「ハイブリッドなカフェの感覚は、昭和のおばあちゃん家にあった」- 楠本修二郎×久志尚太郎 -
「WIRED CAFE」や、本インタビューでも登場する「Planet 3rd」「PUBLIC HOUSE」 などを展開する、カフェ・カンパニー代表の楠本修二郎さん。今回、TABI LABO代表 久志尚太郎との対談では、日本におけるカフェカルチャー、ひいては「お茶」の歴史文化についてまで語っていただきました。
カフェ経営のみならず、地域創生や政府のクールジャパン戦略事業にも関わる楠本さんの独自の視点から、生き方や働き方へのヒントをもらいたいと思います。
日本じゃないみたいだった
高円寺の「プラネットサード」
※写真は約15年前当時のものです(写真提供:カフェ・カンパニー)
久志 今日はよろしくお願いします。僕、中学卒業したあとからアメリカに行っていたんですけど、17歳のときに日本に戻ってきたんですよね。当時古着のビジネスもやっていて、高円寺に住んだんです。けっこう尖った町で、しかも日本っぽい色があって、めちゃくちゃいいバランスじゃないですか。で、そのときじつは古着のビジネスと一緒に、セレクトショップとカフェが一緒になったものをやりたいなぁと計画していて。それで、カフェをずっと見ていたんですけど、そのときに出会ったのが「プラネットサード」でした。
楠本 となりに、マーブルっていう別のカフェもあったんだけどね。
久志 僕が印象的だったのは、とにかく日本のカフェっぽくないなぁと。海外の空気というか、広さだったのか、インテリアだったのか、食べ物だったのか。
楠本 たぶん、全部ですね。
久志 アメリカから帰ってきたばかりで、いろいろ吸収してきて「日本でやってやろう!」みたいな未熟な17歳だったんですけど、その僕がやりたかったことを全部体現していたのが、楠本さんでした。じつは楠本さんのHPやインタビューもずっとチェックしていて、経営者としてもなにかを創る人としても、すごく尊敬しているんです。
楠本 ありがとうございます。
久志 ちょっと導入が長くなりましたが、まずは思いを伝えなきゃと。
楠本 ずっと聞いていたいです(笑)。
カフェのハイブリッド感は
昭和のおばあちゃん家のようなもの
久志 当時のWEBサイトで使っていたイラストをすごく覚えているんですよね。西海岸のヒッピーの雰囲気が詰まっていて、すごくイケてるなって。
楠本 あの当時って「伊右衛門サロン」をやった直後だったり、「パブリックハウス」をやる前ぐらいかな。「なぜ僕たちはカフェをやっているんだろう?」と、カフェをやりながら、自分たちで巡る旅みたいな風になっていった時代ですね。
その直後くらいからポートランドに出会うんだけど、創業したときは、LAとかサンフランシスコの乾いた空気と、ちょっとゆるい感じのアメリカなのに当時からあまり太った人がいない、みたいなそのエリアを意識していました。ベンチャーの経営者や学生、投資家風の人たちが、普通にカフェでビジネスの商談とかをしていて。オンとかオフじゃなくて、LAの空気感があるからビジネススタイルも変わる。ビジネススタイルもライフスタイルも一緒にある、というのがすごく好きだったんです。
あと、LAの乾いた感じに、なぜ「しっとり感」が合うんだろうと思っていて。でもこれを日本で形にして、もうちょっとしっとりさせると、さらにいい感じでマッチする。伊右衛門とかもそうなんだけど、これって小さいころのおばあちゃん家とかと一緒なんですよね。日本家屋だと、ダイニングスペースは台所があって、イス、テーブルの生活をしていて、畳敷きなんだけどカーペットを敷いていて、そこでコーヒーが出てきて、カステラも出てくるみたいな。そういうハイブリッド感を、すでに昭和で経験していたわけです。
昭和ってつまりミッドセンチュリーの70年代ぐらいが、ちょうど郷愁の時期。だから僕たちのカフェはそこからきているんです。1,000年以上さかのぼると、南宋の時代に日本にお茶が流れ着いて、そこから15世紀に千利休がいて、茶室とか審美眼を引き上げた。もっと言うと、着物とか設計とかお茶碗とか、お茶を中心にしたライフスタイルができあがってきたんですよね。
100年前、海外の建築家たちが京都に来てびっくりしたわけです。市松模様を見て、なんてモダンなんだと。シンプルでモダン。だけど、水場とかそういうところは完全にシンメトリーじゃなくて、不完全性を残しながら成立しているっていうことに、彼らはすごく芸術性を感じたんですね。そこからフランク・ロイド・ライトだったり、海外の建築家たちが日本の審美眼をどんどん活かしていったわけです。
途中に戦争があり、日本では民芸運動などいろいろなモダンが花開いて、海外もイームズとかヤコブセンとか、みんなそちらに傾いていった。僕は建築学科を出ているわけじゃないからまったく知らなかったんですけど。でもカフェをやりながら、こういうシンクロに関して「あぁ、そういうことか」って掴んできました。
久志 その感じが、すごく伝わりました。
パシフィックノースウエストの情緒感が
日本とシンクロする
楠本 そうこうしているうちに、僕はジャポニズムが芽生えてきました。日本の食ってすごいなと。パシフィックノースウエストと呼ばれるポートランドからカナダのバンクーバーまでの、ちょっと北のエリアが気候的にも日本とシンクロしているんですが、冬は寒くて雨ばっかりで湿気ているわけです。乾いた感覚と湿気、その情緒感がたぶん日本とシンクロする。
あるいはコーヒー文化も、ある程度寒いところには根付くわけです。だから一人あたりのコーヒー消費量は、北欧が高く、あるいはカナダ、スタンプタウンとか。ポートランドからシアトルあたりもよく飲みますよね。
久志 飲む量はデータとしても多いんですか?
