「選手交代」は武士道に反する!むちゃくちゃ過ぎる戦国プロ野球

何気ない一日に思えるような日が、世界のどこかでは特別な記念日だったり、大切な一日だったりするものです。

それを知ることが、もしかしたら何かの役に立つかもしれない。何かを始めるきっかけを与えてくれるかもしれない……。

アナタの何気ない今日という一日に、新しい意味や価値を与えてくれる。そんな世界のどこかの「今日」を探訪してみませんか?

野球用語「全面日本語化」が実施

はじめ!

よし一本、よし二本、よし三本。

それまで!

と、いきなりなんのこっちゃ?ですよね。
これを現代風に翻訳しますと、こうなります。

プレイボール!

ストライクワン、ストライクツー、ストライクスリー。

バッターアウト!

柔道や剣道といった日本の武道の大会かと錯覚しますが、そのむかし、日本のプロ野球から“英語”が消えたタイミングがありました。

鞠を擦りこぎで引っ叩く
日本ナイズドされた“ベヰスボウル”

1943年3月2日、ときは太平洋戦争の真っ只中。戦局が次第に悪化するなかで、中等学校野球(今でいう高校野球)、東京六大学野球、さらに都市対抗野球は相次いで中止を決定したいっぽう、今日のプロ野球にあたる職業野球だけは、数少ない庶民の娯楽として開催を継続していました。

けれど、ご存知の通りベースボールは敵国アメリカ生まれのスポーツ。有事の最中で続けるには、それ相応の代償を払わなければならなかったわけです。

陸軍情報部および文部省の意向を受け、連盟は理事会で野球における適性語としての英語の廃止一部ルールの改定を決定しました。

くだんの「よし一本」のほか、悪球(ボール)、無為(アウト)、安全(セーフ)といったコールから、手袋(グローブ)、助令区域(コーチャーズボックス)など道具やエリアにいたる呼称を完全日本語化へ。

時代背景を考えれば、これはなんとなく察しがつくところ。興味深いのは、日本語化と同時に変更されたルールのほう。

たとえば……

・打者は球を避けてはならない
・隠し球の禁止
・選手の途中交代禁止
・後攻めチームが9回までに勝利を確定していても、9回裏の攻撃を行う
・引き分け試合は、天候や日没によるコールドのみ

どうです?現代とだいぶ様相が違いますよね。武士道精神に反するものがあってはならない!という判断からだそうで。

危険球は身体で受け止め、選手たるもの最後まで戦い抜き、相手の息の根を止めるまで完膚なきまでに叩け。うーん、これで娯楽として成立できていたのか、当時を知る人に聞いてみたいものです。

え、正真正銘「侍ジャパン」じゃないかって?いやいや。

ともあれ、戦時中の数年間はこうした完全日本語化と日本独自ルールが採用されたプロ野球。封殺、生還、自責点など、当時の表現が現代に残っているものもあるんですよね。

WBC開幕まで、あと6日です。

Top image: © iStock.com/Candice Estep
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