「進歩が必要だとしたら、それは人間の精神力だ」。92歳のエッセイがグサっとくる

いま、小説家 佐藤愛子さんのエッセイ『九十歳。何がめでたい』が注目されています。執筆時の年齢は92歳。彼女が綴る文章は、辛辣な表現がありながらも人生を真っ当に生きるための教訓が刻まれており「笑った!」「とにかく痛快」などの声が出版社に寄せられているそうです。

人生の酸いも甘いも知り尽くした彼女の意見は、読む人によっては、怒りを覚えることもあるかもしれません。しかし彼女の言葉をよーく見てください。日本とそこで生きる人々の営みを大切に思う「優しい気持ち」が溢れていますから。

私たちの生活は
もう十分に向上した

技術の進歩が進み、日に日に便利なモノが日常に溢れるようになりました。いまある便利な道具も、数年後には、さらに進化しているでしょう。

佐藤さんは、そんな刻々と便利になっていく時代をつぶさに見て生きてきた人のひとり。しかし、どうも便利すぎる世の中が性に合わないようです。

先日乗車したタクシーにて、高齢の運転手さんとスマホについての話になり、話題が尽きなかったのだとか。運転手さんと佐藤さんは

「調べたり考えたりしなくても、すぐに答えが出てくるスマホがこれ以上進化すると、日本人はダメになる…日本人総アホ時代が来る!」

と、意見が一致したそうです。

「進歩というものは人間の暮らしの向上、ひいては人間性の向上のために必要なものであるべきと私は考える。我々の生活はもう十分に向上した」

進歩が必要だとしたら
それは人間の「精神力」

日に日に生活が豊かになるなかで「もっと快適に」「もっと便利に」と、欲望は強くなるばかり。生まれた時からスマホや携帯電話がある人たちは、外で連絡が取れることや、わからないことを調べて答えまで出してくれる便利さをありがたいとは感じにくいのかもしれません。当たり前にあるのだから、感謝できないのは仕方のないこと。

例えば、スマホが故障したらメーカーにクレームの電話をします。「どうしてくれるんだ! 連絡がとれないじゃないか」と。そういう方々に「昔の人はね」と諭しても「バカか?」と言い返されるだけです。

そんな現状について、佐藤さんはこう言います。

「文明の進歩は我々の暮らしを豊かにしたかもしれないが、それと引き換えに、かつて我々の中にあった謙虚さや感謝、我慢などの精神力を磨滅させていく。もう進歩はこのへんでいい。更に文明を進歩させる必要はない。進歩が必要だとしたら、それは人間の精神力である。私はそう思う」

これは、私たちがいつからか忘れてしまった気持ちを目覚めさせてくれる、92歳の本音ではないでしょうか。世の中が便利になっていくことは否定しないながらも、俯瞰する目を持って、のめり込みすぎないように、というメッセージなのでしょう。

TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。