24年前の今日、帰らぬ人となった「国民のプリンセス」の物語
何気ない一日に思えるような日が、世界のどこかでは特別な記念日だったり、大切な一日だったりするものです。
それを知ることが、もしかしたら何かの役に立つかもしれない。何かを始めるきっかけを与えてくれるかもしれない……。
アナタの何気ない今日という一日に、新しい意味や価値を与えてくれる。そんな世界のどこかの「今日」を探訪してみませんか?
ダイアナ元皇太子妃の命日
25年前の今日、世界に衝撃が走りました。
さまざまなスキャンダルやゴシップがささやかれながも、英国が標榜する“開かれた王室”の体現者として、国内だけでなく世界中で愛されていた“Princess of Wales(プリンセス・オブ・ウェールズ)”。
今日、8月31日は、そんなダイアナ元皇太子妃が36歳という若さで不慮の事故により帰らぬ人となった命日にあたります。
爵位をもつイギリスの名門・スペンサー家の出身。貴族社会のなかで育ちながら、持ち前の好奇心でダンスや音楽といった芸術的な分野に傾倒し、1981年に第21代ウェールズ公(チャールズ皇太子)の妻として王室の一員になってからも、公務以外のさまざまな活動へも積極的に参加してきました。
そんな彼女は、王族時代、そして1996年に皇太子との離婚によって“市民”となってから亡くなるまでの間に、なんと100以上の慈善事業に資金援助などをおこなってきたといいます。
エイズ患者や関連研究のサポート、地雷除去に向けた活動、ハンセン病問題解決への支援、アルコールや薬物中毒者の救済など、その対象はじつに多岐にわたります。
「経済的に余裕があるから実現できたのでは?」
たしかに、それも事実ではあるでしょう。
しかし、アフリカ南西部はアンゴラの荒野、どこに地雷が埋まっているかわからない危険地帯に、その残虐性を訴えるために自らの足で踏み入る行為は、決して“持てる者の気まぐれ”などでないことは誰の目にも明らかです──。
毎年8月31日には、英国をはじめ各地で多くの追悼式典がおこなわれます。
“People's Princess(国民のプリンセス)”が生涯をかけて訴えてきた差別や危険のない平和な世界の実現への祈りを、今日、世界中の人々とともに......。