生きる、死ぬってなんだろう?読めば「心が軽くなる」ブッダの教え3選
人生は、なかなか自分の思い通りにはいかないもの。生きることは、楽じゃないのが当たり前で、うまくいかずに苦難ばかり多いことが普通なのです。
でも、「楽じゃない」けれど、苦を離れて、生き方を「楽しくする」ことはできます。仏教は、私たちに“苦を楽に変えて生きる”ための多くの知恵を与え、心やすらかな生き方をもたらしてくれる教えなのです。ではさっそくブッダに学ぶ処世術を見ていきましょう。
「一切皆苦」
執着せず、苦を乗り越えて
生きていく
仏教には「四苦」という言葉があります。「生・老・病・死」の4つのことで、人間は生まれた以上、必ず老い、病気になり、最後には死んでいく、という避けられないプロセスを説いたものです。
「一切皆苦」は、「この世の営みはすべて(思い通りにならない)苦しみである」という意味です。しかしそれは、若さや健康、生命に対して執着をするから「苦しみ」になるのであって、本来の人生は、もっと純粋で素朴な生の営みです。
つまり人生は、私たちの捉え方ひとつで苦にも楽にもなるのです。そのための執着心を制御する方法や、心に平安をもたらす人生の送り方を教えているのが、仏教だといえるでしょう。
自分の人生が終わるとき「この世に生を受けて本当に良かった」「与えられた人生を生き切った」と思えるよう、充実した人生をまっとうしたいものですね。
「諸行無常」
限りあるからこそ、
今を充実させられる
諸行無常とは、「作られたものはすべて移り変わり、一瞬として同じ状態にとどまってはいない」という自然の道理、真理を説いたものです。
例えば、桜をイメージしてみてください。生きている花は、開花すれば必ずいつか枯れてしまいます。だからこそ、今というこの瞬間は一度きりで、それを見過ごしたら、二度とその今は帰ってきません。だから「今日しかない」「今しかない」と、みんな時間を作ってまで花見に出かけるのです。
生あるものは、いつか必ず滅びます。花の美しさはずっとは続きません。無情だからこそ、美しいと感じるのです。逆説的ですが、死と向き合うことが生を充実させる生き方につながっているのです。今という瞬間を無駄にしてはいけません。
「縁起」
すべての“おかげさま”で
生きていることに感謝する
「縁起」の本来の意味を知っていますか?辞書によれば、「物事の起源・沿革」、「寺社などの由来」、「吉凶の前兆、きざし」などと書かれています。日常的によく使われる「縁起が良い」とか「縁起でもない」とかいうものは、この3つ目の意味です。しかし、本来の意味は違います。
ブッダは「なぜ死ぬのか」という問いに対し「生まれたから死ぬのだ」という、悲しいほど単純な道理に行き着きました。つまり、生まれないものは死なない、のです。このように、生と死は分かちがたく結びついています。この相互依存の関係を「縁起」と言います。
この世のすべては、縁によって起きています。あなたの両親も、そのまた両親も、先祖も、あなたが口にする食事も、友人、衣服など、すべてが無限の恵みに支えられて、私たちは生きています。このあり方が「縁起」です。
「生かされ、生かして、生きる」。これが私たちの「生きる」の真理なのです。
『心がすぅーっと軽くなる ブッダの処世術』
コンテンツ提供元:ワニブックス
京都文教大学学長。1960年生まれ。佛教大学文学部仏教学科卒業。ミシガン大学アジア言語文化学科留学。佛教大学大学院文学研究科博士過程満期退学。京都文教大学教授を経て、2014年より現職。最近の著書として、『法華経成立の新解釈:仏伝として法華経を読み解く』(大蔵出版、2012年)、『大乗経典の誕生:仏伝の再解釈でよみがえるブッダ』(筑摩書房、2015年)がある。