恋人との「あの瞬間」について、話してもらいました。
「どういう瞬間にシャッターを切るんですか?」
野暮だなあ、とわかっていつつも、以前こんな質問をしたことがあるんです。その人は、日常の中の恋人の自然な姿を写真に撮る人でした。
写真って、どんな瞬間にシャッターを切っても必ずなにかが写るし、“自然な姿の” 被写体は、カメラに向かって表情をつくるでもなければ、ポーズをとるでもなくて。
だから余計に気になったんです、「いつシャッターを切るのか?」って。質問をしたあと、しばし考えてその人は、答えてくれました。
たとえば 学生の頃、片思いしている人と廊下ですれちがうとき、一瞬、時間がとまるような感覚になったりしませんでしたか?
「時間」っていう概念がなくなる瞬間っていうのかな。世界のなかで、いまその人がそこにいること、“ただそれだけ” になる瞬間、みたいな。
ちょっと恥ずかしいですけど。
大人になってからは、そうですね、たとえば恋人とふたりの夜に。僕は起きていて、彼女はとなりで眠っていて。外の明かりがすこし入ってくる部屋だから、彼女の頬だけが照らされて白く光っているんです。
自分でも無意識に、その頬をなでていたりして。
そのときも、 “ただそれだけ” になる瞬間がおとずれているんですよね。
僕がカメラのシャッターを切るのは、そういうときな気がします。
その瞬間は、今日も。
この世にたくさんある、「恋人を写す写真」。そして、「恋人を写している時間」。世界のあらゆるところで、たえず “ただそれだけ” の瞬間がつづいているんだなと、とても腑に落ちる言葉を伝えてもらいました。
あれから4年ほど経ちますが、このできごとは、「“言葉にできない瞬間” をあらわす言葉」について考えるとき、いつも自分が立ち返る場所になっています。