西洋人のイースター島発見は、「終わりの始まり」だったのか?

何気ない一日に思えるような日が、世界のどこかでは特別な記念日だったり、大切な一日だったりするものです。

それを知ることが、もしかしたら何かの役に立つかもしれない。何かを始めるきっかけを与えてくれるかもしれない……。

アナタの何気ない今日という一日に、新しい意味や価値を与えてくれる。そんな世界のどこかの「今日」を探訪してみませんか?

イースター島が発見された日

南米チリの首都サンティアゴから西へ3700km、タヒチから東へ4000km。

ポリネシアン・トライアングルの東端にあたる南太平洋上に、“世界のヘソ”とも“天を見る目”とも形容される絶海の孤島「イースター島」があります。

先住民の言葉でラパ・ヌイ(輝ける偉大な島)と呼ばれるこの島といえば、誰もが知るあのモアイ像。無数に点在する謎の巨大石像は、4〜5世紀ごろイースター島に移り住んだポリネシア人たちによって造られたとされています。

もっとも近い有人島までの距離はおよそ2000km。彼らは外部の影響を受けることなくモアイ像をはじめ祭殿(アフ)といった石像彫刻や石造建築を築いていったようです。

さて、その不思議の島に初めて西洋人がたどり着いたのが、記録によるとちょうど300年前の4月5日だそうです。

オランダの探検家ヤーコプ・ロッヘフェーン率いる3隻の艦隊が、フォークランド諸島を経由しチリへと向かう航海中にその島を発見。ちょうどその日は復活祭だったことから、この島をイースターと名付けたそうです。

ヤーコプらは2000人から3000人の先住民を目撃したとの記録が残っていますが、このときおそらくあのモアイも目にしていたはずです。

 

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さて、近年の研究でポリネシア人の入植から17世紀まで頻繁に造られてきたモアイが、18世紀以降はほとんど造られることがなくなり、その後は破壊を繰り返していったことがわかってきました。

巨大彫像の終焉、それは文明崩壊への序章だったのかもしれない。こう思うのは、近年になって発表されたある研究論文の存在です。

2015年、学術誌『米国科学アカデミー紀要(PNAS)』において、イースター島の環境調査による研究報告に興味深い内容が記されていました。

ポリネシア系先住民たちが突如として島から姿を消した理由です。

これまで、ヤーコプら西洋人によってもたらされた天然痘や結核、梅毒といった病原菌が蔓延したこと、あるいはネズミの繁殖による食害だったとする説が語られてきました。

それが新しい研究は、西洋人の到着より以前にイースター島はすでに壊滅への道をたどっていたとするものでした。原因は島の自然環境が急激に悪化していったから。

西洋人到着より120年以上前から、すでに食糧危機を迎えていた直接の原因は、深刻な干ばつに加え、作物を育てる表土の劣化によるものだと。

自然破壊を招いたものはなんだったのか?

ある研究者によれば、モアイ建造と運搬のため森林伐採を繰り返したことで森が裸になり、肥えた土が海へと流出し土地が痩せ衰えていったのではないかとする説です。

人口が増えるにつれ部族の数も増加。島のいたるところに集落が増えれば、そこに守護神としてのモアイが建てられた……。

仮にこの説が正しかったとするならば、文明の象徴が文明の崩壊を招いてしまったのかもしれません。本末転倒というにはあまりにも寂しい話ですよね。

ただ、本当のところモアイのことも、イースター島の真実も、現在の科学をもってしてもなお謎のまま。そこに私たちはロマンを感じるのかもしれませんね。

Top image: © iStock.com/Mlenny
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