忙しいときに思い出す、「チャルダ専門店」がここにある。
2017年10月1日、自由が丘にオープンした『La・Cialda』。イタリアのトスカーナ地方で、おばあちゃんがいつも作ってくれるような、懐かしい郷土菓子として愛されてきたチャルダの専門店。
結ばれる両家の家紋が片面ずつ刻まれ、ぴったりとはさまれて焼くその製法から、婚礼にも欠かせない縁起物なのだそう。
イタリアの中でも限られた場所でしか馴染みのないお菓子を、なぜ専門店としてオープンしようと思ったのだろう?どうしても聞いてみたくて、オーナーの飯田尚志さんに取材をお願いしてみることに。
こころよくOKをもらって、私はクリスマス色に染まった自由が丘に向かった。
大切に手作りしたものを、
目の前の人に直接届けたい。
「僕、じつは17年前からIT業界で働いているんですよね」。
さっそくお店をオープンした経緯を聞いてみると、思いもしなかったストーリーのはじまり。思わず「えっ」と声が溢れてしまった。イタリアで暮らしていたわけでも、飲食に関わることをしていたというわけでもなく、IT業界。
飯田さんはもともと、宝飾の接客業をしていたそう。IT業界に入ったのも、IT技術をうまく導入すれば、接客業は改善できることが多いと感じていたから。とはいえ、当時は宝飾から転職して、まったく関係ない業種へ行く人もほとんどいなかったようで、相当な異端児だと思われていたと笑いながら話してくれた。
IT企業を立ち上げて、便利な仕組みは作れるようになったものの、心の中では「目の前のお客さんに、一生懸命作ったものを渡したい。自分たちで、また接客したい」という思いがやっぱり強くなり、接客業出身の仲間たちと、いつか新規事業として飲食店を開こうと決めていたのだそう。
そんな時に、イタリア出張から帰ってきた友人がお土産にくれたのが「チャルダ」と、ふたつの焼き型。イタリア人ですら知らないような郷土菓子が、ひょんなことから日本人と繋がった瞬間、飯田さんはこれだ!と確信を持ったのだ。
クッキーとも、他の焼き菓子ともちがうザクザク感と、優しい味がとても気に入って。巡り合わせですよね。ずっと心に抱いてきた飲食店を持つことができて、体力的にはきついこともあるけど、やっぱりすごく楽しいですよ。
やりたいことは、なんでもやってみないとね。
ずっと心が求めていたものを、ようやく実現できた10月1日。教えてくれたストーリーには、目の前の人になにかを届けることへの思いの強さが溢れていた。
すべてが「ちょうどいい」
つまり、究極に居心地がいい。
飯田さんのライフストーリーを伺ったあと、人生初のチャルダをいただいた。オススメだと教えてくれた、12月1日から25日まで限定メニューの『クリスマスチャルダ』。
ふわふわのマスカルポーネのクリームの上には、めずらしい自由が丘産のはちみつ『丘ばち』と、自由が丘ドライフルーツのお店、アラカルトから仕入れた『アップルシナモン』のトッピング。とろっとしたソースと一緒に、ベリーがたっぷり詰まっていて、ひとくち頬張った瞬間、私は感動の声を少々大きめに漏らしてしまった。
してやったり、な優しいスタッフの微笑みを見て、さらに胸の奥によろこびが積もる。
オープンとほとんど同時に、小さな女の子と手を繋いだお母さんが来店した。
大きな飾窓からめいっぱい差し込んでくる太陽のひかりが、日向ぼっこみたいな気持ちのいいぬくもりをくれて、充満したコーヒーの香りと、甘く香ばしいおやつの知らせに、体の中からよろこんでいく。
「おいしそうだね、ばぁばにも買っていこうか」
ガラス越しにチャルダを指差す女の子のとなりで、お母さんがそう声をかける。
なんてのどかな空間だろう……。そう思っていたとき、そっとグラスが差し出された。甘さ控えめといっても、クリームを食べたあとはコーヒーより水を飲みたいときがある。このタイミングで届いたグラスに、ほろりと嬉しさ2割増。
この店内にあふれているすべてが、とにかく、ちょうどよかった。目に映るもの、聞こえるもの、口の中に広がるもの。
「ちょうどいい」は、かんたんそうな響きをしているけれど、ほんの少しの調合が狂えば成立しなくなるもの。足を踏み入れる人の気持ちの隅々までイメージして、寄り添わなければつくれないもの。
“おいしい”って、思い出すこと
「ざっくばらんにお話してしまったけど、大丈夫でした?」と聞いてくれた飯田さんに全力で感謝を告げて、お日様のあたたかさにマフラーをしまいながら、お店に背を向けて歩きだす。後ろ髪を引かれるように振り返って、なんて幸せな日だろう。と、心の中でつぶやいた。
12月は慌ただしい。師と言わず、部長もバタバタと走り出してしまうほど。この1ヶ月のうちに終わらせなければいけないことは多いのに、日が短いからすぐに夜が来てしまう。そうこうしているうちに、2017年は残り2週間。
『La・Cialda』は、焦るときほど足を運んでほしい場所。この気持ちよさにどっぷり浸かると、穏やかに流れる世界から、ずいぶん切り離されてしまっていたことに気づかせてくれる。
そして外が暗くなるのを見て焦るような日は、あの空間を、あの味を、あの優しさを、思い出す。
“おいしい”って、こんな記憶をつくってくれることだと思う。