手放していく旅 -小野美由紀
001 「深夜特急」との出会い
小野美由紀さんはカナダの大学への留学後、沢木耕太郎さんの自伝小説「深夜特急」に憧れて沿って世界一周に出ました。小野さんの「深夜特急」との出会い、そして旅に出ようと思ったきっかけについて教えてください。
私はとにかく当時の自分の環境が嫌で嫌で仕方なくて、なんとかそこから抜けだしたくて海外を目指した「逃避組」です(笑)。
大学受験に失敗して希望の大学に行けず、派手な大学生活にも馴染めない。仮面浪人しようと思い、午前中は大学の授業を受け、午後は受験勉強し、夜は予備校の夏期講習代を稼ぐために六本木のキャバクラで働いて…。明け方送迎車で帰ってきて、頭盛り盛りのまま、1限まで日吉キャンパスのベンチで寝たりしてました(笑)。でも、ハードすぎて長くは続かず、3ヶ月で挫折。もう、くすぶりにくすぶってましたよ!なんとか逆転したいと必死に勉強して、留学試験に合格。しかし、カナダの大学での授業も希望通りに履修できず、モントリオールのマイナス40度の寒さも相まってうつ状態に(笑)。留学した他の友達は、自分の取りたい授業をとれて、キラキラした留学生活を送っているのに…。今思えば、自分がやりたい事を目指すというより、こんなはずじゃない、と現実を受け入れられない恨みつらみから行動していたので、当然かもしれません。
留学の辛さの反動から、半ば、図書館に引きこもりになり、そこで日本文学を読みまくった。その中で「深夜特急」に出会い、風景描写の美しさ、旅の途中の感情の揺れ動きを一つ足りとも漏らさず描く、そのリアリティにぐいぐい引きこまれました。留学が終わっても、日本に帰ったって、イケてない自分に戻るままだ。そうなるくらいなら、日本に帰りたくない!!負け続けている自分を認めたくなくて、なんとか日本の大学生活に戻らないでいられる方法を考えたら、それが世界一周だったんです。
002 自分の目で見なければ、なにも分からない
「深夜特急」と同じルートを回ったのですか?
最初は沢木さんと同じルートを辿ろうと考えていましたが、時間の都合から、まず「深夜特急」の中でも印象的だったインドのデリーからはじめ、陸路で沢木さんの旅の最終地点であるポルトガルのロカ岬を目指し、そこから南米へ向かいました。実際の深夜特急ではイランを抜けていくのですが、私の時は、日本人女性の入国が禁じられていて。やむを得ずウズベキスタンまで飛行機で飛びましたが、どうしても難しいところ以外は、バスと電車を乗り継いで陸路で旅をしました。
とくに印象的だったのは、「中東の3P」と呼ばれている名遺跡(ペトラ・パルミラ・ペルセポリス)の一つ、ヨルダンのペトラ遺跡です。
ペトラ遺跡のある自然公園は、表向きはフツーの観光名所。なんかつまらないなぁと思いながらぶらぶらしていたら、公園の敷地内に住んでいる「ベドウィン」と呼ばれる遊牧民に声をかけられた。彼らは昼まで観光客相手に仕事をし、太陽が真上に来たらもう一日の仕事は終わりです(笑)彼らの一人に「ヒマだから、俺らの秘密の泉に連れて行ってやる」と言われて、恐る恐るついていったら、観光客は絶対に入ってこられないような深い森の中に案内されて。しまいには、落ちたら絶対死ぬような断崖絶壁を、命綱なしでロッククライミングさせられて(笑)もう死ぬかと思った!けれど最終的にたどり着いた泉は、この世のものとは思えないほどの美しさでした。写真に撮るのが恐れ多いほどで、撮ろうとしても、シャッターが切れなかった。神様がいたのかもしれない。
遺跡公園の閉園時間以降、本来なら観光客は立入禁止なのですが、「いいから残れ」と言われて。観光客が残らず帰った後、山の頂上にある神殿遺跡のてっぺんによじ登らされました。「世界遺産に登っていいのか?」と聞いたら、「世界遺産がどうとかって、外のやつらが決めたことだ。ここは俺らの昔からの住処なんだ。登っていいかどうかは、住んでるやつが決めるんだ」と。遊牧民の歌を聞きながら遺跡の頂上で眺める夕日は絶景でした。日没後、星の光しか届かない真っ暗闇の中、岩だらけの道をロバに乗せてもらって山を下り、遺跡の入り口まで送ってもらった経験は、今でも忘れません。
彼らは遺跡の外には基本的に出ません。遺跡の中だけが、彼らの世界です。それでも、遺跡のてっぺんで、ギターをかき鳴らしながら彼らは本当に真面目な顔で言うんです。「俺たちは世界で一番自由だ」「飛べると思ったら空だって飛べる。そう思うのが大事なんだ」何も知らないことは不自由ではない。ものを知りすぎていると、逆に不自由になる。それは今まで頭でっかちだった私にとって、大きな経験で、背中を押されたような気もしました。小賢しくなることに意味はないんだと気づかされました。
003 自分の感覚、自分の腹の底から出てきたものを選ぶ
旅の中で得たもの、感じたことは何でしょうか?
