ストーンヘンジ、それは「未完の国家統合プロジェクト」だったのか?

悠久の時を超えて、イギリスの草原に佇む巨石遺跡、ストーンヘンジ。その謎めいた姿は、古代の人々の信仰や宇宙への憧憬を今に伝えるかのようだ。長年、その用途についてはさまざまな説が唱えられてきたが、Newsweek誌の報道によると、最新の研究で、さらに興味深い仮説が浮上した。それは、ストーンヘンジが単なる儀式場や天文台ではなく、古代イギリスにおける国家統合の夢を象徴する「未完のプロジェクト」だった可能性だ。

広大なブリテン島を一つに?巨石に託された古代人の想い

Newsweek誌の記事では、ストーンヘンジ建設の背景にある、驚くべき事実が明らかにされている。建設に使用された石は、すべて遠方から運ばれてきたものであり、その中には、ストーンヘンジから約240キロメートルも離れたウェールズ地方から運ばれたとされる「ブルーストーン」も含まれている。「ストーンヘンジを構成する石は、900以上あるイギリス国内のストーンサークルの中でも、すべてが遠方から運ばれてきたという点で独特である。」とNewsweek誌は指摘する。

なぜ、古代の人々は、これほどまでの労力をかけて、広大な範囲から巨石を集めたのだろうか?その答えの一つとして、記事では、ストーンヘンジの中心に位置する「祭壇石」の存在に着目する。「祭壇石は、ストーンヘンジから400マイル(約640キロメートル)以上離れた、現在のスコットランド北東部に由来する可能性が高い。」という研究結果が示すように、この巨大な石は、当時のイギリスの中でも、特に離れた地域から運ばれてきたと考えられているのだ。

「分断」の象徴から「統合」のシンボルへ?

「祭壇石は、紀元前2500年から紀元前2000年の間にストーンヘンジに運ばれた可能性が高い。」とNewsweek誌は記している。興味深いことに、この時期は、イギリス先住民が、ヨーロッパ大陸からやってきた新たな移民たちと急速に混ざり合っていった時代と重なる。異なる文化や言語を持つ人々が流入する中で、社会にはかつてない混乱や対立が生じていた可能性も考えられる。

「祭壇石の組み込みは、新たな人々の流入によって引き起こされた正統性危機への対応として、統合の試みだった可能性がある。」と研究者は推測する。異なる出自を持つ人々を一つにまとめるシンボルとして、祭壇石は、はるか彼方の地から運ばれてきたのかもしれない。

現代社会においても、民族、宗教、イデオロギーなど、さまざまな違いを超えて、人々を結びつけることの難しさは、常に私たちの前に立ちはだかっている。ストーンヘンジの物語は、太古の昔から続く、人類共通の課題を私たちに突きつけているのかもしれない。

しかし、皮肉にも、ストーンヘンジ建設の最終段階である紀元前1600年頃には、イギリス先住民は、大陸からの移民にほぼ置き換わってしまっていた。「統合の試みとしてのストーンヘンジは、最終的には失敗に終わった。」と、Newsweek誌は締めくくっている。

壮大なスケールで始まったストーンヘンジの建設。それは、現代にも通じる「分断と統合の物語」を私たちに語りかけている。

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