楠本 寒い国はやっぱり多いですね。南の国の、たとえばベトナムコーヒーってあるじゃないですか?ちょっと甘くしたりと、飲み方が全然違うんです。
ポートランドの街で感じた
「パブリック」な印象を表現したんです
久志 僕の中では楠本さんのすごさって、タイミングと繋がりをつくることだと思っているんですよ。1歩先でも0.5歩先でもなくて、0.25歩先だなと。それってなにかっていうと、いま僕がほしいものを、つねに一番最初に提供してくれる人なんです。
たとえば「プラネットサード」もまさにそうで、あれって当時のカフェブームのなかで生まれた、アメリカ的な西海岸のカフェですよね。小さい雑居ビルを使ったカフェではなく、大胆なライフスタイル、コミュニティというところまでちゃんと考えてくれている大きい空間。自分にとって居心地がいい、本当の意味での「サードプレイス」。それを初めて日本で提供してくれたのが楠本さん。パブリックハウスやワイアードもそうでした。買い物をしたときに、少しだけそこで休みたい、とか。
僕はよく朝7時に行ってご飯を食べて、とかそういうふうに使わせてもらっているんですが、それって「ちょうど欲しいところ」なんですよね。外で打ち合わせすることが多いので、パソコンも使えてご飯も食べられて、人と会いやすい場所にあって、いま欲しい物を一番最初に提供してくれている。そこがすごいなって勝手に解釈しています。
楠本 ありがとうございます。たまたま巡りあったことをやっているだけなんです。さっきの話でいうと、パブリックハウスの概念は、パシフィックノースウエストエリアをモチーフにしています。プラネットサードの時代より、少ししっとりしている。
パブリックハウスのパブリックには、「公」っていう意味があるんですが、公民館をつくろうと思ったのがきっかけなんです。日本中に公民館があって、その中にコミュニティプラザっていうのがあるんですけど。それよりもっと未来志向のコミュニティをつくりたいと思っていました。「コミュニティとかパブリックっていう場は、なんだろう?」と。それである人に教えてもらったのが、公(おおやけ)って書くけど、大宅(大きな家)、つまり人が集う場所っていうのが「おおやけ」の概念なんです。だから人が集う場所を作ろうと思ったんですよ。それがパブリックハウス。
カリフォルニアもそうかもしれないけど、ポートランドのあたりって、町に入った瞬間にすごくパブリックな印象があるじゃないですか。一回会っただけの人でもブラザー、というような。これって大きな家でともに暮らす仲間っていう、新しい意味でのファミリーなんじゃないのか?って。極端に言うと同姓愛で同居している人もファミリーだよね。法的なものはどうでもよくて、新しい生活者視点というか。そこにいたもの同士が同じ空気を吸いながら、同じ思いを持ちながら、なんらかの関わりの中で生きていくとしたら、実際の兄弟関係よりも強いブラザー、いわゆるファミリーができちゃうなと。
久志 なるほど。そういえば、パブリックハウスで打ち合わせをしていると、知り合いによく会うんですよ。その人に会いにきたわけじゃないのに、まさに「大きい家」という感じで。最近なにやってるの?とか、打ち合わせの予定じゃなかったのに会話が弾んだり。繋がりがちゃんと設計されているというか、机や椅子のバランスも絶妙で、いろんな人が視界に入ってくるんです。そうすると、とてもコミュニケーションもしやすくて。
楠本 そこまで見て頂いているのは、嬉しいです。
久志 すごい大ファンなんです、本当に!
楠本 距離の近さが熱量になるんだけど、近すぎてもいけないから場所によっては距離を離してあげて、目線もちょっと外してあげる。でもなんとなく全体が見える、みたいなことは意識しています。でもそれだけ分析できているということは、もう絶対にカフェの経営できると思いますよ。やっちゃったほうがいい!
1964年生まれ福岡出身、カフェ・カンパニー株式会社代表。2001年に同社を創業して以来「WIRED CAFE」「Planet 3rd」など、その後の日本のカフェシーンを変えるきっかけともなる店舗を多数展開。その他設計デザイン、都市開発コンサルティング、地域活性化事業なども幅広く手掛ける。食文化についてはもちろん、そのライフスタイルや、既成概念にとらわれない独自の視点、経営哲学なども注目されている。
1984年生まれ、株式会社TABI LABO代表。中学卒業後、単身渡米。16歳の時に飛び級で高校を卒業後、起業。帰国後は19歳でDELLに入社、20歳で法人営業部のトップセールスマンに。21歳から23歳までの2年間は同社を退職し、世界25ヶ国をまわる。復職後は25歳でセールスマネージャーに就任。同社退職後、宮崎県でソーシャルビジネスに従事。2013年より東京に拠点を移し、2014年2月TABI LABO創業。