私がシリコンバレーを去り、牧場で働いている理由
これは、才ある者たちがしのぎを削るシリコンバレーから、自然豊かな牧場へと主戦場を移した女性の物語。
「Food52」のMeghan Shepherdさんがインタビューしたのは、元銀行員のKatie Steereさん(29歳)。積み上げてきたキャリアを手放し、心機一転、実家の牧場にて第二の人生を歩みはじめる決断をした理由。そして、いま感じている正直な気持ち。
エリートだから、アメリカだから。そんなこと、一切関係ありません。彼女の発言は、日本の私たちにとっても、示唆に富んでいます。
スーツを脱いで
「命」に囲まれる仕事に
2016年、Katie Steereさんはカリフォルニアを離れ、大地を感じられるニューイングランドで新たな人生をスタートさせました。200年もの歴史を持つ、家族の農場へと戻った彼女。今では近くに住む人たちに卵を届け、Deep Roots Farmでスイカを食べるブタを眺める、そんな生活を送っています。
ーー牧場を再興させるのは、とても難しい作業ですよね。どうやって取り組み始めたんですか?
この牧場は、7世代も前からあります。当初は酪農場で、1900年代初期には街に電気を提供する工場もありました。しかし酪農場は70年代に倒産して以来、放置されていました。いまは、放牧の牧畜に建て替えようとしている最中です。
ーー畜産業の世界に入る前の生活について教えてください。
シリコンバレーの銀行で働いていました。いくつもの作業スペースが並んでいて、そこにいればいるほど、どんどん自分の人生から切り離されていくように感じました。唯一に楽しみといえば、週末だけ。でも同僚を見ていると、週末の過ごし方と言えばずっとテレビを見ているだけだったり。そうして退職を待ちわびながら「いいことが起こらないかな」と夢見る人生に違和感を感じました。
ーーなぜシリコンバレーを離れようと思ったのでしょう。
都会では、まったく世界との繋がりを感じられなかったんです。ヒッピーの子どものように聞こえるかもしれませんが、私は大地が大好きなんです。地球と繋がりを感じることに喜びを覚えますし、都会の銀行で働いているときも、心の奥底では大地と離れたことに寂しさを感じていました。
農場で働くことは、いつか叶えたい夢でした。ある時、私は「Ted Talk」で、難しい決断を下すことについてのスピーチを見たんです。そこでは、「恐怖心から行動をためらっていると、どんどん時間だけが過ぎていってしまう」と語られていました。
その言葉に胸を打たれました。私は与えられたことをやってきただけで、自分で何かを決めてやったことがなかったんです。流れ着いたところでなんとか生きていただけでした。そのスピーチをみた直後、私は仕事を辞め、牧場に戻ろうと決心しました。
ーー退職して最初に挑んだのは、パシフィック・クレスト・トレイル(※アメリカの三大長距離自然歩道のひとつ)でしたよね。どんな旅だったのですか?
まずここを選んだのは、西海岸を離れる前に、この地のフードカルチャーや冒険心を養う考え方を学ぼうと思ったためです。この文化には、元々強く惹かれていたので。
この旅を通して、私は改めて「牧場に戻る」という決心を固めることもできました。というのも、行き交う人々にその話を打ち明けると、みんな揃って喜んでくれ、「そうするべきだ」と後押ししてくれたからです。
牧場に戻る前の訓練にもなりましたね。自然に左右される過酷なハイキングだったのですが、これってある意味、畜産業と似ていますよね。だってどれだけ疲れていても、体調が悪くても、天気が悪くても、起きて作業しないといけないのですから。
ーーKatieさんは、今夏バージニアのPolyfarmでインターンをされていましたよね。その経験を経て、働き方に関して考えは変わりましたか?