なんでも自分の感覚で選んだほうが面白い、ということです。たとえば、私は最初、沢木さんに憧れてそのルートをたどりましたが、結局、旅を終えた時に最も意味があった経験は、旅の予定を途中で変更して挑戦したスペイン巡礼の旅でした。旅の途中、誰もが行くようなルートを歩んでいる自分に疑問を感じて。ガイドブックに載っている写真と、現場の答え合わせをしているだけのような感覚に陥った。その時、巡礼を終えてトルコにやってきた旅人から、スペイン巡礼の話を聞いて「これこそ今の自分が求めているものだ」と感じ、無理にルートを変えて巡礼に向かい、結果、それは人生を変える大きな経験になりました。最初から決めたルートをたどっていたら、その経験はできなかった。世界一周航空券を買うのもいいけれど、自分でその時その時、自分の感覚で決めた方が面白いなと思います。
世界一周は今ちょっとしたブームだけど、別に一周したからって、何かを得られる訳じゃないし、特別な自分になれるわけでもないです。
たとえ一見すごそうに見えることをやったとしても、自分の感覚、自分の腹の底から出てきたものを選んでいかなければ、どんな経験にも意味がありません。
世界一周や就職活動など、SNSなどにたくさん情報があふれていますが、人の言っている事をちょっと取ってきて、ちょっとやってみることって結局あんまり意味がありません。他人の経験のコピペをしていてもそれは所詮コピペ。
だから、私のインタビューを大真面目に読んだり、他の世界一周とかしてる人の言うことを大真面目に受け取ってるような人はダメですよ!(笑)「小野美由紀は偉そうにこんなこといいやがって。クソが。俺は俺のやりたいようにやってやる」と思ってる人こそ見込みがあります。つーか、ブームに乗って世界一周するような人はダメです。
友達で、大学二年の時に、ビジネスを知りたいとコンビニでバイトを初めて、店長に気に入られて入店数ヶ月でコンビニの経営をやらせてもらったって人、いますよ(笑)サマーインターンとか世界一周するよりそっちのほうがずっと面白い経験だと思うし、就活でも強いと思いますけど。
004『マオ・レゾルビーダ』
旅行の中でも、特にスペイン巡礼が大きな経験だったそうですね。世界一周中、そして就職活動後と二度行かれたスペイン巡礼について教えてください。
スペイン巡礼「カミーノ・デ・サンティアゴ」は、スペインの北部にあるキリスト教の聖地「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」に向かって、1000kmも続く一本の道を、歩く旅です。
巡礼って超〜〜〜!!楽しいんですよ。巡礼宿は激安だし、ごはんはうまい。毎日30km歩いた後は、ワインがぶ飲みして、昼寝して、夜は他の巡礼者仲間と大声で歌ったり、騒いだり。
5歳から80歳まで、世界中の国から、ありとあらゆる背景を持った人がいて、大企業の社長から、ベビーシッター、他人のほどこしだけで暮らしている人、お母さんの車いすを押しながら巡礼している若者…。様々な人生を送っている人が、それぞれの背景や国と関係なく、聖地に着くという共通の目的のみで一体化して、仲良くなれる。みんなポジティブでとても友好的。
今後の自分の人生を考えるために歩いている人が多いので、会話の内容は、自然と互いの人生観や、人生のエピソードになります。
特に、二回目のスペイン巡礼は就職活動をパニック障害でやめた後だったので、どうはたらくか?ということを色々な人から聞けたのはとてもよい経験でした。
巡礼の中で、ブラジルで超エリート企業に務めるブラジル人男性と仲良くなりました。彼に日本の就職活動の話をしたところ、
「ブラジルには『マオ・レゾルビーダ』ということばがある。『自分自身の問題、家族や心の問題を解決できていない人のこと』だ。たとえエリートでも、マオ・レゾルビーダは未熟な人間として信用されない。エリートになることも大切だが、自分自身の内面に向き合うことのほうが人生においてはずっと大事だよ」と教えてくれました。
また、小学校の先生だった、80歳のスペイン人のおじいちゃんに就活で悩んでいると打ち明けると、彼は
「毎日が休日だと思える仕事につきなさい。ワシは40年間、仕事をしていると思った日はは一日もないよ」と。
彼の、思考の固まらなさ、そしてその言葉が彼の口から自然に出てきたことに驚きました。就職活動の時、どうすれば受かるのかについて教わることはたくさんありましたが、そんなことを言われたことは一度もありませんでした。もし、この先自分が「毎日が休日」だと思って生きていけなかったとしても、世界に一人はいるんだと思ったら安心することができたのです。
日本では会えなかったであろう、多種多様な考えを持つ人たちに、人生の様々な要素を授かった気がしました。決して特別な人ではない、祖国に帰れば普通の生活をしている人たちが集まって、悩みや弱さをそのまま見せている。弱みを見せてもいい、弱くてもいいと許してくれる、あたたかい海のような器の中に、世界中で暮らすあらゆる人の人生が盛り込まれていて、その中で波に洗われながら、自分の道を歩いていく経験は、かけがえのないものだったと思います。
005 旅は、手放していくこと
日本に帰ってきてどうでしたか?
