ある日ボクは、ジンバブエで「王様」と呼ばれるようになった。
ボクは3年前、大手IT企業を休職し、青年海外協力隊としてアフリカのジンバブエに赴任することになった。そのときは「PCインストラクター」という肩書きだった。
そんなボクが、ジンバブエで「王様」になった。
もちろん正式な「王国の王様」ではないが、学生たちからは現地の言葉で「ニャンガ(王様)」と呼ばれていた。
お互いの「途上」な部分を
補っていく
「そもそも青年海外協力隊って、何をやってるんだ?」
と思う人もいるかもしれない。その問いに対して、ボクはいつも「途上国をサポートするかわりに、自分の途上な部分をサポートしてもらう、分かち合い、与え合うシゴト」と答えている。
実際ジンバブエに行ってみると、こちらから技術を教えることよりも、自分ひとりでは何も解決できない「弱さ」を知ったことのほうが多かった。そんなときには、現地の人たちと一緒に同じゴールへ向かい、彼らが主体となった取り組みをサポートすることが求められる。そこでは、むしろ色々なことに気付かされる。つまり、教えられることのほうが多いシゴトなのだ。
農業×ITで
ジンバブエが立ち直る?
SE出身だったボクは、農業大学に赴任した。「なぜITと縁のなさそうな農業に?」と疑問が湧くかもしれないが、そこには校長の思惑があった。
ジンバブエは農業の国であり、食料自給率は元々高かった。が、農業のマネジメントスキルを持っていた白人が追い出されたときに、一気に廃れてしまったのだ。国が混乱している中で校長は「どうしたら前進できるだろう?」と考えたという。そして彼は、ひとつの仮説を立てた。
「農業分野にITを導入したら、この状況が打破できるのではないか?」
種や肥料の仕入れ、輸出入に際するコミュニケーションツールとしてだけではなく、いま外国では何が高く売れるのか? など課題解決の事例を知れるITへの期待は大きい。
だから彼は「ITでジンバブエは立ち直れる」と考えたのである。そして日本政府に、ITノウハウを持っている人材を求めたのだった。こうして派遣されたのが、ボクである。
「教室が壊れるんじゃないかと
思うほど興奮してた」
ボクはSE時代に培ったなけなしのITスキルで、現場の教育改善に努めた。教科書や試験の作成から、コンピュータルームそのそのの構築まで、幅広くだ。ときには自ら教壇に立つこともあった。
いつ壊れてもおかしくないパソコンと、いつ落ちるかも分からない電気と戦いながら、ギリギリの状態で講義を行っていた。学生たちには、電源の付け方を教え、文字の打ち方を教え、そしてプレゼンテーションソフトのアニメーション機能を教えた。
当時、日本の学生はスマホを持ち、ソーシャルゲームをやり始めていた頃だ。一方でジンバブエの家庭には、パソコンどころかテレビやラジオもなかった。そんななか、最先端の技術を感じられるアニメーション機能を彼らは非常に気に入り、文字通り教室が揺れた。
もうすぐ三十路になろうとしていたボクより年齢が高い学生も多かったが、彼らはいい歳をしているにも関わらず、教室が壊れるんじゃないかというほど飛び跳ねて興奮していた。
「ニャンガ(王様)」と
呼ばれた瞬間
「ソーキは天才だ!」
学生たちは目をキラッキラさせながらそう言った。私は単に、壊れたパソコンを修理し、基本的な環境を整えただけである。だけど「神扱い」を受けた。実際はそのソフトを作ったエンジニアや、ボクを迎え入れ神対応してくれた校長先生が賞賛を受けるべきはずなのだが。
ただボクは、まるでエジソンやジョブズにでもなったかのような気分だった。決して発明家ではないけれど、この国の農業とITを結びつけたのは、紛れもなくボクである。
さらに、パソコンで日本にいる家族とメールをしていることが知れ渡ると、「神だ!」「天才だ!」そしてついには「ニャンガ(王様)だ!」となった。
こうして私は、ジンバブエという王国でない国で「王様」となったのだ。
ちなみにIT以外でも、伝説となった出来事がある。それは、ライバル校で行われたサッカー定期戦でのことだった。私は学生の中に紛れ込み、2アシスト1ゴールで勝利に貢献した。そしてMVPを獲得したのだ。
ラグビーで鍛えたフィジカルが、当たりの厳しいアフリカのサッカーで役に立ったのは言うまでもない。ちなみにジンバブエの学生は皆、強靭なバネとオリンピックに出られるぐらいの身体能力を持っている。
技術より情熱
上手いより好き
私のITスキルは、おそらく他のエンジニアたちと比べると低いものだっただろう。それはもしかすると、校長も学生も分かっていたのかもしれない。見た目はラグビー体型だし、決して頭が良さそうには見えない。
だけどその太い腕でネットワークの配線をし、パソコンを修理する姿を彼らは見ていてくれた。「技術より情熱」を認めてくれた。またサッカースキルも、ずっとサッカーをしている人と比べたら絶対に下手くそである。でも、ラグビーしかりチームスポーツが大好きなボクは、チームの中で自分ができることを考え、最大限の力を発揮した。そうしたら皆喜んでくれた。こんなに素敵なことはない。「上手いより好き」が人の心を掴んだのだ。
ボクはジンバブエで「情熱をもって、地道に好きなことを継続すること」の重要さに気付かせてもらった。技術も大切だけど、二の次なんだと。これはニャンガ(王様)と呼ばれたこと以上に、ボクの中で大きな経験だった。