発見から100余年。「マチュピチュの謎」が、ついに......
何気ない一日に思えるような日が、世界のどこかでは特別な記念日だったり、大切な一日だったりするものです。
それを知ることが、もしかしたら何かの役に立つかもしれない。何かを始めるきっかけを与えてくれるかもしれない……。
アナタの何気ない今日という一日に、新しい意味や価値を与えてくれる。そんな世界のどこかの「今日」を探訪してみませんか?
「マチュピチュ遺跡」が発見された日
「空中都市」や「天空の都」など、ロマン溢れるさまざまな表現で形容される「マチュピチュ遺跡」。
かつて隆盛を極めたインカ帝国の公用語・ケチュア語で“年老いた峰”を意味する都市・マチュピチュは、15世紀の半ばに築かれたものでありながら、1911年の今日7月24日、米「イェール大学」の考古学者であるハイラム・ビンガムが発見するまで一切の存在を知られていませんでした。
そもそもアンデス文明が“文字”という文化をもっておらず、のちの研究者たちがその歴史を把握するのが難しいという側面はありながらも、巨大な建造物が立ち並ぶ都市の存在が長らく公にならなかった、もっとも大きな理由のひとつが、その特異な“立地”にあります。
マチュピチュ遺跡があるのは、南米・アンデス山中の標高2280mという極地。人が居住する地域としては決して利便性が高いとはいえない密林の奥深くに都市があるなど、誰が想像できたでしょうか。しかも、畑や神殿、墓地、さらには水路までもが整備された文化的な街が存在することを......。
そこでひとつの疑問が浮かび上がります。
「インカの人々は、なぜそんな場所に巨大な都市と機能を構築したのか」──。
長年にわたって解明されていなかったそんな謎に対し、2019年9月、「THE GEOLOGICAL SOCIETY OF AMERICA(アメリカ地質学会)」の総会の席上で、ブラジル「リオグランデドスル連邦大学」の地質学者 Rualdo Menegatが長年にわたる研究の結果を発表しました。
地質学的なアプローチにより判明したその内容とは、マチュピチュが巨大な“断層帯”のうえに展開されているという事実。
研究チームによると、マチュピチュに立ち並ぶ巨大な建造物を構成する石は、断層帯ならではの平らな面積の多い岩盤から切り出されたものであり、ジャングルのなかではありながらも石の調達が容易だったことが大きな理由のひとつと考えられるのだとか。
また、石を切り出した溝は、そのまま治水の機能を担うことができ、ランドスケープ(都市計画)の重要なポイントとなる資材の調達と水にまつわるインフラ整備が同時に叶うことこそが、険しい山中にマチュピチュという都市ができるに至った理由なのだそう。
効率性に重きを置いたミステリアスとはほど遠い理由のようにも感じますが、現在のように測量や建築に関する技術が発達していない時代に、隙間にクレジットカードを挟み込むことさえできないほど精緻な石積みで建造物を作り出した当時の人々のクリエイションは、人間の秘めたる可能性を感じるには十分すぎる神秘といえるでしょう。