「自分探しの旅」あえて僕は賛成!-『遊牧夫婦』著者・近藤雄生-

近藤雄生/Yuki Kondo

ライター。大学院修了後、旅をしながら文章を書いて暮らそうと決意し、2003年に妻とともに日本を経つ。旅と定住を年単位で繰り返しながら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌に発表。紀行文、ノンフィクション、エッセイ、理系記事・書籍などを執筆。最新刊に、『終わりなき旅の終わり さらば、遊牧夫婦』(ミシマ社)がある。ウェブページ:www.yukikondo.jp

001.
苦悩でさえも、行動のエネルギーに変えるth_10736447_730855820324080_859069481_o

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近藤さんが旅に熱中するようになったきっかけについて聞かせてください。

Answer

ぼくには吃音というコンプレックスが昔からあって、それをずっと気にしながら学生時代を過ごしていました。大学に入ったころは、特別強く旅に興味があったわけではありません。最初に旅に出かけたのも、「一人旅でもしてワイルドになったら吃音が治るんじゃないか?」と考えてのことでした。
でも、旅をしても、吃音はほとんどよくはなりませんでした。そしてそのうちに、「こんなでは就職できないんじゃないか?」「日本社会では生きていけないんじゃないか?」っていう不安感がどんどん大きくなっていきました。
自分はきっと就職してもうまくやっていくことはできないだろう。自分はどうやって生きていったらいいのだろう。いろいろと考えた結果思いついたのが、旅をして、海外で暮らしながらライターをやっていく、ということでした。

ライターをやりたいという気持ちは、もともとありました。でも就職しないで日本でいきなりフリーライターとしてやっていくなんてとてもできる気がしません。それなら、旅をしながら海外でやればいいんじゃないかと思ったんです。東南アジアなどに暮らせば、生活費は安いからある程度の貯金で1,2年無収入でも暮らせるし、他に取材している日本人は少ないだろうし、それに何より気楽そうだし。その日々をライターとしての修行期間と考えて、その間に自立できるようにしようと考えたのです。

もともと、大胆な性格ではないので、吃音がなかったら、そんなことは考えてなかったと思います。そんな決断はできなかったでしょう。吃音の苦悩から逃れたいという気持ちが、ぼくの最大のエネルギー源になったのです。

旅をしながら生きていくことを具体的に考えるきっかけとなったのは、大学院に入る前に出かけた、インドへの一人旅でした。聖地・ヴァラナシで、遊んでいる子供たちのとなりで、人が平然と焼かれている。その横には自分たちのような旅行者がいて、さらにはぼくらから金を巻き上げようとする人もいる。ひとつの空間に、これだけいろんな人生があって、こんなにぐちゃぐちゃしている様子を見て、思ったんです。自分が考えている以上に、生き方はもっといろいろあるはずだと。その風景の中にしばらく身を置いていたら、仕事や学校が始まる4月までには日本に戻らなきゃいけないって自分たち日本人が一様に考えていることがなんだか不思議に思えてきたんです。

002.
夫婦ふたりで5年間の旅を3冊の本に

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大学卒業後、近藤さんは妻・モトコさんと5年間の旅に出ましたよね?

Answer

大学院を卒業するころには、なんとかこの長旅の計画を実現させようと決めていました。卒業してから1年間は、そのまま実家で暮らし塾講師のアルバイトをしながらお金を貯めていきました。その一方、なんとか日本を出る前にちょっとでもライターとしての実績を作るべく、取材をしてルポを書くということをやっていきました。自分はノンフィクションやルポルタージュを書きたいと思っていたからです。 一人の自殺したホームレスの方の人生を調べていったり、中国で生体解剖をしたという元軍医の人生を聞いていったり、吃音について取材をしたりして、それぞれ自分なりに文章にして、編集者に見せたり、出版社に持ち込んだりということをしました。

当時の彼女も、同じく長旅をしたいと思っていたため、それなら、結婚してから一緒に行こうかということになりました。そうして、大学院を卒業して1年後に結婚し、その3ヵ月後にふたりで日本を発ったのでした。 最初はオーストラリアでイルカ関係のボランティアをして過ごし、その後東南アジアを縦断してから、中国に住みました。時々、日本に帰って来たりもしながら、そうして4年を過ごし、その後1年かけてユーラシア大陸を横断し、ヨーロッパからアフリカにも行きました。ほとんど計画はないまま、住んでは移動し、移動しては住んで、という日々でした。
その途中で、面白い話題を見つけては取材をして文章を書き、日本の雑誌に原稿を送って載せてもらえないかとお願いしました。

最初はほとんど仕事にはならなかったものの、3年もしたころにはようやく、書いて食べていくということがある程度可能になっていきました。一方妻も、上海で就職して1年半会社勤めをしたりして、思っていた以上に、生き方も、お金の稼ぎ方もいろいろあるんだということを実感しました。 また、ぼくにとって大きな驚きだったことに、日本を出て2年ほどが経って中国の雲南省に住んでいたころ、10年以上苦しみ続けた吃音が突然治ってしまったのです。理由はわかりませんが、旅をしていた日々が、いろんな形で自分に変化を与えたのではないかという気がしています。

