猫カフェで猫を「消費」していたかもしれない、と気づかせる宿
千葉県富津市の里山にある宿泊施設「和心村」が、2026年7月、ひとつの新しい言葉を発表しました。その名は「猫治(ねことうじ)」。湯治──温泉地に長く滞在して心身を整える日本古来の文化──になぞらえた造語です。
「猫治」という名前が
しっくりきた理由

和心村には保護猫たちが暮らしていて、築約200年の古民家や北欧テント、ツリーハウスが里山に点在しています。焚き火、薪サウナ、季節ごとの自然。
これまで「グランピング」「古民家宿」「猫のいる宿」──いろんな言葉で紹介されてきたそうです。でも、どれもしっくりこなかった。
代表の竹の内馨氏いわく、先に新しい言葉をつくって施設を合わせたのではなく、実際にそこで続いてきた過ごし方を見つめ直した結果、「猫治」という名前が後からついたとのこと。
ここが面白いところです。ブランディングのために言葉を発明したのではなく、すでにあった空気に名前を与えた。順序が逆なんです。
「猫カフェ」とは真逆の価値観がそこに

猫治文化には四つの柱があります。なかでも印象的なのは、最初に掲げられた「猫たちの暮らしが先にあること」という一文。
和心村の猫たちは、人を楽しませるために待っているわけではありません。里山で日々を暮らしている。その暮らしが守られていることが、すべての出発点になっています。
ふたつめは「猫の姿から学ぶこと」。猫は人の予定に合わせません。昼寝したければ昼寝するし、来たくなければ来ない。その姿を見て、「何もしないと決めること」も暮らしの一部だと気づく。
そして「出会った距離を大切にすること」。無理に抱いたり囲んだりせず、そのとき自然に生まれた距離をそのまま受け入れる。それが猫治の作法だといいます。
これ、私たちが猫カフェでやっていることの真逆ではないでしょうか。
猫カフェは素敵な場所です。でも構造としては「お金を払い、決められた時間内に猫とふれあう」もの。猫は癒しのサービス提供者であり、人間のスケジュールの中に組み込まれています。
猫治はその関係を反転させます。猫の時間に、人間が合わせるのです。
「何もしない時間」に名前がつけば
それは許可になる

「猫治」の「治」は医学的な治療を意味しません。湯治のように、日常から少し離れてひとつの土地に身を置く時間を指しています。
都市で暮らしていると、「何もしない時間」にはどこか罪悪感がつきまといます。休日でさえ、何かを達成しなければ損をしたような気持ちになる。
でも猫は、何もしないことに一切の罪悪感を持ちません。その姿をそばで見ているうちに、「自分も何もしなくていいんだ」と思える──猫治が提案しているのは、そういう時間の過ごし方です。
東京から車で約70〜90分。近いようで、ちょうどいい距離かもしれません。猫の暮らしに合わせてみることで、自分のペースを思い出す。それは「癒しをもらいに行く」のとは、少しだけ違う旅のかたちです。






