音楽が死んだ日。
何気ない一日に思えるような日が、世界のどこかでは特別な記念日だったり、大切な一日だったりするものです。
それを知ることが、もしかしたら何かの役に立つかもしれない。何かを始めるきっかけを与えてくれるかもしれない……。
アナタの何気ない今日という一日に、新しい意味や価値を与えてくれる。そんな世界のどこかの「今日」を探訪してみませんか?
音楽が死んだ日
(THE DAY THE MUSIC DIED)
1959年2月3日未明、吹雪がふき荒れるなかアイオワ州メイソンシティ市営空港を飛び立った小型飛行機が、離陸して間もなくトウモロコシ畑に墜落。
機体は翌朝になって発見されたものの、パイロット含む乗組員4人全員の死亡が確認されました。
命を落とした乗客3人は、当時エルビス・プレスリーに次ぐ人気を誇り、後世のロックン・ロールに多大なる影響を与えたバディ・ホリー、メキシカンサウンドを取り入れたロックナンバー『La Bamba』で大ブレイクしたリッチー・ヴァレンス、同じく50年代のロックシーンで活躍した“ビッグ・ボッパー”ことJ.P.リチャードソン。
米中西部24都市を3週間かけて巡る「ウィンター・ダンス・パーティー」ツアーの移動中に起きた悲劇に、全米のみならず世界が衝撃を受けました。
それというのもバディ22歳、ビッグ・ボッパーが28歳、リッチーにいたってはまだ17歳という若さだったこと、さらには50年代後半から60年代にかけアメリカン・ロックのスターたちがスキャンダルや懲役で、次々と表舞台から姿を消し、アメリカの大衆音楽が勢いを失いかけていた時代だっただけに……。
スター不在のなかで3人の若き才能を同時に失うことになったこの飛行機事故は、ロックンロール時代の終わりを告げる象徴的な出来事として、人々の記憶に永く刻まれることとなりました。
さて、この痛ましい事故に心打たれた少年がいました。
新聞配達員として働いていた彼は、玄関先に届けた紙面に大ファンだったバディ・ホリーの死を伝えるニュースを目にしたのです。
それから12年の月日が流れ、少年だったドン・マクリーンはシンガーソングライターになり後の大ヒット曲『American Pie』をリリースしました。
Bye bye Miss American Pie……
And we sang dirges in the dark
The day the music died
3人のロックスターの悲劇を題材にした8分36秒におよぶ大作は、当時のシングルとしては異例の曲の前半をA面、後半をB面に分割されるかたちで挿入し、発売されました。
音楽が死んだ日——。
曲中くり返し登場するこのフレーズには、60年代以降に登場した反骨的でサイケデリックな新しいロックはもはや本当のロックではない、というマクリーンの嘆きが内包されているのかもしれません。
名曲『American Pie』お聴きください。