ぼくにとって、妻とふたりで旅をする、ということはすごく重要だったと思います。ぼくは小心者だし、寂しがりやなんです(笑)。ふたりじゃなかったらあんなに長く旅を続けることはできなかったかもしれません。それに、お互いが自分の興味のあるところに互いをつれて行くことで、一人では行かなかっただろう場所にたくさん行けたし、世界がぐんと広がるというのも感じました。

003.
青か緑かわからない色が、クリアな青にth_10742917_730855623657433_432807919_o

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近藤さんは、その時の旅の記録を3冊の本「遊牧夫婦」「中国でお尻を手術。」「終わりなき旅の終わり」(ミシマ社刊)にまとめましたよね。旅行記を出版するのは旅人にとって憧れだと思いますが、実際に書いてみていかがでしたか?

Answer

日本に帰って来たころは、この旅の事を書くつもりはじつは全くなかったんです。ただ、日本でフリーのライターとして生きていくなら、とにかくまずは本を書かないといけないと思い、いろんな編集者に会っていったら、「夫婦で5年間、金を稼ぎながら旅をしてした」という話は、思っていた以上に多くの人に面白がってもらえました。是非それを書いたら、といろんな方に言ってもらえて、それなら、これは取材も要らないし、まずは書いてみようと思うようになり・・・。いくつか出版社を当たったところ、まずは岩波書店の岩波ジュニア新書で、自分たちの旅についての本を出してもらえることになりました。また同時期に、ある方の紹介でミシマ社の社長の三島邦弘さんにお会いしたところ、ぜひ連載しませんか?と言ってもらえて、ウェブ連載という形で「遊牧夫婦」がスタートしたのです。

旅について書くというのは不思議な経験でした。自分の日記やブログを読み直し、写真を見直して、いろんな経験を思い出しながら書くのですが、いったん書いてしまうと、なぜか文字にしたところ以外は記憶から抜け落ちていってしまうということを経験しました。その一方で、書いたところはどんどん増幅されて、記憶が勝手に補強されていく。たとえば、ある建物について、ほんとうは青だったか緑だったかわからなかったとしても、いろいろ記憶をたどっていくうちに、だんだんと青だった気がしてきて、それを文字で記録すると、記憶の中でクリアな青になっていく。

2009年から2013年まで足掛け5年の歳月をかけて、ぼくたちの旅を4冊の本として書き収めることができました。が、それによって、よくも悪くも、ぼくにとって、あの旅は過去になってしまったという気がしています。書き始めたときは、旅をした5年間のインパクトがあまりにも強く、またあの旅の日々が本当にかけがえのないものだったことを改めて感じて、その後の人生が余生みたいになりそうで怖いという気持ちもありました。しかし書き終えたことで、あの日々は完全に過去のものになり、もうあまりあの旅を振り返らなくなりました。いい意味で、将来を見て生きていくことができるようになった気がします。

004.
偏りこそが命

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ライターという仕事に憧れる若者は数多くいます。これから文章を書きたい、ライターになりたいと思っている人へのアドバイスがあれば教えてください。

Answer

ぼくはもともと、本をいっさい読まずに高校時代までを終えてしまいました。国語は大嫌い、本には全く興味がないという幼少期で、高校受験のときも入試直前に国語だけ偏差値34っていう状況でした。
大学で理系の学部に入ったとき、まず思ったことの一つが「これでももう本を読まなくてもいいんだ!」ということでした。いま思うとそれも全くおかしな発想ですけど(笑)。 けれど、ある時ジャーナリストの立花隆さんの本に出会い、読書の面白さに気が付いた。それから必死に本を読むようになり、いつのまにか、ライターという仕事にあこがれを抱くようになっていました。そして吃音があって普通の就職をあきらめたことが大きなきっかけとなり、ライターでやっていこうと心を決めることになりました。

今はノンフィクションを中心に書いています。自分にとっては、選ぶテーマは、それが自分にとって切実な話題であるということが大切だと感じています。職業的にやっていく上でいいことかどうかはわかりませんが、自分が本当に書きたいと思うことじゃないと、なかなか書いていくのが難しいなとよく感じます。そういったテーマに対して、決して中立の立場から書こうというのではなく、根底に自分のこだわりや考えがあって、それを事実によって物語として提示したいというか、そういう意識をもっています。

昔は、とにかく中立の立場から文章を書くことが大切なんだと考えていたような気がします。でも今はある意味全く逆で、偏っていた方が面白い、と思っています。すべての文章は、いくら主観を排そうと思ったとしても結局は書き手の意見が反映されていきます。とすれば、変に中立を装うのではなく、自分の立場や気持ちを明確にした方が読者に対してフェアだと思うしわかりやすいとも思います。
ぼくはそういった、書き手のいい意味での「偏り」こそが文章の命だと思っています。面白さは、その作者独特のこだわりや主張から生まれてきます。ただ、ノンフィクションはその自分の主張や考えを、事実をもとに組み立てていくというのがルールです。自分の人生観や考えを、事実によって読者になるほどと思わせる。面白いノンフィクションというのは、それがうまくできていると感じます。それは、旅行記や紀行文でも同じです。

005.
旅に目的なんていらない
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旅に出たい!と思っている若者へのアドバイスはありますか?

