観光と人権の対立:“世界遺産を守るため”地元民の生活が排斥されている
先日報じられた、アンコール遺跡周辺住民がカンボジア政府から立ち退きを迫られているという問題。
アムネスティが提出した「強制退去は人権法違反」とする報告書に対し、政府は「根拠のないもの」として却下、国連機関からの是正措置にも応じない姿勢を示している。
事態は硬直しているが、解決の糸口はあるのだろうか。
重要な世界遺産としての地位を守るため
アンコール遺跡を管理するアプサラ当局は、立ち退き要請については一貫して「ユネスコの規定」に則ったものであると主張している。
先日開催されたアンコール国際調整委員会(ICC)の会議で、当局のHang Peou事務局長は「私たちは現場を管理し、違法な居住地がないことを確認する必要がある」と改めて正当性を強調。
当局はこれまでも、遺跡の現状について「不法占拠者の集落でごみ問題や水資源の乱用が浮上しており、環境が破壊されている」と説明してきた。景観の悪化や歴史的価値の喪失を理由に、アンコール遺跡が世界遺産リストから削除されることを危惧していると考えられる。
ユネスコの作業指針には、「保護と管理」の項目に以下のような規定が存在している。
立法措置、規制措置、契約による保護措置
98. (中略)顕著な普遍的価値に対して負の影響を及ぼす可能性のある社会的、経済的、その他の圧力もしくは変化から、確実に資産を保護するための立法措置、規制措置を国及び地方レベルで整備することが求められる。また、締約国は、それらの施策を十分かつ効果的に実施する必要がある。
──「世界遺産条約履行のための作業指針」より抜粋(環境省仮訳)
ちなみに、アンコールはかつて危機遺産に登録されていたのだが、修復にあたって「アンコール遺跡公園」として周辺地域を含むように範囲が拡大されたことで、文化遺産への登録に至ったという経緯がある。
上記の指針は立ち退きを正当化するものではないが、アプサラ当局は住民を不法居住者と見做しているため、「規制措置」に値すると考えているのだろう。
1992年に登録されて以来、年間約200万人が訪れるカンボジア最大の観光名所。管理当局は、なんとしてもその地位を保持したいはずだ。
浮かび上がる「観光」と「人権」の対立構造
大切な観光資源を守る為とはいえ、「世界遺産の存続が危ぶまれるので、住民は新たな土地に移り住んでもらいます」という当局のスタンスは、人権を蔑ろにするものと認識されても仕方がないだろう。
ただ、遺跡や観光地における環境維持も、国や地域にとって重要な課題だ。生活で発生する廃棄物などが景観を乱すという主張自体は、一概に「間違っている」と言えるものではない。
「ここに住む我々ことを、ユネスコは“不衛生”だと言い、当局は“社会に影響を与えている”とテレビで言っていた。もしそれが問題なのであれば、どうか私たちの住まいを確立させてください」
『VOA』の取材に答えたのは、アンコール遺跡周辺で観光客に絵を描いて生計を立ててきたアーティストの男性。長年この地域に住んできたが、仕事や住居を手放し、年末までに立ち退くことに応じたという。
最大の問題は、(アムネスティの調査が正しければ)彼らが送られる移住先が、家もきれいな水も整備されていない極めて劣悪な環境であるということ。景観維持のためだとしても、これでは住人の人権が尊重されているとは言い難い。
ユネスコの方針にも「締約国は、必要に応じて、(中略)地域コミュニティー、先住民族、権利所有者及び資産管理関係者との緊密な連携を図ること」とまさにこうした問題に対するアプローチが示され、双方の理解によって保全に努める必要性が明記されている。
アプサラ当局は、一方的な追放にならぬよう、移住する人々にとっても利点のある(少なくとも基本的人権が侵されない)生活を提案することが不可欠だろう。
世界遺産としての観光資源を守りつつ、国際人権法と基準が定める義務に従う。倫理的な視点を見失うことなく、これらの両立を実現する方法が見出されることを願いたい。