2年前、ラグビー日本代表が勝利したのは「奇跡」なんかじゃなかった。
あのときを振り返ると、大喜利のようにキャッチーな言葉が飛び交ったのを思い出す。
「五郎丸ポーズ」「サッカーのマイアミの奇跡よりも奇跡」「アイドルが格闘家に勝つようなもの」「スポーツ史上最大のジャイアントキリング」。
これらの言葉とともに日本ラグビー代表の写真や映像が、マスメディア、ネットニュース、SNSを埋め尽くし、ラグビーという日本ではマイナーなスポーツが、野球やサッカーと同じく、スポーツニュースのメジャーに突如鎮座した。わずか2年前の出来事である。
日本中に伝わった
ラグビーの「奇跡」
では、誰が最初にこんなキャッチーな言葉を使って発信をし始めたのだろうか?
それは、これまで日の目を見なかったラグビーに携わった人たちだと記憶している。実際、元ラガーマンの私も、このラグビー界での奇跡を理解できる貴重な教師として、教え子たちにできるだけ分かりやすく、日本代表が起こした奇跡を説いて回ったのを覚えている。
ラグビーというスポーツは複雑だ。だからこそラガーマンたちは、分かりやすい例えを使って「奇跡の度合い」を説明した。たしかに聞いたほうとしても、とにかくありえないことが起きたんだな、という理解が早まったのも事実。そして極めつけが「五郎丸ポーズ」だ。
こうして、ラグビーのルールよりも先に、その「奇跡」に注目が集まった。
その熱が
なぜ「瞬間冷却」されたのか
では現状のラグビー界はどうだろうか?
現在、五郎丸選手がどこに所属しているか知っているという人は何人いるのだろう。日本代表選手の名前をあげることができる人は何人いるだろう。実際にラグビー場に足を運んでいる人は増えているのだろうか。
残念ながら、答えは言わずもがなである。なぜだろうか。あれほど熱狂していたのに…。
私の仮説では「アイドルが格闘家に勝つようなもの」が象徴するように奇跡の度合いのみ、説明したことが要因だと思っている。「日本ラグビーの起こした奇跡」がロージャース・イノベーター理論のマーケティングの普及曲線を、ダッシュでたどってしまったのではないか。
数少ないラガーマンたち(アーリーアダプター層)が、生活者に伝えたのは「日本ラグビーの奇跡」についてである。それはキャッチーだったため、あっという間に大多数(マジョリティ)の人に理解、消化できるものであって、結果として、ラグビー熱は瞬間冷却されてしまったのだ。
私は本当に伝えるべきは「奇跡ではなく、日本は勝つべくして勝ったこと」だったと後悔している。
奇跡の前には、数年単位の長期的な「打倒・南アフリカ」の戦略があったということ、さらに練習方法や、そもそもラグビーのルールも伝えていくべきだった。本当にラグビーを根付かせるためには、それが必要だった。
あの熱狂、ラグビーを渇望している中でそれを伝えていれば、今ごろは「ルールが分かるから試合を観に行こう」「2019年に向けて日本代表の仕上がりはどれほどかな」と、ラグビー自体に興味を持ってもらえることができたのではないか、と反省している。
熱狂が冷めたのは、「奇跡」に焦点を当てたマーケティングの失敗だったと思っている。奇跡を理解されただけで、僕は安心しきっていた。これでラグビーはみんなのスポーツだと、野球やサッカーと並ぶ人気スポーツの市民権を得たものだと、勝手にそう思い込んでいた。
W杯日本開催は2年後
「このままでいいのか?」
2019年。このような状況の中で、サッカーW杯、オリンピックに並ぶ世界三大イベントとも言われる「ラグビーW杯」が日本で開催される。日本がまたあのラグビーに熱狂するためには、何かしらのインパクトのある出来事が必要なのではないか。
自国開催まで、ほとんど時間はない。
「このままでいいのか?」
私はいてもたってもいられなくなり、なぐり書きの企画書を持って、ラグビー協会に出向いた。また大学のOBのツテを使って、ラグビー界のお偉いさんたちに直談判した。
しかし案の定、話は聞いてもらえなかった。当たり前だ。誰だかわからないひとりのラガーマンの企画なんて、聞いている時間などない。
でも、私はそれで決心をした。
ラグビーは下手くそ。日本代表なんて夢のまた夢。単なる部活でラグビーにのめり込んだラガーマンのひとりである私が、命をかけてラグビーW杯を盛り上げよう、と。
私のかく汗は日本代表を鼓舞し、勝利に結びつけるものと信じている。
また、アジア初のラグビーW杯日本開催の価値を高め、新しい息吹を投入できるものとも信じている。
そして、2019年の成功をみんなで勝ち取りにいき、みんなと一緒にラグビーを楽しみたい。そのためにも、率先して世界と戦い、先頭に立ち、TRYし続けることにした。
こうして私は、「ラグビー登山家」への道を進むことになる。
(つづく)