いつから日本はこんなに「音」にうるさくなった?92歳のエッセイが面白い。

今年11月に93歳を迎えた小説家・佐藤愛子さん。彼女のエッセイ『九十歳。何がめでたい』は、これまで数々の困難を乗り越えてきたからこそ見える視点で、バッサバッサと世の中を斬っています。タイトルの由来は、本人曰く「ヤケクソが籠っています」。

スカッとする内容が多く、とくにモヤモヤを抱える現代人が読むべき本だと言えるかもしれません。

生活に活気があるからこそ
「音」が生まれる

寝ようとしたら若者が騒ぐ声で眠れない。どこからか聞こえてくるピアノを練習している音がストレスだ…。騒音トラブルは、いまや殺人事件に発展するほど大問題となっています。佐藤さんは60年以上同じ街に暮らしています。昔は外から、子供の声、焼きいも屋さんの呼び込みの声などが聞こえてきたと語っています。そうした音は、平和な日常の彩りとして好ましく感じていたのだとか。

しかし、ここ数十年で、番犬の役割をしていた犬は、吠えると近所から苦情がくるようになり、幼稚園で子どもたちが騒ぐ声は騒音として捉えられるようになりました。佐藤さんは、こうした音に対して敏感になった環境に違和感を感じていました。確かに同じ環境で犬の鳴き声や子どもの叫び声をずっと聞いていると、可愛らしかった声をうるさく感じてしまうかもしれません。しかし、我々が過敏に反応しがちなのも事実です。

現代人はどこかイライラしながら生きている人が多く、自分の生活に少しでも干渉するものには憎しみを持ち、昔に比べて怒りをぶつけたいという欲求のタガが弱まっているような気がします。佐藤さんはこう言います。

「騒音は生活が平和で活気に満ちていてこそ生まれる音。町の音はいろいろ入り混じっていて、うるさいくらいの方がいい。それは、我々の生活に活気がある証拠だからだ。それに文句をいう人が増えてきているのは、この国が衰弱に向かう前兆のような気がする」

現代人は、もっとゆとりを持って生きるべきなのかもしれません。佐藤さんの目線で物事を見ると、どんなマイナスのこともプラスに変えられるような気さえしてきます。

スーパーのレジで
声を出したらいけないのか?

さらに佐藤さんは、スーパーマーケットも静かだ、と言います。

「客は黙々と商品の間を歩き、黙々とカウンターにカゴを差し出す。カウンターには『NOレジ袋』と書いたカードが用意されていて、客もレジ係も黙々と会計を済ます…。なぜ『レジ袋いりません』と声を出してはいけないのだろう」

佐藤さんの言うように、声を出すこと自体がばかられるほど、この世界は息苦しくなってしまったのでしょうか?だとしたら残念でなりません。ちなみに、このエピソードのタイトルは『我ながら不気味な話』。一見脈略のないタイトルですが、文末にその答えが載っていました。

「不思議とも思わず『NOレジ袋』に従っている人たちの不思議。しかし、そう思いながら、同じように従っている私の不気味」

騒音に対する認識が崩れつつある日本人に苦言を呈しながら、お店のルールに違和感を覚えつつも守ってしまう自らの性格を現した一文。考えさせられるテーマを投げかけながら、最後はクスッと笑ってしまう、じつに佐藤さんらしいエピソードのひとつです。

TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。