スペイン巡礼を経て、あるがままの自分、上手くいかない自分も受け入れられる素地が出来上がったので、自分が人と違う事に対して動じなくなりました。
卒業後、まれびとハウスというシェアハウスで、イベントやワークショップを開催してその収益だけで生活するニート生活を2年半送ったのですが、そのニート期間中、細々とブログを続けていました。特に目的もなく、ごくたまにしか書いていなかったのですが、いつのまにか読者が増え、ブログ経由でライターの仕事をいただくようになりました。今ではそれで生活しています。
最近まで忘れていたのですが、当時綴っていた日記によると、友人に「君の旅の答えを聞かせてくれ。What is life?」と問われて、私は“Life is writing”と答えていたそうです。4歳から絵本を書いたりしていて、文章を書くのは大好きでしたが、まさか自分が書く事で生計を立てられると思ってはいなかった。
望んだものは、望んでいるうちは手に入らない。けれど、望まなくなった瞬間に手に入るものなのだなとつくづく思います。
巡礼の旅は、それまで執着していた思い、たとえば「なんで就職できないんだろう?」「なんで自分はだめなんだろう?」という思いを手放す旅でした。“居着く”のをやめたとたん、手に入るものがあると思います。
006 毎日が休日、かつ修行
現在は週刊誌「AERA」や、観光庁が海外向けに発信する日本の観光情報サイト「VISITJAPAN」のライターとして活躍されていますが、小野さんが信条としていることを教えてください。
自分を守らないこと。他人を傍観しないこと。メディアって、傍観者になろうと思えば簡単になれる。皆さんも経験があると思いますが、自分が対して関わってもいないことを、Twitterで訳知り顔で批判したりとか、簡単にできちゃうでしょ。それってすごくダサい。傍観者ヅラして自分を晒さないやつ、当事者性を持てないビビリが一番ダサいんです。そんな相手にインタビューされて、自分の話をしたいと思う人なんかいない。常に自分の中身を晒して、全力で相手を自分自身で刺すこと。脳の裏側で客観視しつつ、けど、決して「引き」で相手を見ないことです。
実際、私は今、スペイン人のおじいちゃんに言われたような「毎日が休日、かつ修行」のような働き方をしています。とても楽しいです。
自分の実力というより、これまで培った経験がそうさせてくれているんだと感じています。そういう意味では世界一周をしてよかった、と思っていますが、日本の経験よりもそれが勝っている、とは考えません。日本の学生時代の経験、ニートの経験、世界一周、すべてが平行して、そして混ざり合って今の働き方につながっている。どれかが特別な経験だったということはありません。
世界一周の中でも、自分で決めて、自分で組み立てていった経験は貴重でした。そういう意味では、日本で起業するにしても、バイトを選ぶにしても、友達とどう接するか、サークルで何をどう発言するかとかも、全部おなじ重さをもっているのだと思います。世界一周していた時の、身一つで決めていく感覚を日常の中にスライドさせて、それを保ち続けて生きていければいいなと思います。
TABI LABO インタビュワー <平野咲子> 早稲田大学政治経済学部1年生。いろんな話を聞いて、いろんなものをみるなかで、正解は一つではない、という感覚を養いたいと思っている。