【コラム】「野蛮な」フィリピン文化が嫌だったけど、今は誇りに思ってる
フィリピンにルーツがあり、現在はアメリカで過ごすCeleste Nocheさん。彼女は小さい頃「自分のアイデンティティに引け目を感じていた」と言います。
フィリピンの伝統文化である「kayaman(手で食べること)」について彼女が綴ったコラムには、文化と多様性について、考えさせられるものがありました。
「手」で食事をする
フィリピンの伝統文化
今でこそ、ほとんどのフィリピン人はスプーンとフォークを使って食事をするけど、伝統的には「手で」食べていた。
「kamayan」と呼ばれるこの作法は、元々フィリピンの一般的な食べ方だった。しかし、16世紀にスペインが植民地支配を始めて、カトラリーが持ち込まれてからは、大きな祝いの席や祝日、あるいは文化を学ぶときくらいにしか手を使わなくなった。
「フィリピン人はお互いに食べさせ合うことで、愛を表していました。また手で直接食べ物をつかむことで、その栄養を、そして大地を感じていたのです」
ポートランドの女性活動家・Katherine Princeさんはこのように語っている。
「バナナの葉のお皿から手で食べると『あぁ、食べ方さえも植民地化されていたんだ』と気付きます。この伝統的な食べ方をすること自体に、意味があるのです」
「kamayan」は手で食べる行為を表す言葉だが、「kamayan料理」というと、バナナの葉の上にのせたごちそうを意味する。
何をのせてもいいが、一般的には、炒めたり揚げたりした料理に、ライスを添えることが多い。スープは手で食べにくいため、あまり見かけない(ただし本当に決まりはなくて、私の母はよくスープを出していた)。
ここで、基本的なkamayanの作法を紹介しよう。
1.手を洗いましょう。
2.片手で食べましょう。もう片方は、飲み物のために綺麗なまま残しておきます。
3.食べ物をとるときは指先で(手のひらで握らないこと)。
4.指で食事を掴んだら、親指を使って口に押し込みましょう。
人それぞれ違う
食卓の思い出
ひとくちに「伝統」といっても、人によって捉え方は様々だ。そこで私は、友人たちに「あなたにとって『kamayan』ってなに?」と尋ねてみた。
彼らはみんな、それぞれ異なったバックグラウンドを持っている。フィリピンで育った人にアメリカで育った人。物心つく前からずっと「kamayan」で食べていた人もいれば、大人になって初めて手で食べた人も。
そんなバラバラな私たちの共通項は、フィリピンの伝統を大切にしている、ということだけだ。
フィリピンの伝統料理を取り入れたディナー「Twisted Filipino」のクリエイターである、Carlo Lamagna氏。フィリピンで育った彼にとって、kamayanは思い出深いものだった。
「我が家はいつもガレージに集まり、楽しくわいわい食事をしていました。もちろん、kamayanで。
各自バナナの葉を2枚持って、食卓に置きます。そして市場で買った食材を使って、Pinakbet(野菜に魚やエビのソースをかけた料理)やdinengdeng(発酵させた魚やエビのペーストが入った野菜のシチュー)、tortang talong(グリルしたナスのオムレツ)など、その日に食べたいものを何でも作りました」
今でこそkamayanは、尊重すべきフィリピンの伝統と捉えられている。しかしかつての植民地支配の影響から「手で食べること=はしたないこと」と考えられていた時代もあった。
スペイン人が西洋の文化を持ち込んだとき、フィリピン土着の文化は「野蛮」とみなされた。そして、彼らが去ってから200年が経った今も、まだどこか西洋優位の心理は残ってしまっている。
ポップアップレストラン「SALO」のシェフ・Yana Gilbuenaさんの思い出は、こうだ。
「私の祖母はまさに西洋風の“レディ”でした。彼女にとって、スペイン文化=“正しいもの”だったんです。綺麗にセッティングされたテーブルに、ピシッと背筋を伸ばして座る、というようにね。
『手で食べる方法』を教えてくれたのは、コックさんでした。3本の指でライスとお肉をつかんで、親指で口に押し込むのよ!ってね。初めての時は、ライスが床に散らばっちゃって。『いつも“正しすぎる”から、そうなっちゃうのよ!』と、彼女には冗談を言われましたね」
一方で、シカゴでフードメディアやイベントを運営している「Filipino Kitchen」のSarahlynn Pabloさんは、kamayanといえば祖母を思い出すそう。
「もう亡くなってしまいましたが、私の祖母は普段から“kamayan式”で食べていました。側に金属のボウルを置いて、食事のたびに手を洗うんですよ」
ポッドキャスト「Bread and Roses」を配信しているPamela Santosさんも、同じように感じているようだ。
「我が家の食事の半分、祖母に至っては99%がkayamanでしたね。手で食べると何だか自由な気持ちになれたし、道具に頼らないことを学べました。kayamanは、自分がフィリピン人であることを思い出させてくれます」
祖国のアイデンティティを
色んな人に伝えたい
アメリカで育ったフィリピン人として、私は子どもの頃、フィリピン文化にコンプレックスを抱いていた。
白い肌が良いとされていたから、日焼けしたときには手渡されたパパイヤ美白石鹸を素直に受け取った。タガログ語も学ばなかった。ランチにはサンドイッチを持っていった。ある特集で、バロット(孵化直前のアヒルを使ったフィリピン料理)を見ても、何も響かなかった。
ときに欧米のメディアは、私たちの食事を「奇妙」と表現して、西洋とは「違うもの」と認識させる。これは、誰でも歓迎するkamayanとは対照的だ。私の母はいつも、飛び入りの客も食卓につけるように、多めに食事を用意していた。そして「もうごはん食べた?」と聞いて、誰でも歓迎していた。
「kamayanは、ときに野蛮で不衛生なものとして見られます。でも私たちにとって、大切な文化なのです」
と、私の友人のひとりは言う。
「フィリピンでは、食卓は大切な学びの場でもあります。
いとことどっちがカニを食べるかケンカしたときは、解決することを学びました。祖母と一緒にお米を握った時は、協力することを学びました。叔父は、料理に手をつけないと全部食べられてしまうことを教えてくれたし、叔母は、レモンを使って手をきれいにする方法を教えてくれました。
kamayanは、愛を育む家族の時間なのです」
この話のどこにも「奇妙」な点はないはずだ。
今日、フィリピン料理がアメリカのメディアでも取り上げられ始めている。これは大きな一歩だ。kamayanを語ることで私は、フィリピンの文化をもっとみんなに伝えていきたい。