Answer

ぼくはライターとして働く一方、大学で非常勤講師もしています。旅と生き方というテーマの講義や、旅行記の書き方の授業もやっていたので、旅に興味のある学生さんにもよく会います。いまの学生は全般的に、ぼくらの学生時代(15~20年前)よりも旅に行くことに積極的ではないと感じる一方、意欲的にいろんなスタイルの旅をしている人も少なくないですよね。
旅に興味のある人は、なによりもまず、どこでもいいから一度旅に出てみるといいと思います。一回行ってみて「これは自分の興味とは違う」と思ったら無理して何度も行く必要はないですが、とりあえず一回は、誰にとってもしてみる価値があるのが旅というものだと思います。

「自分探し」という言葉が否定的に使われることが多いですが、ぼくは、「自分探し」という言葉が適当かどうかは別にして、海外に行って自分のことを見つめ直す機会というのは誰にとっても必要なんじゃないかと感じています。「自分のことはもうわかっているから海外なんて見る必要がない」と思っている人ほど、一度旅に出てほしい。異国や異文化の世界を見れば、自分が当然と思っている考え方や生き方が、じつは全く当然でも普遍的でもないことに気づくはずです。そうして比較対象を得ることで初めて、自分の文化や考え方がいったいどういうものがということがより明確に見えてくるはずだからです。

また、いまの学生さんたちに多く見られる、旅とキャリアを結びつける考え方には、ぼくはとても違和感を覚えます。就活で有利になるために旅をするみたいな考えは、ぼくとしては、なんだか残念な気がします。そういう風に考えてしまうと、旅が本来もっている自由さや無限の広がりを自ら失わせてしまうというか。 ぼく自身、ライターの修行期間として旅を位置づけて日本を出たので、ある意味キャリアと結びつけていたという側面はあります。ただそれは、自分としては、スキルを身につける場を海外に求めたということであって、旅したこと自体をキャリアに結び付けようということではありませんでした。……あ、でもこういうことを自分で言うのもなんだかおかしな感じですね。
ただ、ぼくが思うのは、旅の良さというのは、その先には未知の未来が広がっているからいいんだろうということです。旅した結果人生がどう転がるかわからないから、旅は面白いんです。だから、その旅の先の終着点を就活とかそういうことに結び付けるのはもったいないと感じるということです。

006.
三年後の自分が分からないまま、生きていきたい
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また旅に出たい、と思いますか?

Answer

日本に帰ったときは「もう当分旅はいいな」という気持ちでした。自分たちにとっては日本に定住して働くということが、そのときは何よりも新鮮な選択肢だった。そして、日本が自分にとって世界で唯一の特別な国であるということをとても強く実感していたからです。またぼくにとっては、生まれ育った東京から、妻の故郷である京都で暮らし始めるということもあり、いろんな意味で新たなスタートとなりました。 ただ今は、すでに日本に帰って6年が経ち、また生活環境を変えたいという気持ちが沸いてきています。 最近、家を買ったんですが、じつはそれによって、逆に自由度がぐっと上がった気がしています。

今後は長く海外に出ても帰ってくる場所ができたので、むしろ気持ちとしてはまた長期の旅に出やすくなったと感じています。もちろん、その間家を貸すことができたら、など現実的な問題はいろいろとあるのですが。
日本に帰ってから二人の娘が生まれていまは4人で暮らしています。じつは数年後に、家族みなでしばらくギリシャに住みたいと思っていて、最近どうすれば実現できるかを考えているところです。 日本の生活に慣れすぎてきてしまったせいか、いまは、縁もゆかりもなく言葉も文字も一切わからないところに住んでみたいという気持ちが強くあります。そういう場所で、先がどうなるか全くわからない状態で、ゼロからいろんなことを構築していくのがとても楽しそうで。 そういうこともあってギリシャなのですが、実際ギリシャでどうやって暮らしていけるのかはわかりません。でも、行ったら必ずなんとかなる、ということだけは確信しているので、とにかく行くと決断して実際に行動することが一番大切だと思っています。 必ずなんとかなる――。 それが、5年の旅でぼくが何よりも確信したことなのです。
「3年後自分がどこでなにをしているのかわからないまま、死ぬまでずっといきたい」というのが自分の生き方の核にある考えです。その気持ちだけはずっと失いたくないと思っています。

TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。