燃える闘魂、パキスタンでも「伝説」となる。

何気ない一日に思えるような日が、世界のどこかでは特別な記念日だったり、大切な一日だったりするものです。

それを知ることが、もしかしたら何かの役に立つかもしれない。何かを始めるきっかけを与えてくれるかもしれない……。

アナタの何気ない今日という一日に、新しい意味や価値を与えてくれる。そんな世界のどこかの「今日」を探訪してみませんか?

アントニオ猪木記念日

2022年10月1日、長い闘病生活のなか最期まで「闘魂」を燃やし続けたプロレス界のカリスマ、アントニオ猪木が旅立ちました。

弔いの10カウントでおくったプロレスファンだけでなく、日本中に哀しみが連鎖したあの日から2ヵ月。今日はアントニオ猪木と関係のある記念日についてお伝えしたいと思います。

今日12月8日は「猪木記念日」だそうです。ただしこれ、日本から遠く離れたパキスタンでのお話。

そもそも猪木とパキスタンの関係のはじまりは、今から45年前のこと。

1976年2月からはじまったアントニオ猪木の異種格闘技戦。6月には“世紀の大凡戦”と揶揄された「猪木 vs モハメド・アリ」が行われました。このアリとの戦いにより、良くも悪くも世界にその名を知らしめることとなった猪木に世界中からオファーが集まりました。

そのひとつがパキスタン南部シンド州政府でした。

酷評ばかりのアリ戦を「すばらしいファイト」と称え、国賓待遇での招待と自国の強豪との対決をオファー。猪木はそれを承諾しました。対戦相手は、地元パキスタンの格闘技の英雄アクラム・ペールワン。

しかし、完全アウェーの地で戦いに挑む猪木を待っていたのは、パキスタン人の意外な行動でした。試合のためイスラマバードに降り立った猪木の前には黒山の人だかり。アリと戦った男をひと目見たい、と人々が押し寄せたのです。飛行機を乗り継いだカラチでもそこには人、人、人だったとか。

こうして12月12日、当時のパキスタン大統領を含む10万人の観衆がが詰めかけたクリケットスタジアムでビッグマッチがとり行われました。

結果は猪木勝利。

国の英雄の敗戦を目の当たりして、スタジアムは殺気立ちます。ところが……そこがやっぱりアントニオ猪木。完全アウェーの会場を一瞬にして飲み込んでしまったのです。

勝ち名乗りを受けた猪木は両手を高々と突き上げました。その姿はまるでイスラム教アラーの神に祈りを捧げているように見えたとか見えなかったとか。いずれにせよ、観衆のムードはいっぺん、猪木を見る目が変わったんだそうです。

完全アウェーに立ち向かい、勝利で切り開く。後日、猪木は当時の様子をこう語っています。「そういう場面に出くわしてしまうと、闘魂、闘う魂が燃えてくるというのかな」。

ペールワンとの戦いは歴史的一戦として同国では語りぐさになり、猪木も英雄、国賓として迎えられるようになり、「スポーツ交流を通じて世界平和につなげたい」と、4度の遠征を行いました。

そうした功績が認められ、2012年パキスタン政府は毎年12月8日を「猪木記念日」に制定。燃える闘魂、パキスタンでも伝説になる、のお話でした。

Top image: © Etsuo Hara/Getty Images
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