「今日は、死ぬにはいい日だ。」
日々、この「TABI LABO」のなかでわたしは、いろんな人の価値観や言葉をみなさんに伝えています。ちょっと矛盾があるかもれませんが、そんなことをしておきながらも、本当は「ぜんぶ、なんでもいい」って思っているんです。
「なんでもいい」ってすこしネガティブな感じがしますが、「どうでもいい」っていうのとは違います。語弊をおそれずに言うと、「ぜんぶ、真にうけないでほしい」っていうことでしょうか。
こんな大人になりたいからこれを実践しよう、こんな恋愛をしたいからこういうコミュニケーションに気をつけよう、っていっぱい考えちゃいがちですが、単純に、自分が「きれいな気持ち」でいられそうだと思うものだけを、吸収してほしいって思うんです。
「単純でいる」こと
複雑さの中でつぶれてしまいそうになったことがあるから、いま、わたしは自分が「単純になっていく」ことを実感できているのかもしれません。
いい空気を吸うこと、いい気持ちになること、いい景色を見ること。自分が、無理せず好きでいられるもの、好きでいられるひと。たったひとりの自分の「単純な」気持ちに耳をすますと、好きなものやひとへの嘘がなくなります。
きれいな気持ちで見る景色は、絶景でもなんでもなくても、きっと「いい景色」。すぐとなりいる、好きなだれかの横顔だってそうでしょう。
瞬間の気持ちに目をむけて
「明日、死んでも後悔しない?」っていう質問、よくあるけれど、そんなのもちろん想像の上での話でしかない。でも、たとえば今日死んでしまっても大丈夫なくらい、毎日を、瞬間を、あたらしく「きれいな気持ち」で過ごしていたいって思うんです。
大人になればなるほど、いろんなことを覚えて知っていきます。それが足枷になるような気さえしていたけれど、いろんなことを知るからわたしたちは、自分のなかに残すべきものを選ぶことができるのかもしれません。
今日は、
もう一度生まれるにはいい日だ
上に書いたことは、『今日は、死ぬにはいい日だ。』という本を読んで、わたしがあらためて思ったこと。読了したいま、ここからもっと自分が「単純になっていける」ような気がしています。ひとつひとつの瞬間に目をむけて、大切なものや、大切なひとにふれていたいな。
この記事のアイキャッチ(一番上の画像のことです)、何にするかとても悩みました。さわやかなイメージは、なんだか違うような気がして。いまわたしたちが生きている混沌とした時代や生活のなかで、ひとりでも多くのひとに、この本を読んでもらえたらと感じています。
最後に。
作者はこのタイトルを、こんな言葉にも言いかえられるといいます。
「今日は、もう一度生まれるにはいい日だ。」
この本ができあがるまでを綴った記事はこちら。