見えない素顔を、見つめるとき
「そういう方だったんですね。ずっと一緒にいるけれどね、お話したことがなかったから」
わたしには、今はもういろんなことを忘れてしまって、聞くことも話すことも、ほとんどできなくなった祖母がいます。先日、介護士の人に祖母がまだ元気だった頃について話したとき、返ってきたのは上の言葉でした。
あることを境に、突然ずっと一緒にいる人の素顔がわかることって、あまりない感覚だからすこし不思議な体験だったんです。
冒頭から個人的な話になってしまいましたが、「the unknown」シリーズについて考える上で、このエピソードは自分により説得力をもたらしてくれるものでした。
Andrea Torres Balaguer は、自ら撮影した写真を用いて、ポートレートの意味や意義を解剖しています。その方法のひとつが、女性の顔を「隠す」こと。彼女たちの名前、どのような人生を歩み、そしてこれからどこへ行くのか。それらへの解釈は「見る側」に委ねるものだと彼は言います。
だれかについて思うとき、そしてその人を見つめるとき。信じられるものが、否応なしに「自分の目で見えるもの」だけだとしたら。
たとえば長い時間を一緒に過ごしていても、目に見えない「知らなかったこと」を知った瞬間、初めてその人物像が浮かび上がったり、まったく違う人物に見えたりすることがあるようです。
それでも、その人を見て自分はどのように思いを巡らせていたのか。見逃してしまいそうな表情をとらえようとする瞬間こそ、本当の意味で「だれかを見つめる」ことなのかもしれません。
Licensed material used with permission by Andrea Torres Balaguer