40年前の写真が、ボクに教えてくれたこと。

ある日、62歳になる父が、昔アメリカの西海岸へ1年間旅をしたときの写真を見せてくれた。押入れの奥から取り出された写真アルバムのなかには、今まで知らなかった父の姿と、見たことのない風景が、100枚ほど閉じ込められていた。

40年前に父が見た景色

父は40年前「何を見て、何に惹かれ、何にシャッターを切ったのか?」

話だけでは伝わりきらない当時の様子が、写真を見ながら会話をすることで鮮明にイメージできた。色褪せた写真は、時間の流れを可視化しているようで、とても趣がある。

父はおもしろくて、よくしゃべる典型的な大阪のおっちゃんだ。自転車で日本一周もしていたらしく、とても行動力がある。

小さい頃にもっと色々と話を聞いていたら、間違いなく同じように海外に行っていたかもしれない。

ボクの「一人でふらっと出掛けていく性格」は、きっと父に似たのだろう。

ボクは、写真を撮るようになってからもうすぐ6年が経つ。大阪のストリートフォトやポートレートを中心に撮っていて、最近では海外からも連絡がくるようになり、大阪の街を案内しながら撮影をすることもある。

40年前のアルバムを見ると、父も街を歩きながら気になった風景を思い思いに撮っていたことがわかった。風景だけではなく、人が写っていたりストーリーを感じさせる写真であることも、自分と似ているような気がした。興味を持つところが自然と似ていたのだろう。

写真に写っている若い頃の父の姿がボクに似ていて、同じ道を歩んでいるような気持ちになり、なんだか嬉しくなった。

今、この街はどうなっているのだろうか。

建物はすべて高層ビルに建て替わっているのか。それとも、このままの街並みが残されているのか。この写真を見たときは、同じ場所で、同じ構図で撮ってみたい衝動に駆られた。

サンフランシスコにて。

父:「シスコは坂が多いんやけど、ここはS字カーブに花壇があって綺麗な街やった。たまたま日本車を発見して撮ったんやけど、日本人として誇れる瞬間やったね」 

グランドキャニオンにて。

父:「えっ、この女の子だれかって?そんなん知らんわ。そこにたまたま居たから一緒に撮ってもらってん。ひとりで撮っても淋しいやろ」 

ロスへ移動中のバスにて。

父:「この写真の右下に写ってんの靴やねん。アメリカ人が靴のままベッドに乗ったり、座席の背もたれに足乗っけてるのを見て、カッコイイと勘違いして真似してん。いま思うと、行儀悪いな(笑)」 

アルバムのページをめくり終えたときに思ったのは、父が退職したら、一緒にこの街を訪れたい、ということ。

父が撮った写真は、当時帰国したときの友だちとの話に花を添え、その40年後には息子と思い出を振り返ることができた。改めて、写真の力は、すごい。

家族みんなで写真を見れたら
とても幸せだろう

プリントやアルバムは、写真を1枚1枚じっくりと見ることができる。さらに、視覚だけでなく、写真やアルバムがこすれたときに出る音、匂いからも、情報として伝わってくる。

スマホで簡単に写真を撮ったり見たりできる時代だからこそ、プリントされた写真をじっくり見て欲しい、とも思う。きっと、今まで気づかなかった写真の魅力が発見できるのではないだろうか。

将来、子どもや孫とアルバムを回し見しながら、ボクたちが過ごした日常風景を共有できたら、とても幸せなことだと思う。もちろん、アルバムの保管はボクの実家のように押入れの奥ではなく、きちんと本棚に保管しておいて欲しいけど。

Licensed material used with permission by yuji hirai, (Instagram)
TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。