インターンをすることで、意志がより強くなりました。子牛が命を落とすなど辛いこともありましたが、毎日「命」に囲まれている感覚がありました。そんな繋がりを持てたのは、とても貴重なことだった気がするんです。動物とおいしい空気を吸って、外で戯れることができて、とても幸せでした。
食べる牛の名前を
お客さんは知っている
ーー以前はベジタリアンだったとお伺いしました。畜産農業をすることで、ヴィーガンとしての立ち位置は変わりましたか?
私は4年ほどヴィーガンでしたが、当時は少し不健康になっていました。満腹感を味わえず、ビタミンやミネラルも十分に摂取できていなかったんでしょう。そういった経緯もあって、動物を食べる生活を再開しました。今のところ、問題ないですね。
ーー動物に対して、どのような愛情をお持ちなのでしょう?
彼らは愛されるべきです。うちに来てくれるお客さんたちは、みんな自分が食べている牛の名前を把握しています。それだけでも、命に意義があるでしょう?ゆくゆく殺してしまうのなら、生きている間は大事に扱ってあげるべきだと考えています。
ーー化学肥料を使わず放牧をメインに行っているそうですが、味や品質にはどのような影響があるのでしょう?
放牧をすると、味にも見た目にも劇的な変化があります。卵の黄身は普段に増して黄金色ですし、ビーフは深い赤色をしています。ブタからはとても厚く美しいベーコンができます。スーパーのものとはまるっきり違う味だ、とお客さんは言ってくれています。
ーーそんなに効果的なら、なぜもっとたくさんの人がこの手段を使わないのでしょう?
結局は政府と繋がりがある、大きな農業会社がパワーを持っているんでしょう。それで「消費者と食べ物の繋がり」は薄れていくばかり。ほとんどの人が、どこからどうやってきた食べ物なのか、考えを巡らせないんです。「早く・安く」という点が優先され続けて、今に至るのではないでしょうか。
自分が信じることを
ただやり続けるだけ
ーー若くして農業を始めることは、難しいのでしょうか。
簡単でもあり、難しくもありますね。ずっと長い間農業をしている人からしてみると、大規模な生産方式を優先して、小規模なものは潰していかねばならない状況に陥っています。
そんな状況下で、若者たちはローカルな食、持続性のある食作り、そして放牧農業という新たなムーブメントを積極的に持ち込んでいます。試行錯誤しながら生産し続けた結果、「購入したい」と言ってくれるお客さんも増えています。言うなれば、そこが「簡単」なところでしょうか。農業そのものは、とても難しいですよ。
ーー最初の1年でもっとも学んだことは何でしたか?
丁寧に育てた食材の価値を理解し、買うことに喜びを感じてくれる人もいれば、全く伝わらない人もいる、ということです。後者は、激安スーパーで卵を12個79セント(約80円)で買えることに喜びを感じるのです。彼らの考えを変えるのは非常に難しいため、自分が信じることをただやり続けるしかないと思っています。
ーー牧場で働くことについて、想像と現実は同じでしたか?
想像以上に特別な経験になっています。毎朝外に出て、牧場を蘇らせることができるわけですから。この世に、これ以上特別なことはないです。
ーー料理へのこだわりはありますか?
牧場を再生していく中で、私はすっかりローカルフードオタクになってしまいました。が、一人で全てこなしているため、あまり料理をしている時間もありません。作り置きをして、余り物を食べることが多いですね。
一番好きなのは、友達や大事な人に料理を振舞うこと。大好きな人とテーブルを囲って、自分で育てた食べ物を食べる時間は、本当に幸せです。
ーー動物とはどうやってお別れ(食肉処理)をしているんですか?
泣きますね。ヴィーガンに戻ったほうがいいんじゃないかと思ったりもします。でも最終的に、地球と人間は動物を必要としていて、私の役目はできる限り良い方法で彼らを育てることだ、と言い聞かせています。
ーーなぜこの仕事を続けられているのですか?
とても残酷ではありながら、野生的でロマンチックな生活を動物と共に送れるからですかね。あとは、最高の食べ物を地元の人に送り届けることができるから。彼らが喜ぶ顔を見ると、このスタイルを次世代につないでいきたいと思います。