「fall in love」が、「“愛”に落ちる」と訳されなかった理由。
「LOVE」っていう単語は、「愛」や「愛情」って訳されるのに、「fall in love」は、なんで「“愛”に落ちる」と訳されなかったんだろう?
と、きわめて素朴な疑問を抱いていたんです。ある本に書かれていた、この文章を読むまでは。
恋は不可避的で、出会いさえあれば、決して難しくない。自分でもコントロールできず、勝手に芽生えてしまう感情で、たとえ相手が、好きになってはならない人でも、好きになってしまうのが恋だ。
しかし、そこから関係を持続させていく愛の段階に入ると、必ずしも簡単ではない。
『私とは何か 「個人」から「分人」へ』より
著:平野啓一郎(講談社現代新書)
なにか特別な意外性があるわけではないんですが、妙に納得してしまったというか、ストンと腑に落ちたんですよね。
「恋」は(偶発的だったりして)落ちてしまうものだけれど、「愛」はどこか能動的なもののような気がします。「この人を守ってあげたい」「大切にしたい」「ゆるして包み込んであげたい」。そこに意識があってもなくても、紛れもなく与えているもので。
だれかのことを急に気になり出したり好きになると、「恋」を意識する。けれど、その瞬間に「愛」を意識することってあんまりないですよね?
「恋」とか、「愛」とか
最近は、「恋」についてとか「愛」について、なんだかよく考えています。でもそれって、やっぱり自分ひとりで考えていても、答えみたいなものって出てこない!
「TABI LABO」では最近、TERUHAちゃんが『愛と愛情の正体』を探る連載企画をやっていたりして、まだまだ学んでいるところです。
『私とは何か 「個人」から「分人」へ 』著:平野啓一郎 (講談社現代新書)
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