「銃を突きつけられているようだった」ウルルを取り戻したアボリジニの想い。
頭に銃を突きつけられているようだった──
こう言い放ったのは、オーストラリアに暮らす先住民族の1つ、「アナング」を代表するSammy Wilson氏。これだけメッセージ性のある言葉、やはり、その裏には断腸の想いがありました。
先人たちの想いが息吹く
聖なる場「ウルル」
なぜ、Sammy氏が前述のように語ったのかの答えを言ってしまえば、去る11月1日にやっとの想いで、ウルルに登ることを禁止するまでに至ったから。
少しでも彼の言葉をリアルに受け止めるために、歴史を振り返りましょう。
「アナング」は、古来より、ウルル・カタ・ジュタ国立公園とその周辺を管理する番人のような存在だったそう。そんな彼らは、ウルルを「先人たちの文化と精神が息吹く聖地」と考えています。
しかし、1870年代、欧米からの開拓者により、土地は奪われることに。そして、観光化が進められました。本来ならば、先住民たちが護ってきた場所。だからこそ、なんども彼らは返還を求めてきたのです。
そして、1985年。「Uluru Travel」によれば、政府から先住民へと、ウルル周辺の土地は返還されました。ただし、「Australian National Parks」と「Wildlife Service」に、99年間の“賃借”を条件に。
自分たちが“聖地”と位置付けるウルルに足を踏み入れる観光客、彼らからすれば心情穏やかではなかったことでしょう。Sammy氏は、こう述べます。
「非常に重要な場所なのです。ディズニーランドのようなテーマパークでも、遊び場でもないんだ」
護衛者として、できること。
Sammy氏は、オーストラリアを訪れる観光客のために、歩み寄りも見せています。
「観光客は歓迎します。ただ登山を禁止にするだけです」
これには、国立公園などへの入場料が生活の糧になっているからではないか?という、心無い意見も。だけど、冒頭の彼の言葉を考えれば、護衛者として活躍してきた先人のためにも、同じ役割を担っているのでしょう。
ウルル・カタ・ジュタ国立公園の発表によれば、正式に「ウルル」に登れなくなるのは、2019年10月から。だけど、それまでにこの地を訪れる人は、彼らが護り継いでいるものも胸に刻んでおくべきなのかもしれません。