体感温度-40℃。過酷すぎる山登りを支える「魔法のスープ」

一昔前のラグビーを象徴する存在のひとつとして、「魔法のやかん」というものがあった。

試合中に選手が倒れると、「魔法のやかん」を持った控え選手が駆けつけ、倒れた選手の顔に水をかける。すると、スッと立ち上がり、何事もなかったかのようにプレーに戻るといったものである。中身は、どこにでもある普通の水だ。

昨今、それが危険な行為であるとして、「魔法のやかん」そのものは見かけなくなってしまった。しかし、場所は違えど、高度障害で倒れた登山家がある魔法によってスッと立ち上がり、しまいには6,960mの山頂まで登った光景を僕は目の当たりにした。

その魔法とは、ベースキャンプで見かけたスープだった。

高所登山は、過酷そのもの。

高所登山は過酷そのものだ。アンデス山脈にある南米最高峰の山・アコンカグアに関して言えば、山頂付近の酸素は地上の約3分の1。ここまで空気が薄いと何をするにしても身体が鉛のように重い。明け方の最低気温は約-25℃、強風の際の体感温度は-40℃とも言われている。

そして、何より辛いのが、空腹は感じていても酸素が薄いため、食べる気力さえ無くしてしまうこと。もちろん個人差もあるのだが、消費カロリーが1日あたり5,000〜10,000Kcalという過酷な状況の中、エネルギーを吸収できないのだ。

口に物を入れても身体が拒否する。食べ物を胃腸で消化するにあたって酸素を大量に使用することから、酸素が薄い高所では消化ができずに戻してしまうケースもある。

一般的に、高所では高度障害を防ぐために1日あたり3.0〜5.0Lの水分補給を求められている。平地でもそこまで大量の水を飲む機会は少ないなか、高所でのそれは容易ではない。仮に飲めたとしても無味な水を飲み続けるのは苦痛でしかない。

そんな状況でのスープは、命をかけて戦っている登山家たちにとって、水分を取れるうえ、凍えた身体を温めつつ栄養補給ができる「最高の料理」なのだ。

特別な食材は、何もなし!

ハイシーズンとなると、3,500人もの登山客が、世界中から訪れると言われるアコンカグア。その玄関口となるベースキャンプのプラザ・デ・ムーラスのキッチンには、美味しそうな匂いがいつも漂っている。物資が限られている中、多いときには1日100人ほどの登山家がこのキッチンで作られた料理を食べているという。

「世界でも類をみないほどの高所で料理を作り、登山家たちの活力になることは最高のモチベーション」

とは、チーフ・シェフであるホーヤス。

何も特別な食材は使用していない。「魔法のやかん」に入っている普通の水が倒れたラグビー選手を再び立ち上がらせたように、どこの家庭にでもある普通のスープが「魔法のスープ」となり、登山家たちを再び山へ向かわせるのだ。

TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。