「もしも、今日私が死ぬとしたら・・・」。あるブロガーの文章に、全米が感動!

近年、「終活」ブームなんて言葉もあり、早い人は30代で遺言書を用意する人もいるそう。
ここでは「Elephant Journal」から、ブロガーAnna Jorgensen氏のメッセージをご紹介。これは遺言ではなく、あくまで散文ですが、この世に残す大切な人へ向けて綴られた素敵な内容です。

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もしも、あなたと出会ったら

私たちは手をつなぐでしょう。一緒にお風呂に入り、泡が私たちの想いを隠します。そして、媚びた目で笑うでしょう。日が差すベッドの上で、甘く優しく愛し合うかもしれない。雨の中を歩くでしょう。音程が外れ、笑いながら一緒に歌ったり、バスケットを持って自転車に乗ったり。そんなことをしていたかもしれない。農家やフリーマーケットに行って、昔の思いで話や、新しくできたシワの自慢話をするおじいさんと一緒に、楽しい話で盛り上がることでしょう。夜中にクッキーを焼いて、指先にこびり付いた生地をなめるでしょう。月あかりの下でキスをして、星の下で隣あって眠るかも知れない。お互いがお互いを愛するはずです。パチパチ音のする炎のそばで、顔を寄せ合って話すでしょう。煙は目にしみて、私たちのコートを覆うでしょう。社会からの重圧に対してお互いに身を寄せ合って、もたれかかることでどんなストレスも和ぐことでしょう。私たちはお互いに正直なはず。そしてお互いに感謝し優しくする。誰も見ていないときには、ふざけ合って、たまにはハメを外すこともあるはずです。たとえ、誰かが見ていたとしても。お互いの腕に寝っ転がって、自分たちの物語やパロディを笑いあうでしょう。親しみのある匂いに癒されながら。ベッドの上で声に出して本を読むことも。あなたは私を見るために眼鏡を外す。そして…私の心は幸せで満たされる。お互いたくさんのことを学ぶでしょう。恐ろしいほどに素晴らしい計画を練るはず。あなたには素晴らしいアイディアがあり、私はそれを彩る色見本を持っている。そしてたくさん笑うでしょう。二人の間には、いつも笑いがある。そして明るさが、存在が。どこへでも積極的に自由な旅に出かけては、自然の驚異に圧倒されるでしょう。空気をたくさん肺に吸い込み、木々の中を、秋の松葉の匂いを感じて散歩する。乾いた枝をパキッと踏んで、もみの木の樹皮や枯れ葉にさわりその美しさに目を霞ませることでしょう。静かな春の風の下で一緒に座ってお互いの為に立ち上がるでしょう。もっと大きなことをしたかもしれない。時間の流れがあまりに早く、覚えていないこともあると感じるでしょう。醜いことではないし、嫌なことでもない。ただ、時間の流れを思い出せてくれるだけ。いつまでも若々しくいられるように、新しい趣味を二人で始めるかもしれない。昔の友人に会って過去を懐かしむことも。たまに二人の間で会話がなくなって、そわそわするかもしれない。もしかしたら、離れ離れになることも。だけど、私たちはこんな状況もいつかは過ぎ去ることを分かっているでしょう。そして実際にそうなるはずです。これまで生きてきた人生が一瞬もしないうちに終わってしまったと感じるでしょう。お互いの癖や好みに気がついて、あなたは優雅なブーケに入った花を持って帰ってきて、優しく私の頬をなでるでしょう。その時はどうか、顔のシワは見ないでね。エッチの回数が減る分、抱きしめる数は増えるでしょう心の太陽が重く沈み、濡れたウールのブランケットみたいな空にとって代わり、手に手をとって歩いた、過去の思い出だけになる日が、やってきます。気にすることなくびしょ濡れになって、若くて、楽しくて、笑っていた思い出。そして一人になる…。冷たい椅子に腰掛けて、屋根を単調にたたく雨音を聞いて、今でもまだ、そこにあなたがいるように、大きな声で話しかけるでしょう。虚しさで崩壊した胸の底に深く沈み、何千という静けさに囲まれるでしょう。ひとり残され悲しみに暮れて、生きている意味を感じられなくなるかもしれません。でもそれは、朝の鳥が鳴き始めるまで。私たちの耳にあまりにも甲高く、聞こえてはこない。「目を覚まして!起きて!生きて!」だから。決意して、自分を立ち上がらせてほしい。それが、私が望んでいることだと信じてくれるなら。もし私が今日死んだら、あなたにこれだけは知っておいてほしい。私は本当に幸せだったと。

Licensed material used with permission by Anna Jorgensen

TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。