めてこの規模の大きさを実感しました。本当に驚きました。
──このフェスティバルにあなたの名前が告知されて、多くの人が驚いたと思います。ちょっと前に会場のファンと一緒に写真を撮ったり、会話している姿を見ましたが、ほとんどのファンはあなたと一定の距離を感じてもいると思います。
はい。わかります。ご覧の通りですよ。たくさん話しますし、コミュニケーションのとりかたも独特だと思います。長い間ずっと、多くの人が私の発言を誤解している、誤った情報が拡散されていく、と感じていました。
主にメディアやインタビューが理由です。精神衛生上、悪影響でした。だから、発言を控えるようになりました。私にとって最も大事なことは、心を健康な状態に保つことでした。本当に私のことが好きなファンは理解してくれると思います。
フェスティバルはまだ続いていたので、彼女との会話を一旦中断し、バーチャルなチャットで話を続けようと約束した。
別れ際、彼女に伝えられずにはいられなかった。トラック運転手たちのストライキがあり、交通網がストップして街が大混乱していたなか、「次はリオデジャネイロを案内させてね」と直接彼女を誘うために、サンパウロまで大変な苦労をしてたどり着いたのだということを。
私たちがVektroidに対して抱いていた、ミステリアスでベールに包まれたようなイメージは、15分も経たないうちに払拭された。だけど、彼女に聞きたいことはまだまだあった。
──あなたはビジュアルアーティストとしても素晴しいし、信じられないミックスやパフォーマンスでもリスペクトされています。何歳のときから創作をはじめて、その才能を開花させたんですか?
デジタルアートでいろいろな試みをはじめたのはとても小さな時からです。音楽に触れたのは2004年で、12歳くらいのときでした。
両親は音楽が大好きでしたが、知識が豊富だったわけではありませんでした。だから、とても早くからこの世界に入ったけれど、なにが正しいかはまったくわかりませんでした。
最初は、当時流行っていた『ダンスダンスレボリューション』のようなゲーム音楽の切り貼りで、コンピューターであらゆる音を試しながら、サウンドをつくって遊んでいました。音楽キャリアのことなんてまったく考えていませんでしたが、2010年になにもかも変わりました。
──あなたは、自身の音楽で人々にどのような気持ちを呼び起こしたいと思っていますか?
クィア(異性愛やジェンダーバイナリズムのみに当てはまらない人)な人間として、この社会に居心地の悪さを感じている人間として、その目線で世界感を表現しようと今までやってきました。
それまでは、人とのコミュニケーションにいつも緊張感を感じていました。でも、音楽は他人とわかりあうだけでなく、自分自身と対話して、この人生のなかで何が大切かを発見するための術となりました。
私の音楽は、ほとんど私が聴いていたものから生まれています。子どもの時に世界をどのように観察していたかを思い出させてくれる日記でもあるんです。だから、ポップなビデオゲームや、サイバーパンク、90年代のコマーシャルソングなどの影響が見えるんです。
──私生活への侵入をほぼ避けられないインターネット時代のアーティストでありながら、控えめな姿勢を保つのは、どんな感じですか?
私の場合、そんなに難しいことじゃありません。ずっと自分の見た目が好きじゃなかったし、自分の写真を表にさらけ出したいとは思わなかったから。電子音楽は、私の容姿とは関係ないところに人々の関心を寄せるためのツールだと思ってきました。
だけど、業界のロジックはその正反対にあります。私にとってはそれが不快なんです。
結論、私という人間は、スタジオにこもって、カメラの後ろで仕事をしたいタイプの人なんです。これからも、そうしていきたいと、ますますそんな気持ちになっていっています。
──ヴェイパーウェイヴは、今のあなたにとってどんなものですか? この音楽、アートムーブメントのなかで、あなた自身の重要性をどのように捉えていますか?
