出産しても「戻れる場所」を──サーフィン界が変えたキャリアの常識

米サーフィンメディア「SURFER」が報じた、WSLによるプロサーフィン史上初の「マタニティ・ワイルドカード」制度。出産後の選手に予選免除の復帰枠を保証するこの仕組みが意味するものとは。

出産後の復帰を「権利」にする

WSL(World Surf League/ワールド・サーフ・リーグ)は、プロサーフィンの世界最高峰ツアーを統括する団体です。同団体の発表によると、2027年シーズンのチャンピオンシップツアー(CT)から、妊娠・出産を理由にエリートツアーを離脱した女性選手に対し、通常必要となる予選(チャレンジャーシリーズ)を経ずにCTへ直接復帰できる枠を設ける「マタニティ・ワイルドカード」制度が適用されます。1シーズンにつき1名という制限があり、複数の対象者がいる場合は元ワールドチャンピオンが優先されるルールとのこと。

初の受給者として発表されたのは、フランスのジョアン・デファイ選手とブラジルのタチアナ・ウェストン=ウェブ選手。デファイ選手にはマタニティ・ワイルドカードが、ウェストン=ウェブ選手にはWSLシーズン・ワイルドカードがそれぞれ授与されました。両選手とも2026年シーズンを休養し、2027年にCTへフルタイム復帰する予定です。

注目したいのは、「ワイルドカード」という言葉に込められた意味の変化でしょう。スポーツにおけるワイルドカードといえば、主催者の裁量で与えられる「特例的な出場許可」というニュアンスが一般的でした。しかし今回の制度は、出産というライフイベントを経た選手の復帰を「温情」ではなく「構造的な権利」として保証するもの。ワイルドカードという枠組みそのものに、新しい価値が吹き込まれたといえるのではないでしょうか。

隠して産み、2週間で復帰した時代

元記事は、プロサーフィンにおける妊娠・出産の歴史にも触れています。1993年、リサ・アンダーセン選手は妊娠を周囲に隠し、出産からわずか2週間で競技に復帰したといいます。2007年にはメラニー・レッドマン=カー選手が、2008年には2005年の世界王者チェルシー・ヘッジス選手が、いずれも復帰の保証がないまま出産を機に第一線を離れました。女性プロサーファーにとって、出産は長らく「事実上のキャリア終了」を意味してきたのです。

デファイ選手は2025年2月に妊娠を公表した際、SNSでこう綴っています。「男性は父親になりながらプロとしてのキャリアを続けられる。私も母親としてキャリアを続けたい」。パリ五輪の銅メダリストでもある彼女の言葉は、制度が存在しなかった時代の痛みと、変化への切実な願いを同時に映し出していました。

一方のウェストン=ウェブ選手は、2024年シーズンで世界ランキング3位、オリンピック銀メダリストという輝かしい実績の持ち主。キャリアの絶頂期に出産を選んでも、戻る場所がある——その安心感がもたらす意味は計り知れません。

スポーツ界に広がる「産休」の波

WSLの動きは孤立した事例ではありません。近年、スポーツ界全体で女性アスリートの妊娠・出産に対する制度整備が加速しています。

たとえばテニスのWTA(女子テニス協会)は、ランキング保護付きの産休制度を設けており、これまでに50名以上の選手が利用してきたとされています。2025年には卵子凍結などの不妊治療を受ける選手にもランキング保護を適用する新ルールを導入しました。サッカーの国際統括団体FIFAも、2021年に最低14週間の有給産休を義務化する規定を設けています。

ただし、ここにはスポーツの構造的な違いも見え隠れします。サッカーのようなチームスポーツでは、選手はクラブとの雇用契約に基づいて産休を取得できる場合が多い。一方、サーフィンやテニスのような個人スポーツでは、選手は実質的に個人事業主です。雇用契約がない以上、ランキングや出場枠といった「制度設計」でしか選手を守れないという現実があります。WSLのマタニティ・ワイルドカードは、まさにこの個人スポーツ特有の課題に対する一つの回答といえるでしょう。

「母親の制度」で終わらせない

今回の制度で見過ごせないのは、男子ツアーへの波及をめぐる議論です。元記事によれば、2025年にオーストラリアのライアン・キャリナン選手が第一子の誕生に立ち会うためにゴールドコースト・オープンを欠場し、その結果ポイント不足でミッドシーズンカット(シーズン途中の選手絞り込み)を通過できなかったケースがありました。

女性ツアーにのみ産休制度を設けることは、裏を返せば「育児は女性の役割」という前提を固定化してしまうリスクもはらんでいます。性別を問わず、親になる選手を支える「ペアレンタル・ワイルドカード」へと発展していくかどうか。この議論の行方は、スポーツの枠を超えて、私たちの社会全体に問いかけるものがあるように思えます。

フリーランスや個人事業主として働く人が増え続ける現代において、「雇用契約に守られない人の産休・育休をどう保障するか」は、まさに多くの人が直面しているテーマです。プロサーフィンという一見ニッチな世界で生まれた制度変更が、実は私たちの働き方や生き方の未来を映す鏡になっている。そんなふうに感じずにはいられません。

2027年、波の上に戻ってくるデファイ選手とウェストン=ウェブ選手の姿は、きっと多くの人にとって、単なるスポーツの復帰劇以上の意味を持つはずです。

Top image: © iStock.com / Jacob Wackerhausen
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