正直、この分野においてみんなが言うように、自分が一番偉大な存在だとは思っていません。だけど、ヴェイパーウェイヴはノスタルジアなものへの分析を促すようなアイデアで、それは単なる音楽ジャンルとして捉えるよりもずっと大きなことだと思っています。
ヴェイパーウェイヴは、その概念を理解した人たちが、それにインスパイアされ、さまざま手法を用いて、独特で革新的なアイデアを生み出す乗り物なんです。それが私にとっての救いです。
インターネットを介して世界的規模で情報が巡るようになった頃、どの程度までサンプリングした音楽がオリジナルな創作だと呼べるのか、というような議論のために、不名誉な意見がつきまとってきました。
でも、今はこのムーヴメントについての批判をはねのけるためにがんばっている人たちがたくさんいます。
──今回のパフォーマンスでは新しいサウンドをたくさん披露してくれました。
Macintosh Plus、New Dream Ltda、 Laserdisc Visionといった、著名な作品からの演奏を待っていたお客さんも多かったかと思います。
過去のものをプレイすることにまだ喜びを感じていますか? それとも新作を聞かせたい?
ほとんどのプロジェクトは、制作中に出会った悪い出来事を浄化したいという願いから生まれました。だから、過去の音楽をパフォーマンスしたいと思うことは、ほとんどありません。暗黒時代に戻るようなものです。
もちろん、ClearSkiesや Laserdisc Visionsなど、今でもポジティブな作品はあるし、そういうものをプレイしたり聞くこともあります。
『Floral Shoppe』はどうだろう……。このアルバムは5年以上はもう聞いてないと思います。あまりにもネガティブなことばかり思い出すから。
今は、これまでにないくらい、私の前にあるものに集中している気がします。過去ではなく、未来に。
──アートビジュアルや音楽制作の過程で、インスピレーションを受けているものは何ですか?
あまり考えずに答えるなら、私のアートは主に幼少期の想い出から生まれていると言えます。インターネットが登場してから最初の5年間を体験し、同時にこの文化的衝撃を受ける前の世界を知っている最後の世代としての記憶です。
私がつくったすべての作品は、それらを記録しておく日記なのではないかと思うことがあります。だから、これから50年先を見ると、少し平和だなと思うんです。その平和は、リスナーへ、癒しという形で届くだろうとイメージしています。アートってそういう力を備えているものだから。
──8年前にVektroidとして、コラボレーションもしない、パフォーマンスもしない、とTumblrに書いていたことを思い出して、どんなことを感じますか? マーケットとの関係に対する考えは、あの時と変わったのでしょうか。
残念ながら、私はここ数年で音楽業界についてより懐疑的になったと思いますが、今は他のアーティストとコラボレーションをする予定もあります。
Midnight Run 2(Mc Siddiqと一緒に、実験的なブーンバップのプロジェクトから制作したセカンドアルバム)はもうすぐ完成しそうで、年末にリリース予定だし、3枚目についても考えています。
将来的には、もっとライブをやりたいと思っていますが、今は制作途中のアルバムを作り終えることに集中しています。それから、ライブで使う機材を増やすことや、ビジュアル的な要素をもっと加えていくことも考えています。
いろいろなことが同時多発的に起きていた今回のイベントでは、起きていることをすべてちょっとずつ覗き見したいという気持ちを抱かずにはいられず、ひとつのステージを選ぶのが難しかった。
ブラジルを代表する、Boogarins (ゴイアス)、Akin/Non Exist (サンパウロ)、Tessuto (サンパウロ) Carne Doce (ゴイアス)、Tagore (ペルナンブーコ)、Letrux (リオデジャネイロ) 、Teto Preto (サンパウロ)など、新しい世代が最も参考にするDJたちのパフォーマンスがあり、誰を見るべきか決めかねる思いを何度もした夜だった。
実際、メインステージのトリをかざったパフォーマンスのひとつ、Teto Pretoは、パフォーマンスであり、政治的プロテストであり、まるで音楽のかたちをした自然現象のようでもあった。フェスティバル全体の様子はコチラのリンクからチェックできる。
私の目には、Freak Studioが目的を達成し、成功をおさめたことが明らかだった。ドリームポップからテクノ、エクスペリメンタル、ジャズを経由し、その場にいたみんなが本当に心から楽しんだ。
一夜にして、たくさんの良質な音楽を届けてくれたXXXBórniaに、拍手を送りたい。